令和6年4月11日。私は子供部屋おばさんいなった。

令和6年4月11日。くらしのマーケットで見つけた軽トラの単身向け引っ越しで関東近郊の実家に戻った。引っ越し、不動産業者への引き払い、荷ほどき、ハロワ・・・身辺が一旦落ち着いた4月23日の夜中、これを書いている。

私は39歳独身、離婚歴なし。現在実家で父、母、妹(里帰り出産で帰省中)との4人暮らし。混ざり物のない、純度100パーセントの子供部屋おばさんだ。なお仕事は3月で離職したので正式には「子供部屋無職おばさん」である。

前の家のある三鷹には3年住んだ。家賃の割にグレードの高いマンションに一目ぼれし、部屋も気に入っていたものの、急行の止まらない最寄り駅から徒歩18分。職場から遠く、行きつけのお店やら趣味やらこれといった近隣コミュニティに属する事もなく、3年住んで友達が遊びに来た回数はたったの1回。20年ある自身の一人暮らし史上、ぶっちぎりで誰も遊びに来ない家だった。

退去をを決断したのは2月半ば。2023年の年末あたりからは、ここ1年の間にあった忘れたい事、嫌な記憶で構成された黒い走馬灯のようなものが毎日頭の中を流れていた。一日一度も笑わない日々、失業、孤独・・・楽しみと言えばYoutubeのちぃかわ考察動画とスマホで無料配信中の島耕作を読む事。夜になるとスーパーで4割引きの総菜を買いビールで流すのが日課。もう、三鷹の家に人生の勝算はなかった。

退去の決断を後押ししたのは失業だった。こんな最悪がこの世にあるんだな、と思うような、毎日大凶のおみくじを引いているような日々だった。本来であれば繋ぎで何か仕事を探すのがセオリーだが、今回は色々思う所があった。これまで通りや同じことの繰り返しじゃダメだと思った。

無理にひとり暮らしを継続させるよりも、資格を取得したり、いざとなったらどこかで住み込みで働いて、家賃分貯金した方がいいのではないか。一旦実家に戻る事、リセットする事は自然な選択だった。

「人間ほどほどでいい。」そういう風に言う人もいる。

確かに、夫と子供と軽でコストコへ行き、住宅展示場でヨーヨーすくいをして無料のやきそばを食べ、近所のママ友と「オリーブの丘って美味しいらしいよ」とか、ちょっと新しいチェーン店の情報交換をして、月2で会っておしゃべりするのは普通に楽しいと思う。ていうか絶対楽しい。持ち込みOKのカラオケ行きたい。

だけど私には「ほどほど夫」も「ほどほど子供」も、現在進行形で共通の話題がある「ほどほど友達」もいない。本当はまぁまぁ友達がいるけれど、普段のLINEはとても静かで、体感、人間関係はほぼゼロだ。車の免許も持っていないので「ほどほど軽」で「ほどほどコストコ」「ほどほど住宅展示場」に行くこともない。

だから「人間ほどほどでいい。」の「ほどほど=ほどほどの幸せ」こそが、私にとってはとてつもなくハードルの高い夢であり幻だ。お金の力ではどうにもならない、手に入らない、ほどほどドリーム。

しかしだ。どんなに黒い走馬灯が頭の中で流れても、ちぃかわと島耕作しか享受できなくなっても「自力でもっともっと稼ぎたい」「キャリアを築きたい」「とにかくお金を貯めたい」「頭をもっと使いたい」という欲はいつまで経ってもある。実は伴っていなくても、これは18歳の時からずっと変わらない。

だから、実家のお世話になりながら、失業手当を受給できるこの数か月間、「リスキリング子供部屋おばさん」になろうと思う。

自己鍛錬と規則正しい生活、屋根と食事のある安心感で自分を取り戻し、新たな人生の第一歩を踏めるのか踏めないのかわからないが、とりあえず毎日を可能な限り書き残していきたいと思う。

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