戦争映画2本の感想
※以前ピクシブファンボックスで書いた記事の再掲です。
こんばんは。
久しぶりに観た作品のレビューをしたいと思います。
忘れないうちに備忘録を兼ねて。
一部ネタバレを含みます。
映画「プライベート・ライアン」
★★★★★
WW2のノルマンディー上陸作戦のオマハビーチと、その後のある作戦を描いた
言わずと知れた戦争映画の名作ですが、3時間近くあって長いので
なかなか観る機会がなかったのですが、観ました。
映像の迫力の凄さと、お話の分かりやすさで、
歴史を知らなくても楽しめました。
全く尺の長さを感じませんでした。
主人公は米軍、敵はナチスなのですが、
ナチス側は一部を除き没人格化して描かれていたように思いました。
それは敵側に感情移入しないようにする基本的なテクであったかもしれませんが、
敵を殊更に悪人の集団として描写もしないという意図もあるかもしれないと思いました。
ここからネタバレになるのですが、
主人公の一行の中に、実戦は初めての元地図書き係がいるのですが、(ドイツ語が分かるというので作戦に抜擢された)
彼は人を撃ったことも無く、捕虜を感情のままに殺そうとする仲間を「軍規違反だ」と止めるシーンもあり、乱暴にラベリングするなら「戦争に染まっていない人間」という役割だったかもしれません。
それがクライマックスで、弾切れの仲間に弾を届けに行かなければならないのに、
怖くて行けなかったせいで仲間が殺されてしまいます。
へたり込んだ彼を、たった今仲間を殺したドイツ兵が見つけますが、ドイツ兵はこれを見逃します。(戦意を認めなかったため?)
しかしラストに、降伏して逃げようとするこのドイツ兵と再びまみえた際、
元地図書き係の彼はこの諸手をあげて降伏するドイツ兵を射殺します。
彼がなぜ自分を見逃してくれた、もう敗走するばかりの敵兵を撃ち殺したのか?
撃たなければこちらがやられるという状況にも見えず、(たぶん)
しかも一緒に敗走しようとしていた幾人かの敵兵はそのまま見逃していることも踏まえると、目の前で仲間を殺したその敵兵個人への復讐と見てよいのでしょうか。
軍規に照らして捕虜を逃がそうと言った彼が、大局的な戦いの中に個人的な感情を持ち込むようになったという事でしょうか。
正直よくわかっていませんが、他のシーンが分かりやすかっただけに、
なんかそこが一番心に残りました。
またラストシーンの、ライアン二等兵という存在に見る象徴表現はお手本のようなものだと思います。
映画「西部戦線異状なし」
★★★★★
これも戦争映画の金字塔、
アメリカの映画だそうですが、
今度はドイツ兵が主人公のお話です。
が、こっちはWW1です。
これも一進一退の前線の様子が迫力をもって描かれており、
また戦地になく、前線の悲惨な現状を知らず良い気で勝手な市民の様子などは
ある種デフォルメされて表現されており
とてもわかりやすく、面白かったです。
いや、あながち強調したわけでもないかもと思うと怖いですが。
前線の古株であり、「俺が死んだら戦争も終わりだ」なんて言う
カチンスキーという先輩がとってもいいキャラで、
主人公との友情が泣けます。
ラストシーンも美しく印象的です。
こんな反戦映画がWW2の前にあったのかと思うと、なんとも言えません。
最近思うことで、古い映画は特に、
白黒だったり、カメラの動き等に制限があるせいかもしれませんが、
こういった古い作品に見られるような、
どこかさっぱりとした、ドライな表現にあこがれがあります。
特に悲しみや悲惨さそれに類する感情を表現する際、
過剰で執拗な、暗くてじめじめした表現をしてしまうことが多いと思うのです。
私はしてしまいます。と思います。
それはわかりやすく感情に訴える為の先進的技法であるかもしれないですし、
それが悪いとか言う話ではないのですが。
とにかくこんな感じでクールでドライで、
それ故に一層悲しいように表現できたらな~と思うのです。
しかしこの映画を見ている間中思っていたのですが、
「西部戦線」という言葉が一度も出てきてなくないか??
いわんや「異常なし」をや。
小説が原作とのことなので、そっちを読めば書いてあるかもしれません。
機会があればこれはぜひ読んでみたいですね。
今回は以上です。
ではまた。
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