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アメリカ生活開始までの階段1

さて、私がなぜアメリカを選んだのか。というところを少し語ろうと思います。

学歴のコンプレックス

時は遡り、私が人生で最も楽しかったといっても過言ではない小中学生時代。一緒に過ごした一番仲良かった4人グループの1人だった私は、中学まで全員公立で同じ学校で過ごしていた。64のスマブラをするのが日課になっており、毎日スマブラ→トランプの大富豪→スマブラといったような遊び方をしていた。こんな毎日がずっと続くと漠然と思っていた。

ところが、大学生になると、私以外の3人はみんな、東大、東大、京大へ進学していった。高校の時に一番仲良かったヤツも医学部へ進学した。
私は日東駒専以下の大学。

そして大学を卒業すると、みな一流企業や国家公務員として働き始めた。私は大手企業ではあったものの、営業職で労災の自殺者を隠ぺいするような超ブラック企業へ就職した。

社会人の現実と劣等感

社会人になると年収にも差が出てくる。社会人1,2年目は正直さなんてほとんどなかった。

だた、社会人3、4年くらいでぐっと差が出てくる。
私はその時は毎日サービス残業で給料は350万だった。4年目の営業職。
ほぼ昇給はなかった。

ところが、その一流企業に就職した行った友達と飲みに行った時の友達の言葉は私にとって衝撃的だった。

友達「残業はたまにあるけど、給料は毎年100万あがるよ。俺は今800万くらいあるかな。」

僕は言葉を失った。俺の2倍以上じゃん。そんなにもらってんだ。。。
この時の私は年収で人の価値を大きく判断する時期でもあった。仲良かった友達の前に苦笑いをしていた記憶がある。
さらにその友達は続ける。

友達「32歳くらいまでは100万ずつ上がるから1200万くらいまでは上がるけど、そこからは横ばいかな。」とのこと。

とてつもない劣等感が私を襲った。
医学部の友人も研修医が終わり、年収は1000万は超えてくるだろう。
年収劣等感まみれだった

私は営業職。どんなに頑張っても営業課長で今の会社だと600万くらいだと聞いている。

特別な道を選ぶ決意

この時、普通の道ではだめだ。特別な道を選んで進まないと。

そこで、私は日常会話の英語くらいは話せることを武器に海外へ行って、特別なキャリアを積んで帰ってきたら、彼らの年収に追いつけるような人材になるんじゃないか。と思ったのだ。身の回りに20代後半で海外に行った人はいない。
理由はほんとこれ。まっとうに勉強や努力だけでは彼らには勝てないと思った。この劣等感をどうにかしたかった。

年収は今より下がってもいい。海外に行く道を探そう。そう決めた。

ただ、どう海外に行ったらよいかわからなった。とりあえず、外資系に就職すれば海外に行く機会はあるだろうと適当に見切り、外資系の転職活動を受けまくった。

そこでもらった内定。当時人気の就職先で、評価も高かったセールスフォースに就職が決まった。年収も500万円になるし、これからも上がる見込みが高い状態だった。27歳で年収があがるということに当時は心躍るような気分だった。自分に500万円の価値があったんだ。っと。
まだまだ友人には及ばないけど、俺の巻き返し劇ここからだ!と意気込んでいた。

会社の上司との喧嘩と挫折

ところが、今の会社の上司に辞めることをいうと、上司にブチぎれられた。人情熱いヤクザみたいな上司だった。嫌な人ではなかったけど、とにかくあと半年は続けろとのことだった。
上司の説得に何度もあった。業務中、近くの空き地の人目のつかない駐車場に連れていかれ、胸ぐらつかまれた。
「おまえ、今の仕事こんな中途半端に投げ出して次に行こうとしてるのか。なめてんじゃねーぞ!」

ものすごい威圧感だった。
僕は無言または「はい、、、」しか言えなかった。

お世話になった上司でもあった。泥を塗るような感じで正直本当に申し訳ないと思っていた。でも自分のやりたいことのためには仕方がないと思っていた。

とても熱いアツイ上司の説得に何度も会い、結果、私はなんとその就職先を蹴り、半年続けることにした。

今思うとどんだけ自分、意志が弱いんだよ!って思うけどね。

でもね。私の心にしこりがあった。

「セールスフォースに入社しても、海外には行けないよ。」

これは当時採用担当の現場のマネージャの人が言っていた。

そう。外資系キャリアは積めるけど、海外には行けないのだ。

なんか少し自分が想像していたのと違うな。でも年収上がるし、働きやすいで有名な会社に入社できるんだからいいか!って漠然と考えていた。

だから、上司の言葉に心が揺らいでしまったのかもしれない。
結果論だけど、その上司には今とても感謝している。
「そんな俺の言葉で意思を曲げるような判断は間違っている。」 そう教えてくれたのだと今考えている。


そして、なんと会社を半年後に辞めることは決定したのだが、セールスフォースはそんなに長く待ってくれないので、就職の話はなくなったのだ。

何故か半年後に無職になることがきまり、就職先もなくなった。27歳。
どうしてこうなったんだ。。。汗

無職が決まり、再就職活動

ここから先はまた別の次の記事で書きますね!ここまで読んで下さりありがとうございます!

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