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感情の中のモヤモヤ違和感

どうなってるのかわからない。
いつも、ニューヨークから
日本に帰ってくると湧いてくる感情がある。
このへん自分の感情の中のモヤモヤが
はっきりしなくて解明できていない。
わたしは、日本もアメリカも大好きなのであるが
移動して行き来しているから湧いてくる何か特有な感情がある。
いつも、その感覚が出てきた時に起こる自分の内側について
うまく掴めなくて、答えを早く出したくなってしまい、
日々はめまぐるしいスピードで降ってくるので、
いつのまにか、日本の生活になじんでしまうので
そんな感覚があったことすら薄くなっていき、そのうち消えてしまう。

でも、そのモヤモヤの違和感は、
ある日、急に現れる。例えば、描いている絵に出てくる。
外側の環境によって自分の中のどこか深い部分が
絶対に敏感に反応しているのだろうけど、このモヤモヤ感覚
まだ、正体を掴めてない。

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↑自炊がはかどる実家。

例えばなんだけど
『コツのいらない天ぷら粉』ていうのが実家にあって
「え?じゃぁ、逆に、コツがいる時の天ぷらってどうやって作るかの方が知りたいやん!』って思う。そういうのショートカットさせないでほしくなる。
だから、すんごい調べたんです。よくわかんなかったけど。
まぁ、それはそれでいいんだけども。
なんでも全部、便利で、考えられているサービス。
生きる上で、色々選択してるようで、その選択肢は実は狭い!とか
あらゆるものが範囲内でこんなに簡単に安く手に入る!とか
そこからくる感覚として、
例えばなんだけど、
『追求しなくても、感覚や感情を、誘導されている感じがする』こと
こんなことが違和感だったりするんだけど
や、それだけじゃないなーなんだろう〜。

本当はもっともっと
自分をを切り開けるのに、
海の向こうでは自然にやってたのに
と、帰国して1週間くらいで
いつも、思う。
帰国したての私は、整えられないくらい大胆で言葉も荒いのに
少し時間が経つと、無意識で、遠慮したり、合わせたり、
対象が何なのかわからないけど
しつこく追求したり、失敗しても繰り返し挑戦する気持ちを
どうしても少しずつ忘れてしまうところがある

優しくなろうとするって、これなの?これなに?って思うんです。

自分を信じながら自分にぶつかってたこと
その、ぶつかるものがなんだったのか、
あったのかどうかも、思い出しにくい。なんでだろう。

ペラペラのうすい簡単なやつとか
選択肢がペラペラな甘いだけの人生とか
不幸をさけるだけの幸せみたいなのじゃ
逆に、フェイクすぎて幸せなんかじゃない!
ぬるいのは、どうしても鬱陶しい。
「天気予報なんか邪魔だ!」と思う時多い。

もう少し掘って生きて、この違和感のモヤモヤと
自分の中の丸出しのクレイジーな部分について見つめてみたいと思う。

と言いながら、銭湯に行くのが楽しくなっている。

んー。
私は何にぶつかってるんだ?
って思えば楽しい人生だなぁってなってるか。

Tomoko Kouda 2019 JPN

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