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一段階“いい文章”にするための「視点を変える」推敲術

 前回のnoteでは、ある程度の分量のまとまった文章を書く上でのちょっとした「コツ」を紹介した。

 が、あえて推敲については触れなかった。というのも、推敲だけで1本書いてみたかったからだ。今回は、僕自身の編集者としての体験的推敲論を書いてみる。

「2つ目の視点」を物理的に作ろう

 推敲とは、説明するまでもなく、「文章を練り直し、よくすること」である。

 編集者は、色々な「書き手」から原稿をいただく。誰よりも先に原稿を読ませていただき、その上で、色々な「提案」をさせていただく。

「こことここは順番を入れ替えたほうが良いかもしれません」
「この表現は、伝わりにくいから、こっちの表現にしたほうがいいのでは?」

 もちろん、書き手は、念入りな推敲をした上で、編集者に原稿を送っている。そこに、編集者の「もう1つの視点」が入るからこそ、文章はブラッシュアップされる。「こうすればもっといい原稿になる」「書き手の良さがこうすれば活きる」と思った箇所を、遠慮なく伝えること。それが編集者の仕事だと僕は考えている。

 書き手と編集者。「2つの視点」を通過して、「プロの原稿」は完成し、本や雑誌、ウェブ媒体に乗って世の中に出ていく。

 一方で、僕ら「文藝春秋」の編集者は、自分でインタビューをして、自分で記事を書くことも多い。そのとき、僕らは「書き手」であると同時に「編集者」にもならなければならない。

 これは、パソコンに向かってnoteやブログを書いている人と、まったく同じ状況といえる。

 もちろん文章を知り合いの編集者に見てもらうに越したことはない。でも、周りにはそんなに多くの編集者がいるわけではない(僕でよければ、いつでも相談に乗りますが)。

 でも、編集者がいなくても、大丈夫。僕らと同じように、書くときに「一人二役」をやればいいからだ。すなわち、あなた自身が「書き手」と「編集者」の役割を果たせばいいのである。

 とはいえ、いきなり「編集者になれ」と言われても困るだけだろう。僕もそんなことを言うつもりはないし、職業的編集者になる方法を説明するわけでもない。

 先ほども述べた通り、編集者が入って書き手の原稿が良くなる理由は、「視点」の数が増えるからだ。書いた時に気がつかなかったことに気がつく「2つ目の視点」によって、文章は一気にブラッシュアップされる。

 そして、1人しかいないのであれば、その「2つ目の視点」を物理的に作ってしまえばいいと僕は考えている。

 僕は自分でインタビューをして原稿を書くたびに、必ずそれを実践してきた。そして、このnoteを書いている今も、実践している。物理的に「2つ目の視点」を作ることで、より素晴らしい推敲ができるようになり、一段階“いい文章”が生まれるので、以下の2つの方法は、ぜひ実践してみてほしい。

【作り方1】プリントアウトして、手書きで書き加えていく

 僕自身は、ほとんどこのパターンで推敲をしていた。

 というか、僕に限らず、「文藝春秋」の編集者はみんな、この方法で推敲していると思う。記事を書き終えた編集者が、眠そうな目をこすりながらコピー機の方に歩いていく姿は、お馴染みの風景である。

 なぜプリントアウトして推敲することを推奨したいかといえば、パソコンの画面とは、圧倒的に見え方が違うからだ。

 紙に打ち出して読み返してみると、「あれ、こんなこと書いてたっけ」「うわっ、『てにをは』が抜けてるじゃん」など、一目で気がつくことだらけである。

 何時間もパソコンのワードやエディターと睨めっこしていると、その文面は、書いている人にとって「見慣れた光景」になってしまう。一度書き終えて、冒頭に戻って上から順々に推敲していっても、自分が書いてきた原稿はすでに「見慣れた光景」になってしまっているので、自分では推敲しているつもりでも、小さなことを見落としがちなのだ。

 だから、強制的に「視点」を変える。ワードやエディターでは「見慣れた光景」だったのに、紙に印刷した途端、不思議なことに、知らない街に来たような心地よい緊張感が生まれる。そして、冷静な「2つ目の視点」で原稿を読めるようになるのだ。

 ちなみに、僕はこんな感じでプリントアウトして推敲をやっていた。

 コピー機から出てきた「紙」を前にすると、2つ目の視点を持った自分、すなわち「編集者」人格の自分が現れる。そして、気になるところを、一気に直していく。

 記事中の「小見出し」も、パソコンのエディターで書いているときにはあえて考えず、手書きで推敲するときに一緒に考えていた。手書きだと、突然いい「コピー」が生まれることもあるからだ。

 こうして書き込んだ「紙」は、1つ目の視点を持った自分、すなわち「書き手」人格の自分に渡す。そして、パソコンで、その赤字を反映していく。

 一見、非効率そうに見えるかもしれないが、これは「推敲の必勝法」といっていい超スタンダードな方法だ。「文藝春秋」では、私が見る限り、みんなこのスタイルである。


【作り方2】パソコンを閉じてiPhoneで見て、修正する

 とはいえ、コピー機が自宅にないという人も多いと思う(紙を無駄にしたくないという人もいるかもしれない)。

 実は、そんな人のための方法もある。プリントアウトした時に得ることのできる「2つ目の視点」をもっと簡単に得ることのできる方法が。

 使うのは、iPhoneだ(もちろんiPhoneじゃないスマホでも構わない)。

 繰り返し説明している通り、推敲するときに重要なのは、「視点」を変えることである。プリントアウトして「紙」にしてしまう、というのは、その最たる方法で、強制的な「視点の切り替え」だった。

「視点の切り替え」ということに限っていえば、別に紙じゃなくても可能だ。見え方が違えばいいのだから、パソコンでみていた画面をスマホで見て、強制的に「見え方」を変えてしまえばいいのである。

 ちなみに僕はnoteを始めてから、推敲はほとんどこの方法で行なっている。

 例えば、今書いている文章をパソコンで見ると、こうなる。

 これをnoteのiPhoneアプリで見ると、こうなる。

 もちろん、アプリじゃなくでも大丈夫だ。ブラウザでもまったく問題ない。

 パソコンからスマホに入れ替えたことで、段組が変わった。文章が折り返す場所も変われば、ひとつひとつの単語の場所も違うところに位置している。

 同じ文章でも、こうして違う風に見えると(見慣れた風景じゃなくなると)、「あ、ここ直したいな」「ここ変だな」と思う部分が出てくる。その「気づき」こそが、推敲する際にもっとも大切なこと。こうして、気づいた部分を直していくと、文章はどんどんよくなっていく。

 スマホは紙と違って書き込みができないので、プリントアウトとまったく同じ機能を果たしているとは言えないが、「視点」を変えて「気づき」を得ることが重要なので、まあ細かいことは気にしない。

 スマホで読みながら、気になる部分をスマホで直接、修正していく。一通り、修正が終わったら、改めてパソコンを開いて見てみよう。さっきとはかなり印象の違う「いい文章」になっているはずだ。

 こうやって推敲を重ね、文章を整えていく作業は、書き手にとって、この上なく幸せな時間である。構成を作って方向を定め、文章を書き上げていく作業が「家の土台を作る作業」だとすれば、推敲は、「インテリアを並べて、自分好みの家にしていく作業」だと僕は考えている。文章を書く過程の中で、最も楽しいひと時だ。

◆◆◆

 1つ1つの文章をどう直すか、ということまでは今回は言及しない。

 直し方には好みがあるというのもあるし、何よりも、自分自身が「お、推敲をした結果、めちゃくちゃいい文章になったな」という満足を得られることが、何よりも大切だからだ。

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