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コンコルドの誤謬 〜ヘイターについて思うこと〜

 コンコルドと言えば、かつて英仏が共同で開発した超音速のジェット旅客機である。

 投資した額の莫大さゆえに、採算の合わないことが明らかになっても、なかなかに開発をやめることができなかったという。

 こうした事例から、

それ以上継続しても何のメリットもないとわかっているのに、費やした額や労力の大きさゆえ、なかなかに断念することができない

という心理状態を表すものとして、「コンコルドの誤謬」あるいは「コンコルドの誤り」という言葉が使われるようになった。


 この社会には、残念ながら、ヘイターと呼ばれる人たちがいる。

 ある人は例えば駅前などで、ある人は例えば電脳空間などで、社会的な弱者を指差し、ときにいたいけな子どもに向かってすら、罵詈雑言、汚濁した言葉を投げかけている。

 ときどき、こう、思う。つまり、

相手が誰であれ、人に向かってそんな悪辣な言葉を吐きかけてはいけないなどということは、理屈や論理以前の話であり、だめなものはだめ、ということでしかないのに──本当に、彼らは、そのことがわからないのだろうか

と。

 「わからないのだろうか」の「か」には、反語の意味を込めた。つまり私は、どうしても、彼らが、自らの行為の非道に気づいていないとは思えないのだ。本当は、心のどこか、奥のほうで、自身のすることが正義などではありえず、極悪な蛮行でしかないことを、意識しているのではないか……。

 少なからぬヘイターたちは、きっと心のどこかで気づいている。「自分は間違っている」、と。

 私は、そう思う。そう信じたい。

 では、なぜ彼らは、自らの愚行を止めることができないのか。

 コンゴルドの誤謬──ではないかもしれないが、でも、自らの罪禍を認め、ヘイトをやめてしまうと、これまでヘイトに費やしてきた自分の人生を、否定してしまうことになる。それが怖い。怖いから…デマで"理論武装"をし、耳を塞ぐ。他者の声からも、そして、自分の内なる声からも……。

 内なる良心。

 その声が、どんなにかすかであっても聞こえたのならば、どうか、じっと心の耳を澄ませてみてほしい。

 もう、楽になっていい。

 ヘイトなんて、やめていいんだ。

 吐きかけたその汚い言葉を、そっと胸にしまおう。あなたの口は、そんな言葉で爛れさせるためにあるんじゃない。

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