思想のことば【0019】
国境と国境のあいだには、場合によっては数キロ以上に及ぶ緩衝地帯が存在する
〜岡真理『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)〜
"国境線など、地図上にしか存在しない。この世界のどこにも、そのような線などありはしない"といった言葉はしばしば目にするが、こうした言葉の意味するところは、「人間が作り出した世界秩序の恣意性、あるいは相対性」ということだろう。しょせん国境線など、あくまで比喩…すなわち幻想に過ぎないはずなのだ…と。
しかし『ガザに地下鉄が走る日』の筆者は、また別の角度から、僕たちの抱く国境線のイメージの虚妄を指摘する。
僕たちのなかの、いったいどれだけの人間が、国境という言葉を聞いて、「国境と国境のあいだ」の「数キロ以上に及ぶ緩衝地帯」を想起するだろうか?
いや…もっと言うなら、その「緩衝地帯」で、いったいどのような出来事が起きているのか、そのことを考えたことのある人間など、きっと、そんなに多くはいないはずだ。
少なくとも僕は、この本のこの記述に出会うまで、国境は「線」…それをまたげばもうそこは、別の主権に属する領域である…と思い込んでいた。
むろん、「緩衝地帯」で起きている出来事に思いを馳せることなど、まったくできていなかったのである。
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