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「人は活字コンテンツの何に課金するのか」という永遠の問い。

見せすぎですかね?

「見せすぎじゃないですか」

 と、よく言われる。「文藝春秋digital」で有料販売している記事の無料部分のことである。実は今、ほとんどの記事は半分くらい無料で読めるようにしている。

 ネットメディアが記事を販売する際に、

「有料で売っている記事なのに、そんなにたくさん読ませてしまって大丈夫なのか?」

 と考える人は意外と多い。経費をかけて記事を作っているのだから、むやみに無料で読ませてはダメだ、ちゃんとお金を払った人にだけ記事を読ませてあげよう、ちゃんと対価をもらおうじゃないか、というわけである。

 ですよね。至極、真っ当な考え方だ。だが、正論を述べたところで、売れなければ意味がない。はたして、記事をチラ見せするだけで人は課金ボタンを押してくれるのか?

 そもそも、人は何に対して課金しているのだろうか。ネット上における活字コンテンツを前に、人は何に対して「お金を払ってもいい」と考えるのだろうか。

韓国にはない“ネットメディアの課金文化”

 余談だが、韓国では、Kindleのような電子書籍(例えば韓国にはRIDI BOOKSという電子書籍リーダーがある)は別として、ネットメディアが配信する記事に課金するという文化はほとんどないらしい。

 「文藝春秋digital」の仕事を任されることになり、何人かの韓国人の知り合いにこれから自分がどんな仕事をするのかを説明したところ、みんな口を揃えて、

「ネットに出ている記事は無料なんじゃないですか。有料にして、誰が買うんですか」

 と言っていた。

 現在、韓国のネットメディアはほとんどが無料記事配信による広告モデルで運営されているため、PVによる広告収入ではなく有料課金を主な収入源にするビジネスモデルには懐疑的なのだろう。

 ただ、「ニューヨーク・タイムズ」などアメリカでの成功例を受け、日本で有料課金シフトが始まったのがここ数年であることを考えると、韓国でアメリカを模した有料課金シフトが数年後に始まることも容易に想像できる。ネットメディアの有料課金に対する日韓の考え方の違いはとても興味があるので、今後、調べてみたいと思っている。

人は「文字量」には課金しない

 話が逸れた。ネットメディアで人は何に課金しているのか、という問題である。

 当たり前だが、これに対する明確な答えは今の僕には分からない。そりゃそうだ。簡単に分かれば苦労しない。この仕事を続けて行く限り、僕はこの問いの答えを探し続けて行くことになるのだろう……。

 ただ、サイトオープンから1ヶ月、色々と試行錯誤しているうちに、「人はこれには課金していないだろう」という対象がなんとなく分かってきた。

 その1つが「文字量」だ。

 購買者の動向を見ていて気が付いたのは、多くの人は記事の文字の量の対価としてお金を払っていないということだ。今、記事の半分ほどを無料部分にしているのは、それが大きな理由である。無料部分を少なくして有料部分を増やし、「はい、ここから有料です。読みたいでしょう?」と言ったところで、読者は全然そそられないのだ。

 むしろ僕は、“出し惜しみ”をしたら逆効果にしかならない、とさえ考えている。

 自分だったらどうだろうか、と考えてみればいい。

 気になるニュースを追いかけているうちに、ある新聞社の運営するウェブサイトに辿り着いたとしよう。そこで読みたい記事を見つけた。クリックする。ところが、記事のタイトルと冒頭20文字くらい読めたところで「続きは有料会員しか…」「残りは●●●●文字」という表示が出てきた。

 この時点で気持ちは冷めてしまうだろう。「このサイトはケチくさいなあ」と。

 そして、頭はしっかりと「このサイトはあまり読めないから、もう行くのはやめよう」とインプットしている。間違っても、課金して残りの「●●●●文字」を“買う”という意識にはならないはずだ。

記事のバリューを可視化する

 じゃあ、何なのか。何に課金しているのか、という問いに再び戻る。

 僕はこういう仮説を立てた。

 性善説すぎる、と笑われてしまうかもしれないが、人はネットメディアの有料記事に「無料で読める部分にどれだけ得るものがあったか」「この記事にはどんなバリューがあるのか」をはっきりと悟った時に初めて課金ボタンを押してくれるのではないだろうか。ここまで読ませてくれてありがとう。ようやく分かったよ、これは面白い記事だから買うよ、と。

 僕たちが作った記事を購入してくれた人たちがSNSに書いてくれた感想を読んでいるうちに、ふとそういう気がしてきたのだ(希望も込めて)。

 もちろん「その記事にバリューがある」ということは大前提。バリューがないツマラナイ記事は、どれだけ無料部分を大きくしたところで、意味がないだろう。

 この(希望的な)仮説を頭の片隅に置き、「文藝春秋digital」は今後も“記事の面白さ(バリュー)”を可視化しつつ、有料課金の道を歩んでいこうと思う。 

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