ジュースの記憶。

戻らない時間ってなんでしょう。

考えた時に、僕は真っ先にジュースの記憶を
無意識のうちに辿っていた。

どこかで誰かと遊んだ記憶とか
もう別れたあの子と付き合っていた時間とかも
まぁ同じく戻らないんだけど
それって、もちろん本質はその「誰か」にあるとは思うけど
同じ空間を別の「誰か」で補ったりすることは出来る。
だから、寂しいけど人は上書きすることで生きている気がする。

そんなことの繰り返しなら、“戻らない”
つまり、“もう二度と体感できないこと”はあるのだろうか。
そう考えた時、例のジュースの記憶が蘇った。

当時は怖いとしか思ってなかった親父に買ってもらった、映画館でのジュース。
水泳教室が終わって、兄貴と帰る前に買って飲んだジュース。

ジュースなんて、もうそこまで飲みたいとも思うこともなくなったし
買おうと思えば、自販機やコンビニ探して
100いくらのお金をポンっと出して買える。

あの時に飲んだジュースの特別感と言ったら
きっともう、この先一生味わうことは出来ないのだろう。
ジュースを飲むことは出来ても、あの気持ちは
今親父に買ってもらっても、兄貴と飲んでも
味わうことが出来ないもので
そんな上書きできない思い出を
これからいくつも過去に残して、置いていって
幾度となく切なくなるのが人生なのだろう。

そんな大切はもしかしたら、過ぎ去るまで
大切だと思わないから、輝いて見えるのかもしれない。