【リライト版】小説『魔女の遺伝子』第一話「クローンの少女」
概要
本作はnoteに登録後、最初に投稿したものの行き詰まった作品『魔女の遺伝子』を再構築したものです。序盤はほぼ同じですが、まどろっこしいところを解消するため、全体をよりシンプルにする予定です。「適度にヘヴィだが読みやすいエンターテインメント作品」を目指して書いているので、よければご一読ください。
登場人物
ナタリー・ホワイト:愛称ナターシャ。五百年前、迫害を受けていた能力者を束ね、国家転覆を企てた少女。国に甚大な被害をもたらすも、最終的に捕らえられ処刑された。
エリザベス・アヴェリー:愛称リサ。本作の主人公。政府の少子化対策の一環として作られたクローン人間の一人。本人も彼女の友人もそのことを知っている。
アレクシア・ハインズ:愛称アリー。リサの幼馴染で親友。活発でスポーツ万能。
ヴァネッサ・ハートリー:誘拐されたリサの前に現れた女性。能力者。
本文
ある穏やかな春の朝。とある国の法廷にて、うら若き娘の裁判が開かれていた。彼女の名はナタリー・ホワイト。愛称ナターシャ。光輝く長い銀髪と、透き通るような白肌を備えた、細身でやや背の高い可憐な娘。その瞳は奈落の底のように、暗く、深く澱んでいた。
「……本件における殺害行為のうち、被告人ナタリー・ホワイトによるものを正確に把握するのは困難である。しかしながら遺体に残された魔術の痕跡から、その数は少なくとも非戦闘員六百名以上、戦闘員二千四百名以上、将校十八名以上と推定される。最も多かったのは重度の熱傷で、総数は……」
裁判長の口から、彼女の犯した身の毛もよだつような罪の数々が淡々と語られた。当のナターシャは少し俯いて、聞いているのかいないのかわからない様子で証言台に立っていた。
「……非戦闘員の虐殺は非人道的で許されざる行為であり、情状酌量の余地はないものと考えられる。また被告人の共謀者たちによるものも含めれば、我が国に与えた損害は甚大であり、疑いようもなく極刑が妥当である。以上をもって、被告人ナタリー・ホワイトを死刑に処する」
判決は死刑。法廷に集まった人々はざわつくこともなく、外でさえずる雀の声が聞こえるほど場は静まり返っていた。そんな中、それまで微動だにせず俯いていたナターシャが、急にくすりと笑った。
「量刑に異論はありません。たしかに私のとった行動は社会的に許されないものです。……ですが裁判長。法の番人としての権限を行使されるなら、私より先に裁くべき方が大勢いらしたのではないですか?」
彼女の言葉に、裁判長は全く動じる様子がなかった。
「当裁判では被告人の発言を許可していない。判決は確定した。以上をもって当裁判は閉廷と……」
彼はナターシャの質問を無視し、閉廷を宣言しようとした。しかしそれを遮るかのように、ナターシャは顔を上げ、唐突に高笑いをしだした。
「あはははは! 被告人の発言を許可していないですって!? そんな裁判にいったい何の意味があるというの!? ただ事の経緯を並べて、一方的に罪状と量刑を言い渡すだけの茶番に! こんな下らないことをするくらいなら、私の両手を切り落としたとき、ついでに殺せばよかったじゃない!」
ナターシャには両手が無かった。彼女は生まれ持った異能力で多くの人間を殺害した。その力は彼女の両の掌と、四つの衛星から発せられた。彼女は自分と同じように迫害を受けていた能力者を集め、国家転覆を企て、社会に復讐をしようと試みた。しかしあと一歩のところで敗北し、その場で両手を切断された。
「証言台に立たせておきながら、魔女には発言権すら与えない。あなたたちの大好きな見せしめね! ああ、なんて悪趣味なこと!」
ナターシャはその場にいる者すべてを、まるで死骸に湧いた蛆虫でも見るかのように蔑み、激しく皮肉った。
本来なら数秒あればこの場にいる全員を消し炭にできるほどの力を持つナターシャも、今やどこにでもいる年頃の娘でしかない。彼女がどれだけ不快感を露にしようと、最早本気で恐れる者は一人もいなかった。
「以上をもって当裁判は閉廷とする」
裁判長は改めてナターシャの訴えを無視し、そのまま閉廷を宣言した。しかしナターシャは、そんなことはお構いなしに喋り続けた。
「私の生まれ故郷……。あの忌々しい田舎町で私たちを迫害してきた奴ら……。あいつらは死の間際ですら、自分たちの何が間違っていたのか理解していなかった。恐怖以上に、なぜ自分がこんな目にって驚きが顔に現れていた。そのとき私は確信したのよ! こんな奴ら、根絶やしにでもしない限り同じことを繰り返すって! だから私が裁いてやったのよ! あなたたちの代わりにね!」 証言台から一歩も動かず、ただひたすら己の言い分を口にするナターシャを見て、裁判長は右手で何かの合図をした。するとナターシャの後にいた衛兵が、すぐさま彼女を羽交い絞めにした。彼女の一連の行動が審判妨害と見なされたのだ。
「放して! あなたもそうなんでしょう!? 自分は人として当然の行いをしてる! 社会を乱す異分子を取り除いてる! そう思ってるんでしょう!?」
ナターシャは精一杯抵抗したが、屈強な衛兵の腕を振りほどくことができず、そのまま出入口の方へ引きずられた。
「断言するわ! あなたたちはこれからも同じ過ちを繰り返す! あなたたちの子孫も同じように誰かを迫害して、その度に第二第三のナタリー・ホワイトに復讐されるのよ!」
彼女は捨て台詞を吐いた後、その場から強制退去させられた。
法廷に残された人々の反応は冷ややかだった。ある者は邪悪な魔女に天罰が下ったと誇らしげに語り、またある者は社会の塵が一つ処分されたと言って安堵の表情を浮かべた。しかし彼女の立場に立ってその心情を推しはかろうとする者は、ただの一人もいなかった。
その七日後、彼女の刑は予定通り執行された。当時としても異例の早さだった。
それからおよそ五百年の歳月が過ぎた。
ーーー
ある穏やかな春の朝。とある国のごく普通の地方都市で、一人の女子高生がいつものように登校していた。彼女の名はエリザベス・アヴェリー。愛称リサ。光輝く長い銀髪と、透き通るような白肌を備えた、細身でやや背の高い可憐な娘。その瞳はまだ穢れてはいなかった。
「リサー!」
駅に向かう途中で、後から彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。彼女の親友、アリーだった。
「アリー、おはよー」
「おはよー、リサ!」
アレクシア・ハインズ。愛称アリー。リサの幼馴染で、ブラウンのショートヘアがよく似合うリサより少し背の低い娘。
アリーはリサの首筋に鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。
「やだー、やめてよアリー!」
リサは笑いながらアリーの肩を叩いた。
「うん、今日もいい匂い」
「意味わかんないよ」
彼女はまんざらでもない様子だった。自分から積極的に人に絡むのが苦手な彼女にとって、自然に懐に入ってくるアリーは親友であり憧れでもあった。
「リサのいい匂いを嗅ぐのはあたしの趣味なの。でもだめって言われたらやめるよ」
「だめじゃないよ」
そう言ってリサもアリーの首筋に鼻を近づけた。
「アリーもいい匂い」
「えへ。ありがと」
こんなことばかりしているせいか、二人はそういう関係なんじゃないかと学校で噂が立つこともあった。しかし当人たちにそんな気はなく、ただただ仲が良いだけだった。
二人の通う高校は市内では中の上くらい。特別レベルが高いわけでも敷居が高いわけでもない。いわゆる「一応は進学校」くらいの普通の高校だった。
リサはよく見ると美人で成績もそこそこ優秀。アリーも勝ち気な性格に目を瞑れば端正な顔立ちをしているし、運動神経も抜群にいい。特徴といったらそれくらいで、あとは二人とも概ね普通の女子高生だった。ただリサは一つだけ違うところがあった。
リサはクローン人間だった。政府が少子化対策にクローン技術を活用することを決定した際、最初期に造られたクローンの一人が彼女だった。リサ自身そのことをすでに知っていたし、アリーも承知の上で彼女と仲良くしていた。しかし世のすべての人がクローン人間に寛容なわけではなかった。
その日は土曜日で学校が早く終わったので、放課後、リサとアリーは一緒にランチを食べに行くことにした。
「今日はどこにしよっか?」
駅前に向かう途中、アリーはリサに尋ねた。
「アリーはどこがいいの?」
「うーん……。今の気分はー、カフェ・ド・シャンピニョンのカルボナーラかな」
カフェ・ド・シャンピニョンは、この地方で幅広い層に人気のカフェだ。市内だけでも数店舗あり、特に駅前店はいつも人で賑わっている。懐かしい雰囲気の心地よい空間に、厳選した豆を使ったこだわりのコーヒー。それに年頃の女性には嬉しい、量を選べるランチメニューが人気だった。
「私も! シャンピニョンのカルボナーラ、美味しいよね!」
「ねー! めっちゃ美味しいよね! じゃあ、今日はそれで決まりね!」
かくして二人はカフェ・ド・シャンピニョンでランチをすることになった。
午後一時半。昼食を終えた人々があらかた去り、駅前の飲食店は適度に空いていた。二人はブラウンのガラス越しにカフェの中を覗き込んだ。
「席、空いてそうだね」
アリーは目を凝らしながらそう言った。
「うん」
「じゃあ入ろ」
彼女はリサの手を引いてカフェの中に入った。
ドアのベルがカラカラ鳴ると、ウエイトレスが近付いて来た。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「二人です」
アリーは指で二を示しながら言った。
「かしこまりました、ご案内いたします」
二人は奥の壁側の四人がけの席に通された。
「こちらのお席にどうぞ」
「はーい」
席につくと二人は鞄を置いた。
「よかったね、空いてて」
リサは嬉しそうに笑った。
「きっとあたしたちのために席を用意してくれてたんだよ」
「ふふ、なにそれ」
二人は和やかな雰囲気でメニューを開いた。
「さてと。じゃああたしはカルボナーラね。リサもカルボナーラ?」
「うん、私もカルボナーラにする。あ、でも茄子のボロネーゼもいいなー」
「じゃあさじゃあさ、別々の頼んで半分こしよーよ」
「いいね。そうしよ」
そんな風に楽しくメニューを選んでいると、近くの席に座っていた四人のマダムの会話が二人の耳に飛び込んできた。
「ねぇ聞いた? ギルバートさんとこの子、クローンらしいわよ」
「あのシュッとした顔の女の子? へぇ、どうりで親に似てないのね」
「こう言ったら失礼だけど、ご両親はすごく平凡な顔してるじゃない? あれであんな子が生まれるわけないものね」
少子化対策として政府主導で大々的に造られたとはいえ、クローン人間の数はそうでない人に比べればずっと少ない。政策は施行から五年ほどで打ち切られたが、その後もあからさまに差別されることは稀だったものの、このような偏見に晒されることが少なくなかった。
「最初に造られた子たちは十七歳くらいよね? これから進学や就職で差別されたりしないかしら」
「でも変な病気にかかって辞められたらたまったもんじゃないわよ。かわいそうだけど、そんな子を無理して雇いたくなんかないわよね」
クローン人間はそうでない者より病気にかかりやすい等の噂の多くは科学的根拠のないデマだったが、そういった情報を発信する者は後を絶たず、それを真実だと思い込む者も一定数いた。
また弱者救済を大義名分に若者を尖兵として取り込もうとする活動家や、社会問題に逐一哲学的な考察を加えなければ気が済まない共感能力に欠ける知識人なども、当然のごとくこの問題に食いついた。
かと思えば自らクローン人間であることを公表してインフルエンサーになろうとする者や、その熱烈な信者まで現れ、SNSを中心にクローン問題は何かと世間を騒がせる話題となっていた。
リサはそういうものになんとなく違和感を覚えていた。というのも彼女にはそのての人々が皆、一見クローン問題に関心があるように見えて、その実他人事のように扱っているように見えたからだ。きっと彼らにとって、クローン人間は様々な意味で都合がよいだけの存在。リサは彼らとの間に空虚な隔たりを感じずにはいられなかった。
今回もいつものそれだ。その中でも最も下世話な部類の偏見だった。慣れているとはいえ、リサはちょっと嫌な気分になった。そうして雑念に気を取られ、楽しい会話も途切れてしまった。彼女は少し俯いた。
そこで突然、アリーが手を上げてウエイトレスを呼んだ。
「すみませーん!」
リサは驚いて顔を上げた。ウエイトレスが二人の方へ歩いてきた。
「お決まりでしょうか?」
「いえ、もうちょっと。その前に席移動してもいいですか? 窓際のあそこ」
アリーは四人のマダムから一番遠い、窓際のテーブル席を指さした。
「はい、かしこまりました」
「すみません。行こ、リサ」
「え……う、うん」
アリーが機転を利かせてくれたおかげで、リサはそれ以上気分の悪い話を聞かずに済んだ。
アリーは昔からそうだった。リサが十歳のとき、彼女がクローン人間であると噂が立った。まず保護者の間で噂が広まり、それが児童にも伝わったのだ。子どもというのは安易にからかったり虐めたりするもの。当然リサをからかいだす児童が現れた。
そのときリサは酷くショックを受けた。彼女は自分がクローンであると子どもながらに薄々感づいていたものの、両親からはまだ告げられていなかった。それが心の準備をするより先に、親ではなくクラスの悪ガキに言われたのだ。
しかしリサへのからかいがエスカレートする前に、アリーがクラスの男子を真っ向から叱りつけた。そして武術を習っていた彼女は、歯向かって来た男子を少々手荒なやり方も交え、見事に黙らせた。
リサはそんなアリーが好きだった。強くて明るくて度胸があり、決断が早い。アリーはリサに足りないものをたくさん持っていた。
窓際の席に移ると、アリーは何事もなかったかのようにまたメニューを開いた。
「早く決めちゃお。あたしもうお腹ぺこぺこ」
「うん」
リサはちょっと涙が出そうだった。
「アリー、その……ありがとね」
素直な気持ちから出た言葉だった。言われたアリーは普段通りのさっぱりした調子で答えた。
「いいよ。あたしだって気分悪いもん。つまんない話は聞かないのが一番だよ。せっかくの美味しいごはんが台無しになっちゃう」
アリーの優しさは、訳知り顔の人々が見せる、腫れ物に触るような上辺の優しさとは違った。彼女は常に自らの意思で率直に動いているように見えた。きっとこの優しさも本物に違いない。そういう信頼感があった。
「ありがとう、アリー」
「いいってことよ」
二人に笑顔が戻った。
その後、食事を終えた二人はそのまま地下鉄に乗り、帰路についた。車内でも楽しいお喋りは続いた。昨日見たドラマの話や、二人の好きな動画配信者の話。それに学内のカッコいい先輩のこと。そんなごく普通の会話が、電車を降りてからも途切れることなく続いた。だが実のところ内容はどうでもよかった。二人は同じ時間を共有できるだけで幸せだった。
「じゃあまたね、リサ」
「うん。またね、アリー」
自宅まであと十分ほどの地点でリサはアリーと別れた。彼女はそのままいつもの通学路を通って家に向かった。そして人通りの無い道に入った直後……。
後ろから急に黒塗りの車が迫り、リサの横で急停止すると、中から黒ずくめの男が二人現れた。そして彼女が反応するより早く、一人は後ろから彼女の口を布で押さえ、もう一人は胴を抱えた。
(え!? 何!? まさか、誘拐!?)
突然の出来事に戸惑うリサ。抵抗しようとしたが、布に染み込んだ薬物を思い切り吸ってしまい、次第に意識が薄れていった。
(だめ……。意識が……)
リサは気を失ってしまった。ほんの一分ほどの出来事だった。
ーーー
「おかあさん、みて! ナターシャね、おはなのかんむりつくったの!」
「あら、素敵ね」
「はい、あげる!」
「私にくれるの? そう、ありがとう」
「ん……。うーん」
奇妙な夢の後、リサは目を覚ました。
(夢? さっきのはお母さん? でも、お母さんじゃなかったような……)
まったく状況が掴めなかった。白色光の先に天井がぼんやりと見えるが、ここがどこかはわからない。
数秒して身体の感覚が徐々に戻ってくると、彼女はあることに気が付いた。真っ白な服を着せられ、手術台のようなベッドの上に寝かされていたのだ。手足はベッドに備え付けられた硬い金属で固定されており、まったく身動きがとれない。
視線を動かし、可能な限り辺りを見回すと、そこには見たことのない装置がいくつも置かれていた。人の気配はなかったが、微かなホワイトノイズが耳に入った。どうやら部屋のどこかにスピーカーがあるようだ。
「ブツッ」
突如、左上方からマイクが接続される音がした。するとそこから色香の漂う大人の女性の声が聞こえてきた。
「おめざめのようですね、エリザベスさん。いいえ、ナタリー様」
(誰?)
聞き覚えの無い声にリサは戸惑い、聞き返すことができなかった。そのときスピーカーの向こうで、女が微かに笑ったような気がした。
「ごめんなさい。いきなり何のことだかわからないわよね。でも簡単な話よ、エリザベスさん。ナタリー様はあなたのオリジナル。あなたと同じ遺伝子を持った五百年前の人物よ。そして私たち能力者を導く救世主」
単純明快なようで意味不明だった。ナタリーはリサのクローン元。それはまだわかるとして、能力者とは? 救世主とは? ただでさえ自分が置かれている状況に理解が追い付いていないというのに、非現実的な単語を矢継ぎ早に並べられたことで、リサは余計に頭が混乱してきた。
彼女は足枷を外そうともがきだした。すると先ほどの声の主が少し焦りだした。
「ごめんなさい、今すぐそっちに行くわ。手足も開放するから、安心して」
そこで音声は切れた。これから声の主が、どこの誰かもわからない女がこちらにやってくる。安心してと言われて安心できるわけがない。リサはますます不安になった。しかしこの場から逃げる術はない。
(もうやだ、帰りたい)
リサは何をされるかわからない恐怖から、声も無く涙を流した。
一分ほどすると、プシュッという音とともにドアが開いた。現れたのは白衣を羽織ったグラマーな赤毛の女だった。
「エリザベスさん、大丈夫? 今自由にしてあげるから、待ってて」
そう言うと赤毛の女は、ベッドの横に備え付けられた端末を操作しだした。するとすぐに、両手足を拘束する枷がベッドの中に引っ込んだ。
リサは咄嗟に身体を縮めて起き上がり、ベッドの脇まで退いた。しかし怖くてそれ以上動けず、ただ恨めしそうに赤毛の女を睨むことしかできなかった。
「大丈夫よ。ちょっと手荒な方法で連れてきたけど、あなたに危害を加えるつもりはないわ」
赤毛の女は微笑みながらそう言った。しかしいきなり眠らされてこんなところに連れて来られたのだ。そんな言葉など信用できるはずもない。リサは恐る恐る赤毛の女に尋ねた。
「誰なんですか、あなた」
「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私の名前はヴァネッサ。ヴァネッサ・ハートリーよ。そうねぇ、何から話したらいいかしら。私の好物はラムレーズン入りのチョコレート。あなたはお好き?」
赤毛の女、ヴァネッサは何を考えているのか、一方的に場違いな自己紹介を始めた。それがあまりに不自然で、リサはますます恐怖に怯えた。その様子を見たヴァネッサはまたにっこり笑うと、リサに歩み寄り、震える彼女の左頬に優しく触れた。
「そんなに怯えなくても大丈夫よぉ。あなたはこれからゲノムに残る記憶を呼び覚まして自由を手にするの。今よりずっと晴れやかな気分で生きられるようになるのよ。心配しないで」
ゲノムに残る記憶とは何なのか。ぼんやりと筋が見えてきた。リサの遺伝子は元々ナタリーという女性のもので、ヴァネッサはそのナタリーの記憶を何らかの方法で蘇らせようとしている。
(ナタリー……。ナターシャ!? じゃあさっきの夢は、私の遺伝子に刻まれた元の人の……!)
突拍子もない話だが、先ほどの奇妙な夢から合点がいった。そしてそれ故、彼女は自分が自分でない誰かの記憶に侵食されていくことに途轍もない恐怖を感じた。
第二話
第三話
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