「肌色」と、僕の自由と。
「肌色」という概念を無くそうという試みは、果たして「言葉狩り」なのでしょうか。
社会や時代の状況が変わり、使うべきでない言葉が新たに生じたとき、あるいは、今まで何気なく使っていたけれども、その言葉が誰かを傷つけ、排除するものであるとわかったとき、その使用を控えようとする倫理を「言葉狩り」などというステレオタイプな表象で括るのは、思考停止に過ぎないと思います。
僕もこれまで、何人も、いわゆる"黄色"ではない肌の生徒を教えたことがあります。その子たちの存在を前にして、あるいは、こ