雑談タイム:わからない読書
ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクという思想家がいます。主著は、『サバルタンは語ることができるか』。
僕にとっての人生の一冊ですね。
とはいえ、僕がこの『サバルタンは語ることができるか』を正確に読むことができているか、といえば、それはもう全力で、
NOォォォォォォォォッ!!!
と答えざるをえない。
だって……だってだって、、、
難解!
もーーーーーーーう、難解ッ!!!
難解きわまりnothing!!!!!
てかもう、ほとんど何を言ってるか、わからんちんのトンチキチンなんすよ……!
いや、まじめな話、きっと僕の頭が悪いことにも由来しようが、正直この本に書かれてあることの半分も僕には理解できていない。いまだに。
でも、それでも、この本が僕にとって人生の一冊であることは間違いないんです。僕はこの一冊を理解するために今の一日一日を生きている、とすら思ってるんです。
と言うと、「なんでそんなに理解できていない本を、人生の一冊とか言えちゃうの?」と疑問をお持ちの方もいらっしゃると思う。
こうした質問に対しては、僕はこう答えるしかありません。
直感。
いや、そらもう、直感っす。
と。
本屋さんでこの一冊を目にしたとき、そしてそのページをたぐったときの、ビビビッ!っていう、その一瞬に、僕は僕の人生のすべてをかけたのですよ……。だって、放ってんすもん、オーラ……「ゴゴゴゴゴ……」って。「我は四天王の中でも最強」って。
簡単に言うと、この本、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という本を読んでないと、きちんとは理解できないんですね。
だから、まぁ読みましたよ、この『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を。
ところが、この『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』が、まーたコレ難しい……。そりゃそうだ、だってフランスの近代史、とりわけナポレオン三世についての知識がなけりゃ読めるわけないんだから……!
よって今度はフランス近現代史の勉強。で、日本史受験者だった僕が、ひぃひぃ言いながらコイツ⬇︎を読み込んだわけです。
さらにさらに、スピヴァクは脱構築批評をベースに自らのフェミニズム理論を実践・展開する批評家なので、脱構築批評の入門書として定評のあるジョナサン・カラー『ディコンストラクション』も攻める……
等々、もう、きりがない。
で、ここまでバックグラウンドが理解できたのだから、もう読みこなせるだろうと思って再度チャレンジするも……
撃沈!
僕の脳ミソ、大破であります!
の繰り返し……orz
正直に告白すると、初めて読んだときに理解できた以上のことは、やはりほとんどつかめていないんですね…(^_^;)
こうしてこの20年ほど、僕はこのスピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』に、こんな感じで翻弄されてきたんであります。
でも、、、でもですね。
じゃあこの"終わりなきさまよい"は無意味だったのかと言われれば、僕は、
まったくそんなことはない!
と即答します。だってこの遍歴のおかげで、いろいろなモノに興味関心を抱くことができたし、それに肝心のスピヴァクがわからずとも、様々な知識や考え方を知ることができた。つまりは、世界がグンと広がったわけですよ…!
近年、「わかりやすい」ことを重視し、あるいは評価する風潮が強いですよね。そして確かに「わかりやすい」ことは、僕たちを学問へとつないでくれる、大切な架け橋となってくれます。
でも、と同時に思います。
わかりにくいモノに、負けを覚悟で全力でぶつかっていくことも、本当はとっても大切なことなんじゃないか
って。
では、今回の雑談はここまでです。
とりとめのない文章を最後までお読みくださって、ありがとうございました♬
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?