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何もしないことを極める期間

自信がなくなってる時には、
わたしには芸術しかないってしがみつく。(もう、これも癖。)
でも、この、状況の中で、
芸術にしがみつこうとすれば、また、小さくしぼんでゆく、芸術性。
世の中のエネルギと同調して自粛モードになってるからか
なぜか、キャンバスと向き合っても大胆には絵が描けないのである。
”私の信じている世界”を信じる力が、私の中にない!

そんな時期の、心の場所には、
普段、好きだったものも色あせて見えるし
好きな音楽聴いても「あ、いま、心は灰色のままだ」ってことに気づくし
ご飯食べても、うまく味がしないし。

脳を回転させたらその回転分だけ虚しさで自分が塗りつぶされる感じ。
そうなの〜。心が動かない。感動ができない、灰色。

それで、理解する前に、一回、「絵」を封鎖した。
焦らず、それを味わえばいいやと、とことん、
そこに自分を置きっぱなしにして、何もしないをとことんやった。

これが精神の断捨離なのか。
SNSも見ない、ほとんど寝るだけの生活をしました。
でも、無意識に絵を描いていたようで。
その時に描いた絵たちを庭で並べました。
(封鎖の中で描いている絵です。
絵を描こうと思って描いている絵ではないんです。
そんなものはできていたんです。)

はい、そして、それをぜんぶやりきったら、
なぜか新しい波動が来ました。謎だー。順番に展開する、
狙ってない謎の展開だ〜。
うーん。もっと、なんというか、中身を削ぎ落として、
誰とも話さずに孤独と向き合って、
深く潜って表現していこう(むしろ表現を休憩しよう)と思ったのに、
桜の花は散って、新緑は元気にそこにいて、時は流れ、時代は動いている。

いつでも、今は今しかないのであった。


Tomoko Kouda 2020JPN



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