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駒形一路先生「仰げば 天守」No.27 2022.5.20

高等学校国語科の教壇に立たれる駒形一路先生のご随想「仰げば 天守」(No.27)を、先生のお許しのもと、ここにご紹介いたします。

僕は予備校の講師であり、仕事は「いかにして生徒の偏差値を上げ、合格に近づけるか」ということに尽きる……のだが、本音を言えば、受験勉強を通じて読書の楽しみを知ってもらえるなら、そのことが一番嬉しい、というのが、嘘偽らざる思いだ。幸いにして指導科目が現代文ということもあり、"堂々と"読書のススメを説くことができるのは役得である。
とはいえ、やはり、読書に興味を持たない子どもたちに本を手に取ってもらうのは難しい。1日5分でいいから、としつこく口にはするのだが、読まない子はなかなかに読んでくれない。もう少しうまい勧め方はないものだろうか…と悩んでいたところ、「仰げば 天守」の次の一節に出会った。

自身の高校3年の時の担任Y先生のアドバイスを思い出して「Gパンのお尻のポケットにはいつも『古今和歌集』…」を真似てみている

なるほど。「子どもに本を読ませたければ、まずは親が本を読む姿を子どもに見せること」とはよく聞くアドバイスだが、この方法もまた、その一つだろう。読書という行為が日常のルーティンに組み込まれていない子に対しては、モノとしての本それ自体、あるいはそれを常に携行している様を見せることもまた、効果的かもしれない。僕もいろいろと試してみようと思う。

ところで、今回の「仰げば 天守」には、川端康成の小説をめぐって、以下のようなくだりがあった。

さらに驚いたことがあった。決定稿「南方の火」には、かつて本紙 No.4 にも記したことのある『掌の小説』のなかの最も好きな短篇「雨傘」が挟み込まれているのだ。

この、同一作家の作品Aが、作品Bの中に挟み込まれている…ということへの驚きについて、僕は、島崎藤村で似たような体験したことがある。詩「初恋」のモチーフを、小説「破戒」の中に読んだときだ。"名作"とは謳われても、鳥肌の立つ小っ恥ずかしさをもってしか読むことのできなかった「初恋」が、一気に、胸を締めつけるような珠玉の作品へと昇華された瞬間だった。詳しくは、以下の記事をご参照ください。


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