INFJ、でもそのままでいい。

INFJは誤診断を疑え!→ほなら違う診断もやるかぁ→結局INFJ
これあと何回すればいいんでしょうかね。

INFJ、それは内向的、直感的、感情優先、判断的(計画的)がキーワードとなるMBTIの性格タイプです。提唱者ともいわれています。名前だけは格好いいね。

男のINFJってなかなか見かけないんですよね。仲間募集中。
そんなINFJですが、日常生活で頭の中での葛藤をすることが多々あります。

個人的あるある

自身の意見は予防線を張る

INFJが特別そうじゃないとは思うけど、なんだろう、予防線の量が他とは段違いな気がする。ほかの人見てもそんな感じがする。
「感じがする」という言い回し多様しがち、というのを見て絶叫した。

考えがまとまらない

頭の中では物事に対する結論までの考え方、回答は用意しているけど説明するのが難しく、結局素っ頓狂なことを口に出してしまう。

周りに指摘されて初めて気づく。その結果自分から案を出したりはしない。(もちろん自分なりの案は持っている)

人の意見に左右される

先ほども述べた通り、自分では意見を持っています。ただ発言をするのが怖い。だから他人の意見はおそらく多数派だから自分の意見は言わないほうが周りと調和できていいだろうと思っている。

相手の表情を事細かく見てしまう

言葉や口調以上の情報を求めてしまう。逐一相手の感情を知っとかないと怖い。急に殴り掛かられるかもしれないし...「あぁ、この人こうは絶対思ってないな」なんてことたくさんある。

メンタルが非常に弱い

極度のプレッシャーに対して非常に弱い。テストとか存在価値を疑う。スポーツ大会とかの勝ち負けが発生することに対して前線を張ることはできない。競争社会の敗北者

性別の違和感(?)

これINFJではそこまでレアじゃないらしいのが驚き。
自分は生物学上では男ではあるし、男という意識もある。ただ、趣味趣向が男性向け女性向けどちらもって感じ。俗にいうLGBTQ+でもない宙に浮いたような感覚。

常に集団から去れる準備をしている

利他主義的側面をもち、誰かを助けたい。その心の奥底には「誰かに必要とされたい」そんなことを考えながらも「自分はだれにも必要とされていない」と突き放した考え方をしがち。その延長線上に「じゃあ僕がいなくてもいいか」と考えてしまう。

自分の感情がわからない

別に厨二病じゃないです。でも本当なんです。
友人とはどの程度の親密度からなのか、恋とは何か、それすらわからない。
そもそも褒められることが好きではない。


いろいろあるけどまぁこんなんあげたらキリないですよね。

生きづらい。でも変わらなくていい。

19年間生きてきて、また、浪人生活中、様々なことを悩んでいました。しかしMBTIを通じて、自分と似た考え方を持つINFJの方々のブログを拝見することで「あぁ、一人じゃないんだ」といった安心感を覚えました。
同時に、言葉を発信すること、創作活動で自分の心情を抽象的でも表すこと。そんなことをするだけでも誰かが救われるんだということを深く実感しました。

今はどの記事かは忘れましたが、
「勝手に他人と比べ、勝手に劣等感を感じている」そんな言葉が自分の中で響きました。

元々、自分がどうしようもない要素(身長、運動神経など)の劣等に対しては一種の興奮を覚えていましたが、(流石にこれは異端であるとは認識している)
自分が努力でどうにかなる要素(技能、学力など)の劣等に対しては体がストレスで暑くなるほど自分に嫌悪していました
今もこれに関しては改善していませんが、それでも日本には、世界には似た境遇で悩んでいる人もいる。その事実だけが自分にとって何よりうれしいことでした。

自分の気持ちが身近な人間に理解されなくてもいい。社会不適合者でもいい。馬鹿にされてもいい。浪人したのに前期落ちで中堅の大学に行くことになってもいい。
INFJだからこそ言葉で発さずとも確かな自分の信念は何かしら持っている。信念貫ければ今更生き方変えなくてもいいや。そう思うようになりました。
あるべき自分を他人の価値観で決める必要はない。


自分はまだ大学一年生。自分のやりたいことを少しずつ達成できるように、後悔のない人生を歩みたいと思います。

「INFJで人生悩んでるけどまぁいっか。」と思うようにしよう。そんな話でした。

文章初心者なのでいろいろ中身が破綻してるかもしれません!!!!!
でもここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?