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第62話 苛々の宮崎君

「何でそんなこともできてないんですか!

もう、勘弁してくださいよ!」

来月に予定している作業に使う仮設材の発注がまだだった。仮設材のリース会社には大まかな数量と搬入時期の目安を伝えてはいるが、工程がおおむね固まってきたタイミングで具体的な日時を指定しておかなければ、リース会社の準備も進まない。この現場だけではなく、周りにも最盛期を迎えている工事が多い。さまざまな資機材を取り合っている状況があり、だからこそ早め早めの段取りが重要なのだ。

街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー、いわゆる「CJV」の一員である宮崎貴史は、このところ、毎日のように苛々していた。あの災害からの復興に従事して、ゼネコンの技術者として成長したい。そう思って何度も志願してようやく実現した赴任だった。

この現場の前は、都会の鉄道駅の大改造に向けた都市土木の現場にいた。地上を走っていた電車を地下化するプロジェクトで、深夜の限られた時間内で地上から地下へと線路を切り替える山場にも立ち会った。1年以上前から何度も検討と協議を重ねて、緻密に組み立てた施工計画をやり遂げた。

一つのミスも許されない緊張の連続だった。下っ端ではあったが、技術力とマネジメント力の重要性が身にしみた。無事に列車が走った報告を聞いて、激務を忘れさせるほどの達成感に包まれた。

技術者として上り詰めていくためには、30代半ばの今こそ、頑張るべきだという決意があった。一昨年に子どもを授かって、家族と離れる単身赴任にはためらいはあったが、子どもを守っていくためにも仕事を踏ん張るべきだと思った。

この復興街づくりで、DX(デジタルトランスフォーメーション)の最前線とも言える技術やシステムを取り入れていることは、社内の技術者たちに知れ渡っていた。大型の都市土木とは違った意味で、かけがえのない経験になるに違いない。

復興街づくりの一環で進められている防災集団移転促進事業として、小さな半島の中腹に約20戸の住宅団地を整備する工事が、宮崎に任されていた。CJV所長の西野忠夫からは、軌道に乗ったら別の工事も任せるつもりと言われていた。小規模区画の造成などさっさと卒業して、自動化システムが大々的に導入されている作業などのメンバーに加わりたかった。

だから、足を引っ張られるような現状に嫌気がさしていた。
しかも、よりによって先輩に当たる人間にだ。

ペアとしてあてがわれている同じゼネコンから来ている田辺修平のことだ。

いつもニコニコしていて愛想は良く、言葉遣いは丁寧で、真面目な性格。だが、いかんせん仕事が遅い。田辺がCJVに配属されたのは2年ほど前らしいので、現場のことは十分に分かっていて当然だ。40代半ばで、自分よりも現場経験を積んでいる。

それなのに一つ一つの業務の処理が、前時代のパソコンのようにスローペースだった。

今回の施工箇所は地盤が比較的良い場所で、起伏も激しくない。オーソドックスな小規模造成工事となる。測量して作業エリアを確認して、樹木を伐採して搬出し、抜根してから整地して、擁壁や仮設の山留めを構築して切り土と盛り土による造成作業へと入っていく。十分に締め固めながら地盤を整え、側溝や上下水道などのインフラを構築して、道路の部分を舗装する。建設会社に入って数年の土木技術者であれば分かる簡単なものだ。

実際に手を動かすのは協力会社と呼ばれる下請企業で、ゼネコンの現場監督は作業ごとに下請会社を調整しながら、必要な資機材も準備して、滞りなく作業が流れるようにコーディネートする。

手戻りや手待ちがないように、工程を固めて調整し、実際の現場で安全や品質の管理に目を光らせる。言うのは簡単だが、実際には神経も頭も使う。だから、まずはCJVのメンバー同士でしっかりと打ち合わせて、抜けが無いように準備するほかない。

「田辺君は、前に休職していた時期があって、責任者としての仕事は難しいんだ。だから、作業の一部分を任せるようなイメージでいてほしい。今回は宮崎君に全体を仕切ってもらう。先輩だからやりづらいところがあるかもしれないけれど、うまくやってくれ。頼むよ」
所長の西野からは、そう言われていた。

宮崎は、安全や品質上の問題があまり無いような作業を田辺に割り振っていた。打ち合わせ自体はいつもスムーズだ。

「来月に、予定通り南側から山留めに作業を始めましょう。少し作業が進んで、西側の動線が空いたタイミングで擁壁の方に取りかかろうと思います。私は山留めの計画を詰めて下請さんに連絡しておきますので、田辺さんは造成や擁壁の方をお願いします」
「わかりました。段取りしておきます」

そんなやり取りをしたのは3週間前のことだ。
当然、調整が済んでいると宮崎は思っていた。

「田辺さんの方は予定通りにいけそうですか?」

「あ、あっ。そうですよね。ちょっと待ってください。えっと…」
田辺は作業着のポケットから野帳を取り出してぱらぱらとめくり始めた。
視線は定まらず、ページも行ったり来たりして、焦りの様子が手に取るように分かる。

「造成と擁壁…。ですよね。

あれ? ええっと…」

ヘルメットの脇から汗がじんわりと垂れてきている。
野帳を持つ手が少し震えている。

「細かいことはいいですから、段取りが済んでいるかだけ教えてもらえませんか?」
「あ、はい。たぶん。あれは、恐らく…」

「たぶんとか、不確定なことはいいっすよ。段取っているかだけ教えてくださいよ」
「すいません…」

宮崎は、段々と苛立ちが募ってくる。言葉にとげが出てくる。
「すいませんって、そういうのじゃなくて、できてるんですか? できてないんですか?」
「すいません…。できていません…」

「なんで?」
ついついタメ口が出てしまった。先輩に対してまずい。

「なぜですか?」
宮崎は言い直して、言葉を丁寧にしつつも、語気はより強めている。

「いや、いろいろあって」
「いろいろ? いろいろって言われても分かりません。何かトラブルがあったのですか?」
「トラブルじゃないですが…」

地元の建設会社を発注して、造成工事や擁壁の構築などを進める算段だった。既に契約は結んでいる。
今回の復興工事で集めた下請企業の一つだ。宮崎らが所属するゼネコンとは、もともと付き合いが無かった。

この会社を実質的に切り盛りしているのは専務の久保拓也だった。30代になったばかりの3代目で、調子ばかりが良く中身が伴っていない印象を受けた。とは言え、復興事業が最盛期に入っている中で各現場が下請企業を取り合っている状況があり、選り好みはできない。

「久保さんのところですよね。あの会社に問題があるんですか?」
「いえ、何も。問題ありません。僕の連絡不足で…。申し訳ない」

「そんなこと言われても困りますよ!
もういいです。私が電話します」

ついつい声が大きくなる。田辺がか細い声で「ちょっと、それは…」と言ってきたが無視した。

周りにいるCJV職員にも聞かれているが、仕方がない。そもそも、迷惑を受けているのは自分だ。仕事を進めているのも自分一人。宮崎には、そうした自負があった。

そこには責任感と同時に、自らの仕事ぶりが試されていることへの恐怖心みたいな思いも同居していた。
余裕がないのは自分も同じだった。後から振り返れば誰にでも分かることであっても、リアルな場面では思いが至らない。往々にしてあることなのだろう。

宮崎は、事務所の電話から久保の会社に連絡を入れた。
打ち合わせに出ているようで不在だった。田辺に聞いて、久保の携帯に電話をかけた。
30秒ほど呼び出してから、ようやく久保が応答した。

「CJVの宮崎です。今ちょっと電話いいですか」
「久保です。お世話になっています。移動中ですが、車を止めましたので大丈夫です」

「うちの田辺からも連絡を入れている件です。
奥の離半島部の造成を来月から始めたいんです。以前からお伝えしていたスケジュールとほとんど変わっていません。
大丈夫ですよね?」

「あ、はい。大丈夫…。そう大丈夫です。はい」

大丈夫という言葉とは裏腹な弱々しい話しぶりが引っかかったが、そんなことを気にしていては先に進めない。
電話を掛けながら、宮崎は久保宛のメールに作業開始予定日を打ち込んで、工程表データを添付すると、「よろしくお願いします。CJV・宮崎」とだけ書いて送信ボタンを押した。

「詳細は今メールしました。後ほど確認してから、人員配置などの計画をこっちに送ってください。
それと、乗り込みまでの段取りを打ち合わせしたいので、都合の良い日程を教えてもらえますか?
人員配置とかの見通しは、打ち合わせの時でもいいです」

「いつくらいがよろしいでしょうか?」

「そうですね。週内にはめどを付けておきたいので、明日とかかな。
今日でもいいですよ」

「今日?! 今日はちょっと…。明日…。明日ならなんとかします。
時間は確認してから、折り返します」

「頼みますよ。それじゃ、よろしくお願いします」

受話器は静かに下ろしたが、宮崎は苛立っていた。
なぜ、自分の周りには煮え切らない面々ばかりが集められてしまうのか。
ずっと前から話をしている仕事なのだから、段取りしておけば何も問題ないはずなのだ。

隣に目をやると、申し訳なさそうな表情をしながら田辺がうつむいてじっとしている。
「問題ないですから気にしなくていいですよ」とでも言ってもらいたいのか。
手を動かしているのは自分なのに、なぜこっちが気を遣わなければいけないのか。そう思うと余計に苛々が募る。

「とりあえず久保さんから連絡を待ちましょう。
田辺さんは、想定される安全面での注意点をもう一度洗い出しておいてください。
工程表はメールしましたから、それに合わせて持ってきたプランで詰めていけば大丈夫です」

「大丈夫ですか…ね?」

「はあ? 何がですか?」

「いえ…。人とか。
いや、いいです。何でもないです」

「大丈夫も何もこっちは契約してるんですよ。請け負った以上、やってくれなきゃ困りますよ。
それを考えるのは向こうの仕事でしょう。

やっぱ下請けを選べないってきついなあ。都会じゃこんなことないですよ。
ごちゃごちゃ言うなら別の会社を探しましょう。
切るなら早めに切り替える方がいいんですよ。

だいたい、あの久保って専務、私よりはちょっと下でしょうけど、小さくても会社の役員なんだから、もうちょっとしっかりしてほしいですよ。

あーあ。ついてない」

田辺は、黙ったままだった。
別件で宮崎に電話が入り、田辺との話はそこで終わった。

赴任前に手掛けた鉄道駅の大改造工事での切り替え作業をテーマにした論文投稿の相談だった。
当時の副所長が代表となってまとめており、宮崎も一部を執筆していた。現場業務と並行して、学会での発表準備も進めなければいけない。
今日は残業して論文を準備しようと宮崎は思った。

だからこそ、来月の工事の打ち合わせなどさっさと済ませておきたかった。
昼が過ぎ、午後になって一度、現場を回ってきた。
この間、携帯電話を何度も確認したが、久保からの着信はなかった。田辺からの連絡も来ない。
メールかもしれないと思って、パソコンもチェックしたが返信はない。

こいつら、本当に使えない。

苛々が心の中にどんどん積もっていく。

日が暮れてきて、夕方に事務所に戻った。
事務所内が少しざわついていたのが気になった。

田辺がいない。
後輩の中西好子に「何かあった?」と聞いた。

「造成とかをお願いしている協力会社の方が交通事故にあったみたいなんです」

「交通事故? 誰?」

「久保の息子だ。お前の工区に入ってるんじゃないのか」

副所長の本村雅也がぶっきらぼうに叫んだ。

「え!? 久保専務ですか?」

宮崎は、言葉を詰まらせた。

苛々していた気持ちが、すっと抜けていくと同時に、不安な感情が一気に膨らんだ。なぜだか分からないが、嫌な予感がした。

CJVの仕事は繁忙を極めており、それぞれの業務で大小様々なトラブルが起きていた。
皆が自分の仕事だけで精一杯で、周りに気を配る余裕はない。

周囲からはカタカタとパソコンを打つ音や電話の声が聞こえてくる。

どうしてだ…。

宮崎は一人、顔をこわばらせて立ちすくんでいた。

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