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自分の絵を説明することの恥ずかしさに気づく海外生活

いつも、個展などで聞かれるので説明していたこと。
自分で、どこまで技術があって、
どうしてそこにそういう風に色を入れてるかとか
この絵はどういうことにこだわっているかを
その場によって、相手によって説明をかえたり、
相手の視野を言葉で一生懸命広げてた。

まぁ、よくよく考えたら、そんな説明することって、不要だった。
説明しないと、自分が不安だったのかもしれないけど。
(それはそれでそういう段階として避けて通れなかった事柄)

こっち(NYC)にいると、
見る力、見て楽しむ力がそもそも自分風に備わってる人が多いので
自分がどうやってこだわって描いたかなんて説明してたら
その人オリジナルの観察感へ邪魔しちゃうし
見てる時間が減っちゃうし、
私の説明してる体力はいらないなと、
説明そのものを小さく感じ、恥じることが多い。

そして、絵を描くことも、
やってる量や長さじゃなく、経歴や技術や知識でもなくて
第一に美やユーモア、その人が見た時に思う第一印象などを
一番大事にして鑑賞してってくれる。
理解しなくてもいいことや鑑賞することにそもそも慣れている。

わたしがNYで絵を露出しててバンバン気づくのは
いろんな種類の鑑賞力があるたくさんの人たちに、絵が
多種類でどんどん水のように川のように伝わってゆく喜びです。
私がずっと粛々と貫いてきた自分のユーモアやセンス
それを瞬時に表現する自分オリジナルの発想や技術
伴うデザイン力や構成力のようなもの
狭くならないように毎回ゼロに戻している発想
失わないように、鮮度が落ちないように磨き続けてた感性
もっともっとやってみたいアイデアや短い時間で伝える能力の可能性など
自分に、思ってた以上に多種類の力が備わって、しかも出せてることに
めっちゃ気づいて、ほんとに楽になる☆

自分絵を説明することの恥ずかしさに気づいて、
だから、ただ信じてがむしゃらに鍛えてきた、オリジナルの力に気づく。

これが私の中の今の「毒出し」「放出」そして新しい自分との戦いなのかもしれない。しかし、この喜びは、でかいな。あーでかい。


Tomoko Kouda 2019 NYC
画家/全身芸術家 ExecutiveArtist

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