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【リライト版】小説『魔女の遺伝子』第二話「魔女の声」

前回

登場人物

ナタリー・ホワイト:愛称ナターシャ。五百年前、迫害を受けていた能力者を束ね、国家転覆を企てた少女。国に甚大な被害をもたらすも、最終的に捕らえられ処刑された。リサのクローン元。
エリザベス・アヴェリー:愛称リサ。本作の主人公。政府の少子化対策の一環として作られたクローン人間の一人。本人も彼女の友人もそのことを知っている。ナターシャのクローン。
ヴァネッサ・ハートリー:誘拐されたリサの前に現れた女性。

本文

(そんな……。じゃあ私はそのナタリーって人に乗っ取られちゃうの!?)
 リサはヴァネッサから視線を逸らし、全身を酷く震わせた。頭がくらくらしてきた。己を他人に乗っ取られるということは、自分が消えてなくなるということ。死んでしまうのと変わらない。

「嫌……です」
「え?」
「嫌です! 私、帰ります!」
 彼女はそう言ってベッドを下り、小走りでヴァネッサが入って来たドアの方へ向かった。

 しかし次の瞬間、シュルシュルと奇妙な音を立てながら、十本ほどの肌色の紐が彼女を取り囲んだ。
「きゃっ! 何これ!?」
 リサがその奇妙な紐に気付いたとき、それはすでに彼女に巻き付いていた。
「やだ! 動けないっ!」
 抜け出そうともがいたが、すでに両腕ごと胴体を拘束され成すすべもなかった。
 その紐には温もりがあった。そしてリサはすぐにそれが何なのか理解した。紐の先には爪があった。人の爪だ。紐に見えていたのは指だった。嫌な予感がした。リサが恐る恐る後ろを振り返ると、なんとヴァネッサの指が蔓のように伸びていたのだ。

「いけない子ねぇ。逃げようだなんて」
 ヴァネッサは笑みを浮かべてはいたが、その声、その表情からは、絶対に逃がさないという強い意思が滲み出ていた。
「ちょうどいいわ。教えてあげる。これが私たち能力者に与えられた力よ。もっとも、能力は人によって違うけど。私のは肘から先を自在に変形させる能力。こんな風に指をひも状にしたり、手を遠くに伸ばしたりできるの。それから……」
 彼女はリサに巻き付いている指を一本伸ばし、それを鋭い刃物のような形状に変えて見せた。

「こうして形や硬さも自由に変えられるの。結構便利よ」
 刃物の形にしたことに脅しの意図があったかどうかは定かでないが、リサは非現実的な光景を目の当たりにし、いよいよ気がおかしくなりそうだった。脈は速く大きくなり、過呼吸になりそうなほど息が乱れた。しかしそんなことはお構いなしに、ヴァネッサは伸ばした指を縮めて彼女を自分の前まで引き寄せた。

「逃がしはしないわ。私たちの復讐を成し遂げるには、ナタリー様とあなたが一つになる必要があるんだから」
 復讐とはいったい何なのか、リサには想像がつかなかった。しかしヴァネッサが良からぬことを考えているのだけはわかった。ついさっき、ヴァネッサはリサのクローン元であるナタリーを「能力者を導く救世主」と呼んでいた。そして今、それが復讐のために必要だと言っている。
(たぶん私は、そのナタリーって人に変えられる。この人の言う「復讐」のために)
 リサは全身をガタガタと震わせながら、再びヴァネッサから目を逸らした。

「だいたい察してくれたかしら? あなたはナタリー様の能力を引き継いでるの。それは私たちの復讐に必要なもの。それだけじゃないわ。私たちの先祖が残した記録には、ナタリー様の圧倒的なカリスマが示されてるの。あなたは私たちのリーダーになるのよ」
 ヴァネッサはリサを縛ったまま続けた。

「あなたのために教えてあげる。ナタリー様がどんな御方かをね。ナタリー様は生まれつき異能力を持って生まれてきた。そういう血族の子だったの。私と同じね。当時も表沙汰にはされてなかったらしいけど、その存在は知られてたみたい」
 知られていた、と言われてもリサは納得できなかった。そんな話は歴史の授業でもテレビでもネットでも、一度も聞いたことがなかったからだ。
(そんなことあるわけ……。でも現にこの人はそういう能力を持っている)
 にわかには信じがたい話だが、実際にヴァネッサは得体のしれない能力を使ったのだ。最早否定しようにも否定できない。

「ナタリー様が十四歳のとき、この国で疫病が蔓延しだした。それは他の疫病とは比べ物にならないくらいの早さで広がり、この国に甚大な被害を与えたわ。そこで疑いをかけられた一部の人間が、魔女と見なされ迫害を受けた。これはあなたもよく知ってる話よね?」
 ヴァネッサの言う通り、この話はリサも知っていた。疫病の蔓延から社会不安が広がり、謂れのない罪で多くの人が迫害を受け、冤罪によって処刑された。今では誰もが学校で習う、歴史的事実だ。
「この話は正しいわ。魔女と見なされ迫害を受けた人々はいた。そう、それは私の先祖や、あなたのクローン元であるナタリー様のような異能の者たち。私たちの先祖は偶々その疫病に対する耐性が備わっていたのか、誰一人その流行病に感染しなかった。だから病をばら撒いたと疑われ、迫害された」
 ヴァネッサの声には静かな憎悪と軽蔑がこもっていた。

 そのときリサの脳裏に昔の記憶が蘇ってきた。クローン人間であるが故に受けた偏見。いつもアリーが守ってくれたけれど、もし彼女がいなかったら自分はどうなっていただろう。そんな考えが過った。
 ヴァネッサの祖先もクローン元であるナタリーも、きっと同じような目に遭っていたのだろう。迫害というのだから、それはもっと凄惨なものに違いない。心優しいリサは、つい彼女らに同情の念を抱きそうになった。

 そのとき不意に、リサは心の奥に自分ではない何者かの存在を感じた。
「リサ……。あなた、リサっていうのね」
(誰!?)
「私は、あなた」
 その声は暗く淀んでいたが、妙な安心感があった。そのときほんの微かな憎悪の息吹が、彼女の心の奈落で芽吹く音がした。

 リサは得体のしれない何かに引きずり込まれそうで怖くなり、すぐ我に返った。するとたったいま感じていた何者かの気配は消え失せていた。
(まさか、今のが……)
 リサはぞっとした。これがナタリーなら、本当にクローン元の人格が自分の心の中にいて、こちらの意思とは無関係に動き出したということ。やはりすでに何かされていたのだ。眠らされている間に、それまでとは違う何かに変えられていた。

 リサは動揺を隠しきれなかった。それをヴァネッサは見逃さなかった。
「その顔……。エリザベスさん! あなたまさか、ナタリー様の声が聞こえたの!?」
「そ、それは……」
「そう! そうなのね!?」
 ヴァネッサはリサを拘束していた指を解くと、大喜びで彼女を抱擁した。
「やったわ! 上手くいったのね!」
 まさに狂喜乱舞といった喜びようだった。しかしそれは、宿主にされたリサにとっては不愉快極まりなかった。

「放してください!」
 リサはヴァネッサの身体を両手で思い切り引き剥がした。ヴァネッサは気の弱そうなリサが真っ向から拒絶したのを見て、面食らった様子だった。
「何を怒っているの、エリザベスさん?」
「何を? こんなことされて怒らないと思うんですか!? なんなんですか! 人を誘拐して、勝手に前の人の人格を蘇らせて! なんで私が、あなたや、そのナタリーって人の復讐に付き合わなきゃいけないんですか!」
 ここまで怒ったのは生まれて初めてだった。不安と恐怖が一周回って怒りに変わり、抑えられずに漏れ出したのだ。しかしヴァネッサもすんなり引き下がりはしない。

「でもあなた、クローンとして差別されてきたんでしょう? 悪いことをしたわけでもないのに、後ろ指を刺されたり、ただの興味本位で言い寄られたり。奴らに復讐したいと思わないの?」
 彼女は諭すようにそう言ったが、リサは怒りでまったく受け付けなかった。
「復讐とか恨みとか、そんなのないです! 巻き込まないでください!」
 リサは自分でも何をやっているのかわからなかった。このどこだかわからない施設から逃げる算段があるわけでもなく、拒絶したからといってあてがあるわけでもない。ただ不安と怒りで声を荒げるしかなかった。

「ブツッ」
 そこで先ほどのスピーカーからマイクが接続される音がした。二人はスピーカーの方を見た。
「……ヴァネッサ、聞こえるか? クリスだ」
 若い男の声だった。その声はちょうどリサと同じくらいの年齢に聞こえたが、ずっと年上のようにも感じられた。

「クリス、何か用? 私は今取り込み中なの」
 話しぶりからして、どうやらヴァネッサとは対等な立場のようだ。
「ナターシャのクローンと話をしてるんだろ? なら俺がそっちへ行く」「……そうね。あなたなら説得できるかもね。いいわ。来てちょうだい」
「ああ。すぐに向かう」
 そこで接続が切れた。

 男はナタリーのことをよく知っているようだった。リサはどんな説得にも応じる気はなかった。向こうもそんなことはわかっているはず。なのにヴァネッサは説得できるかもと言った。
(どういうこと? まさかまた私に何かしてナタリーの人格を……。でも、それなら説得できるかもなんて言い方はしないんじゃ……)
 不可解な極まりない状況から、彼女はヴァネッサの次の言葉を待つしかなかった。

「すぐにクリスがここへ来るわ。あなたと同じクローンよ。ただあなたとは少し事情が違うけれど」
 ヴァネッサはまた不気味な笑みを浮かべながらそう言った。いったいクリスとは誰なのか。想像もつかなかったが、ヴァネッサの仲間なのだから状況が良くなることはない。リサはそう思った。

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