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『家族は他人、じゃあどうする?』刊行記念対談! 竹端寛さん×高橋健次郎さん(朝日新聞記者)「父親のモヤモヤ、じゃあどうする?」

※この記事は、「現代書館ポッドキャスト」で公開された音声の「テキスト版」です。読みやすくするために、加除・修正をした部分があります。音声と完全に一致しているわけではございませんので、ご了承ください。

編集部(以下、――):こんばんは、現代書館編集部の向山です。今日は新刊『家族は他人、じゃあどうする?』刊行記念のポッドキャストです。ゲストとして、著者の竹本寛さん、そして朝日新聞記者の高橋健次郎さんをお招きしています。 

――まずはお2人とも簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。 

竹端:兵庫県立大学の竹端といいます。娘は5歳です。今夏休みなので、絶賛毎日日焼けしてます。お願いします。
 
高橋:朝日新聞の記者で高橋といいます。娘は今6歳です。保育園中なのですけれども、そろそろ夏休みに何をしようかなというふうに考えてます。よろしくお願いします。
 
竹端:ということは、うちも年長さんなので、高橋さんのところと一緒ですね。
 
高橋:そうですね。一緒です。
 
竹端:同じ年次だとしゃべれることがいっぱいあるんですよ。
 
高橋:今日多分時間内に終わらないじゃないかという気がしています(笑)。

『家族は他人、じゃあどうする?』は福祉社会学者である竹端さんが、娘さんやパートナーとの対話から仕事中心主義だった自分に気づき、ケアの世界へ足を踏み入れていく、その過程を描いたエッセイ集です。なぜパートナーとの対話や子育てがうまくいないのかを、個人的な問題だけでなく、ジェンダーや働き方の問題と結びつけてわかりやすく解説しているところも魅力です。


「#父親のモヤモヤ」を始めたきっかけ


――今日はこの本のキーワードでもある「父親の子育て」について、今どうなってるのかっていうことを知りたい、考えたいと思っています。そこでお呼びしたのが、朝日新聞の高橋健次郎さんです。高橋さんは、普段どんなことをテーマに取材されているのか、お話いただけますか。
 

高橋:私は入社が2005年なんですけれども。東京とか、島根の出雲とかいろいろなところに勤務しながら、一貫して介護とか医療とかそういったところにずっと関心があって取材を続けてきました。
 
――父親の子育てについて取材を始めたのは、子育て始まってからですよね。
 
高橋:そうですね「#父親のモヤモヤ」っていう企画の名前なんですけど、始めたのは2019年の6月、父の日ぐらいからだったと思うんですよね。当時娘が3歳だったので、子育て後です。

 ――取材のきっかけって何だったんでしょう。
 
高橋:それがまさに、僕自身に「父親のモヤモヤ」があったからなんです。私にも仕事中心主義みたいなものとか、昭和の働き方とか、旧来的な価値観がこびりついていて、家事育児に関わっていくことで、どうしてもその価値観との軋轢が生まれるというか。ストレスになってくる部分があってモヤモヤしていて。そこからですね。やっぱこれには構造的な問題があるんじゃないかと、連載を始めるようになります。
 
高橋:妻に申し訳ないので一応ちゃんと言っておくと、私は育休取ってないです。妻は育休を1年とったんですけど。妻はその1年間の日中は、いわゆるワンオペ状態だったのは間違いなくて。ただ、1年後に、僕が「名もなき家事」みたいなところも含めて分担したときに、なんていうかモヤモヤがググッと生じて(企画を開始して)っていう経緯です。なのでもともと主体的にやっていたわけではないではなくて、いろんな反省を込めてっていうところではあります。
 
竹端:高橋さんは「すごく妻に申し訳なくて」とおっしゃってるけど、そうは言っても1年後ぐらいからいろいろと反省して、ご自身の仕事の中でもそれを取り入れられたり、時短も含めてやられたってことですよね。なんで反省ができたんですか。
 
高橋:私自身が、仕事で福祉とか生活とかをフィールドワークにしてきたので、家事育児の分担について実際にその不均衡を見たり、耳にしてきたわけです。で、自分はじゃあどうしたらいいかなと、そこで考えてきたわけです。でも、実際やってみたら、それにまったく及ばなかった。自分ではやってるつもりだったんですよ。例えば、仕事の途中で抜けて、お風呂に入れたりとかはしてたんですよ。でも、それは結局「したつもり」で、例えば、子どもの予防接種みたいな健康管理とかを妻がやっていたりするので、自分は「他人ごと」だったっていうときに、わかっているようで気づかされたことに、ショックだったんじゃないかな。
 
竹端:「おれは仕事忙しいからとか」って言い訳する男子も、けっこういるわけじゃないですか。「記者は忙しいからしゃあないねん」とか、ごまかしたりはされなかったのはなんでなんですか。
 
高橋:生活のことを書いていて、自分の足元が崩れているっていうのは、やっぱ自己矛盾ですよね。職業の面で見ても、違うんじゃないかなと思ったのかもしれません。
 
竹端:生活とか福祉に携わる記者として、言行一致できてないのがおかしいと。
 
高橋:そうですね。生活できていないのに生活のことを書くって、やっぱおかしくないですか(笑)。
 
竹端:研究者でも生活のことを研究しているのに、生活が大丈夫やろうかって人っているんだけど……(笑)。

散髪途中に事件が起きて……


 
竹端:僕は昭和50年1975年生まれで、今47歳ですけど、高橋さんはおいくつですか。
 
高橋:1980年生まれで今41歳です。
 
竹端:この間、朝日新聞のポッドキャストなどで、「昭和の働き方と平成は違う」みたいなこともおっしゃってたんですが、昭和の働き方のマインドにはどのような問題があると思っておられますか。
 
高橋:いろんなことが仕事優先であったりとか、仕事中心とか、やっぱり刷り込まれてるんじゃないですかね。
 
竹端:だってほら、散髪屋で髪切ってもらってるときに。会社が電話がきて、その途中で抜けてたっていう話がありましたね(笑)。
 
高橋:髪を切ってる途中に何か事件が起きたんですよね。「とりあえずこれでいい」と言って、出て行ったことがありますね。
 
竹端:髪の毛、大丈夫やったの(笑)。
 
高橋:私、短髪なので、たいして目立ちもしないですし、くしゃくしゃっとしておけばわからないから、自分も気にしない(タイプな)ので、まあいいかなとは思いました(笑)。
 
竹端:ってことは、お子さん生まれたあとも、電話かかってきたら髪切ってる途中でも出かけていきかねないようなモードは、捨ててなかったと。
 
高橋:出かけかねないですね。妻が育休のときでも、帰宅時間が0時近いことって結構ありました。当時何を取材していたかって、笑えない話なんですけど働き方改革だったんですよ。

ゲロまみれの自宅をみて目覚める

竹端:変わるきっかけは?
 
高橋:子どもが1歳近くなるときの、冬の日だったと思うんですけども。当時、ノロウイルスという感染症が流行っていて。食事中の方すいません、吐いちゃったりとかっていう胃腸炎なんですけども。子どもは嘔吐の連続で、私はその日は出張で泊まりがけだったんですね。夜も妻から電話がかかってきて、「とりあえず明日朝一で返る」と言って、飛行機に乗って帰ったんですけど。そしたら、子どももずっと吐くので、妻はとりあえずタオルを上にのせて、飛散しないように応急処置だけしている。そこに妻がへたり込んでいて、「もう限界」って朝方に言ったんですよね。それがやっぱすごく、お恥ずかしいんですけど、堪えた。
 
高橋:半年ぐらいまでは、妻も楽しい楽しいと言っていたんですけど、子どもがつかまり立ちするようになって、安全面でグッと負荷がかかる時期があるんじゃないですか。ずっと気にしなきゃいけないし、命を預かる重さみたいなものがあったと思うんです。それに気付いてたんですけど、ぼくはやっぱ仕事中心の生活を続けていて。そこで起きたことなので、「しまったな」とすごく思いました。
 
竹端:夫の側が無自覚で、配慮が足りなかったってのも、もちろんあると思うんですけど、パートナーのほうも頑張らなければと、限界近くまで頑張ってしまったということも、もしかしたら背景にあったのかもしれませんよね。
 
高橋:自分の至らなさが確実にあったことは大前提なんですが、後で話したときに、妻自身も「育休を取っているから自分がかなりの部分をやるべきだ」とか、あと、ご飯なんかに関して、離乳食とかも結構頑張って作っていたりして。
 
竹端:名前が悪いよね。育休って言うと、「休みやから私やらなあかん」と思うけど、休みちゃうもんね、フルタイム労働やもんね。
 
高橋:そうなんですよね。だからやっぱ妻自身も少なくとも、かなりの水準の育児をやるもんだと思っていたのは、間違いないと思いますね。
 
竹端:で、その1年後まで、高橋さんが気づかずにすんだのは、1年間やり通せてしまったってのがあったよね。やり通せてしまったからこそ、目の前に汚物の海が出てくるまで、逆に言ったら高橋さんに見えない頑張りになってしまってたってことですよね。
 
高橋:そうですね。だから、妻自身もどこかで、私を支えるみたいな意識がもしかしたらあったのかもしれない。

育児問題は夫婦の対話問題

 
竹端:ぼくは育児問題って夫婦の対話問題なんじゃないかと思ってるところって結構あって。高橋さんのところは、どんな感じだったんでしょうか。
 
高橋:うちは子どもが生まれるまでは、ほとんどけんかした記憶がないぐらいです。子どもが生まれて、ケンカするようになって、対立点が鮮やかになったと思っていて、「文明の衝突」ではないんですけれども。著書の中に書かれていた、「他者としての妻」が浮き上がってくるというか。子育てというフィルターを通すと、何かその部分がより先鋭化しやすいかなと思っていて。だからこそ対話とか、相手のことをより知るみたいなことは、圧倒的に子どもが生まれてからだなと思ってます
 
竹端:なるほど。ここでちょっと高橋さんのご経験を伺いたいんですけど。それまでケンカすることがなかったのが、子どもが生まれてから圧倒的に(対立点が)見えてきたっていうことは、あったけど見えなかったり、意識せずにすんでいた、という話なのか、それとも、第3項の子供が出てくることで初めて浮かんできたものなのかって言ったら、どっちでしょうね。
 
高橋:子育てを通じて、自分の内面にあるものがより意識されたと思っています。例えばですけど、お風呂に入りました。体はバスタオルで拭きますか、中くらいのタオルいいですか、みたいなことがあるとするじゃないですか。
 
竹端:はいはいはいはいはい……(笑)。
 
高橋:それって多分どっちかが、どっちかにとっての当たり前なんです。そういうところで差が出るんですけど、ふたりのときって、お互いに自分の好きなタオルでふいてたりするから、全然気にならないんです。だけど、子どもが介在すると、子どもをどのタオルで拭くかっていう、選択の問題が出てきて。
 
――(笑)。
 
竹端:これ向山さん(※編集部)ね、笑ってるけどね、ものすごい真剣な問題なのよ(笑)。
 
高橋:それはつまり、子どもにどの価値観とかを選択させるかみたいなことに、些細だけどめちゃくちゃなんていうんすかね、重い選択なんですよ。そのときに、やっぱりそれぞれのバックグラウンドをそれぞれが意識するようになってきて、衝突が起こるんだなっていうのはすごく思うようになりました。
 
竹端:この子を守りたい、この子をケアしたいっていうのは共通の意図なんだけど、その思いが強く入る中で、これまでスルーできていた夫婦の細かい微妙な日常の価値観の違いみたいなものが先鋭化したときに、「なんでこっちなの!?」っていう話になるんだよね。
 
高橋:そうなんですよ。今ふと思ったんですけど私、生まれが関東で、妻が関西なんです。例えば、子どもが関西弁だったら自分がどう思うだろうとか。やっぱりなんかね、自分の負ってきたものを、子どもにどう投影するかみたいな。すごい大きなテーマだと思います。
 
竹端:自覚的に投影するものと、無自覚のうちに投影してしまうものってのも、ありますよね。自分が子どもの時に叱られてきた「叱り方」とか、各家族によって違うし、当然価値観によっても違うし、「なんでそんな叱り方するの」「何でそんな言い方するの」みたいなのって、夫婦だけだったらごまかしてスルーできたりするけど、いざ、子どもを目の前にして注意しなければいけないときのその注意の仕方の違いとか、そういうところで実は問題が最大化して出てしまって、夫婦間のシビアな争いになってしまうというか、シビアな対立になりかねないんですね。
 
高橋:それを、自己への否定だと感じちゃうところが、もしかしたらあるかなと思ってて。
 
竹端:授業で、学生さんの価値前提を問い直すようなことをやるんですけど、一番わかりやすいのが、体罰について議論したときですね。体罰について、「お尻ペン」は体罰なのか、しつけなのか、どちらともいえないのか、どうだって言ったときに、「それぐらいはありだ」っていう子の大半が、「自分もされて痛かったけども、お母さんは私のことを思ってやってくれたんだから」っていう自己肯定化をしたいのは、あるいは、自分の経験を否定されたくないと思って、躍起になって肯定する学生さんって結構いるんですよね。
 
高橋:私もご著書を拝見して、結構驚きました。私の場合は、基本的にはあんまりそういう経験がなかったんで。私の回答はナシだったんですけど、まさにおっしゃるように、バックグラウンドが違うと、回答がこうも鮮やかに違うんだなと拝見して思いました。
 
竹端:もう一個言うと、バックグラウンドが違うと、過去を否定したくないがゆえに引きずってしまいやすいっていうのも、あるかもしれないですよね。 

父親が育児の主体としてみなされない

――高橋さんがこれまで取材してきた中で、どんなモヤモヤが多かったっていうのがあればご紹介ください。
 
高橋:この企画を始めて3年ぐらいで、記事としては150本ぐらいかな。いろんな方にお話を伺っていて、男性側のモヤモヤって大きく二つかなと思っています。一つが仕事と家庭との両立の中でうまくいかない、両立的なモヤモヤかなと思います。もう一つは、育児に主体的に関わりたいんだけど、育児の主体とみなされない、かなと思ってて。例を挙げれば、例えば、健診に連れてったら、「お母さんに言っといてください」って言われるみたいな。保育園に迎えに行くと、「じゃあこれママに言っといてください」みたいに言われちゃうとか。存在がスルーされるみたいな、大きく2パターンかなあというふうに思います。
 
竹端:後者って、役立たずというか、「あなたに言ったってどうせお母さんでしょ」っていう感じなんですかね。
 
高橋:言ってる側にも、そういう意識があるんだと思うんですよね。それぐらいで父親もクヨクヨするなって話かもしれないんですけど。やっぱ家族というか父親みたいな意識を持っている人にとっては、そこの意識が相手方に欠落していると、寂しくってのはあるんじゃないですか。
なるほど。
 
 ――みなさんどういうご様子で、お話になるんでしょう。
 
高橋:そうですね今までメールでは大体600通ぐらいいただいてるんですけど。共通するなっていうふうに思うのは、「初めて言います」みたいな話とか「職場ではなかなか共有されないんですけど」とか。
 
竹端:どれも文面が長いとおっしゃってましたよね。
 
高橋:めちゃくちゃ長いんですよね。いっぱいスクロールしても見切れないみたいな。だから熱量がすごい高い。そして、高いのは、そこまで気持ちを持っていく場がなかったっていうことなんですよね。
 
竹端:僕も経験としてあるのは、子育て支援センターとかに子どもを連れてったときに、だいたいお母さんしかいないので、父親はその輪の中に入れないんですよね。その中に入れないということは、同じ月齢とか近いお子さんの親と繋がるきっかけがない。女性だったらママ友がたくさんできてって、その中でLINEとかで愚痴を言ったりっていうのができるんだけど、男性はそういう繋がりができにくい。高橋さんも取材されていて感じますか。
 
高橋:そうですね。そこはなんかとっても感じていて。孤立しやすいっていうとこなんですよね。まさに今竹端さんおっしゃっていただいた公的機関に行っても、まずいないっていうのもそうですし。例えば、育休については男性の1割がとってます。1割だと、なんとなく周囲にいそうな感じがするんですけど、職場単位で見れば、たぶん第1号の人だったりとかするわけで、職場では少数派になっちゃいます。

父親同士だと関わり方の濃淡で悩みが違う


高橋:あともう一つ思うのは、これは良くないことだと思うんですけど、母親だとかなりの強度で家庭に関わってるんですけど、男性の場合それぞれになってしまう。要するに、チャチャッとやってるっていう人もいる。ガッツリ関わってる人もいる。そうなると濃淡が違うから、話題がまったく違うかなと思うんですね。「なんか妻にちょっと嫌味を言われちゃってさ」みたいな話題から、それこそ「子どもの次の離乳食どれにしようか」とか、「何ヶ月で悩んでます」とか、「友だちの関係で悩んでます」とか、関わり方が違ってきてしまう。もちろん子どもの個性にもよるんでしょうけど、関わり方によっても悩みって違ってくるので、そういった意味では、繋がりにくい状況もあるかなというふうに思いました。
 
竹端:さらにあれですよね、根本的な問題として、男子は弱さを見せにくいっていうか。強がりというか、自分の弱いところを語れないというか、何かそういうところが根底にありますよね。
 
高橋:そうですね。私も「弱音を吐くな」みたいなことを、面と向かって言われた記憶はないんです。ないんですけど、例えば「しんどいな」と思ったときに、口に出すかっていうとやっぱ出さないんですよ。それは圧倒的に幼少期から、「しんどいです」とか、「傷ついてます」っていうのを口に出す訓練もしてこなかったし。そこは大きいのかなって思いますよね。
 
竹端:いみじくも今「しんどいとか傷ついてますと口に出す訓練」っておっしゃったんですけれども、例えば、高橋さんやうちの子どもぐらいの年齢だったら言えることなのに、「男だからしっかりしなさい」だとか、そういう刷り込みみたいなものとか社会的な期待みたいなものがあって、社会化されていく中でどんどんそれができなくなっていき、訓練が必要なくらいまで錆びついてしまうってことでですよね。
 
高橋:そうですね。まさに私も5歳児ぐらいのときは「もうやだ!」とか「暑い」とか、「暑くて死んじゃう」とかって言ってたと思うんですけど。それがそうならなくなったというのは、社会化される過程で男性的に社会化されたんだろうなとは思います。
 
竹端:男性的に社会化されるってなんやねんって話でもありますよね。きっと父親のモヤモヤにメール書いてきはる人も、その求められる男性像と、今の自分の違いみたいなものも苦しんでるメールとかもあったりしません?
 
高橋:両立のモヤモヤを抱えていらっしゃる方は、やっぱりそういう方が多いですよね。それこそ仕事でバリバリと言わずとも、なんとなくその評価をされるとか、あとリアルだなと思ったのは、その仕事で後輩に役職で上回るのはいやだ。
 
竹端:メンツの話ね。
 
高橋:仕事でバリバリ的なもんじゃないんですけど、たぶん多くの男性だと、なんとなくわかるかなっていうところだと思うんですけど。そういう男性性的な価値観は、みなさん多く持っているし、そうじゃなくなりそうなこととのズレで皆さん悩んでるかなというふうに思いますね。
 
――キーワードである父親の子育てを巡って今皆さんどんなことを感じてらっしゃるのかということを、あの高橋さん個人の経験と取材から見えてきたことでお話いただきました。ありがとうございました。

竹端寛(たけばた・ひろし)……1975年、京都市生まれ。兵庫県立大学環境人間学部准教授。主著は『「当たり前」をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』(現代書館)、『枠組み外しの旅ー「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)など。専門は福祉社会学、社会福祉学。

高橋健次郎(たかはし・けんじろう)……朝日新聞記者。社会福祉士、精神保健福祉士。子育て、介護、障がいなど、社会保障関係全般に関心。#父親のモヤモヤ 企画も担当


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