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第4回 「AIの心」・・・の前に「人の心」についてちょっと考えてみませんか

AIに関して書かれた本は、近年増えていますが、「AIの心」に踏み込んだものはほとんどありません。そんな難しい領域に、妙木先生のお話は入っていきます。

 ちょっとまわり道に見えるかもしれませんが、「AIの心」について考える前に、まず人の心について考えてみましょう。あなたは、私たちの心はいったいどこにあると思いますか? 胸が痛い→心臓・・・・頭に閃く→脳・・・・いやいや、記憶の中だ、体全部だろうなど議論はかまびすしいのですが、現代の、科学、医学、生物学など、それぞれの分野でいろいろな解釈が推し進められてきましたので、今日は、そんな中から4つほど、ご紹介します。

 まず、代表的なのは「人の心は脳に宿る」という考えです。人間の脳は140億以上の神経細胞(ニューロン)が相互につながり神経回路を構成しています。そして、この神経細胞をつなぐ軸のつなぎ目にあるシナプスから神経伝達物質が放出されることにより様々な信号が伝達されるわけです。「人の心は脳にある」という考え方は、この神経回路の網の目の中にこそ、人の思い描く世界があり、そこから生まれる感情が脳の中に広がっているというものです。この考えは、意外なことに、インターネットの世界観と非常に近い。世界中の個人がネットワークでつながり、そこでいろいろな情報や考えをやり取りし、そこで生まれたものこそ世界そのものであるという考えですね。

 次にお話ししたいのは、「人の心は脳と体と環境のセット内にある」という考え方です。ここで重要なのは「環境」という発想で、人の外部にある「外からの刺激」と、人の内部にある「感覚と脳の反射」は別々のシステムであり個別に機能しているという考え方ではなく、感覚は直接、環境から情報をピックアップしているのだから環境と感覚は不可分、むしろ感覚も環境の一部、感覚は環境を構成しているのではないだろうかいう考え方。だから、どういう環境に身を置いているかによって、脳と体のあり方、つまり心の状態も変わってくる、そのあり方全体が「心」と呼ばれるものであるという考えです。

 3番目は、解剖学者の養老孟司が言っていることで、「脳は末梢の奴隷」という発想による、なかなかオリジナリティのある考えです。ここで、末梢というのは目や耳などの感覚器官のことで、脳というのは頭の中に入っていて独立して取り出すことができるものだと考えるのではなく、そこから神経が末梢の中に限りなく入っている…つまり、発生的に言っても、目は脳の一部という考え方です。この考え方だと、心は脳ではなく、むしろ感覚器官のほうだということになります。そうすると、心の原型はどこにあるかと考えると、一つの答えとしては内臓、つまり内臓こそが心が宿る場だという考え方ができるというわけです。

 そして4番目は、人と人との「関係性の中にこそ心が宿る」とするものです。他者と共感する、友人、家族に対して愛着を覚えるというときの、共感、愛着という言葉で想像がつくように、心は、対人、親子、友人、仲間など、コミュニケーションをベースとした関係性の中に生まれてくる、とするものです。これは精神分析においては基本的な発想です。
 さて、次回は、いよいよAIの心についてお話しますね。

妙木浩之(みょうき・ひろゆき)
1960年東京生まれ。上智大学文学部大学院満期退学。佐賀医科大学助教授、久留米大学教授を経て、現在、東京国際大学人間社会学部教授。南青山心理相談室、精神分析家。日本精神分析協会会員(準会員)。著書『寄る辺なき自我の時代』(現代書館)、『父親崩壊』(新書館)、『フロイト入門』(ちくま新書)、『初回面接入門』(岩崎学術出版)など多数。

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