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準結晶とダン・シェヒトマン ~第3の固体とアラベスク~

2011年のノーベル化学賞は、多くの化学者を驚かせました。
受賞したのはイスラエルの物理学者ダン・シェヒトマン
受賞理由は「準結晶の発見
単独受賞でした。
内容は化学というより物理学。シェヒトマン自身も物理学者です。

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ダン・シェヒトマン(2011年ノーベル化学賞受賞のプレスカンファレンスにて Wikipedia)

実用化された研究が選ばれることの多い化学賞ですが、準結晶の発見という基礎研究に対して贈られるのは珍しいことです(基礎研究を確立した人と、応用した人のセットが多いです。2019年のリチウムイオン電池は典型的な例ですね。)。
久しぶりの単独受賞だったこともあり、2000年以降では個人的に最も印象に残っている化学賞です(2019年11月時点)。

シェヒトマンの発見した準結晶とは何なのでしょうか?
固体には結晶と非晶(アモルファス)の2つの構造があります。
準結晶はその中間に当たる構造をしています。
シェヒトマンの経歴を辿りながら、準結晶に迫ってみましょう。

ダン・シェヒトマンは1941年、イギリス委任統治領パレスチナ(現在のイスラエル)に生まれました。
子供の頃のシェヒトマンはジュール・ヴェルヌの 『神秘の島』(1874)に夢中になり、何度も読み返したそうです。子供時代の夢は、『神秘の島』の主人公のサイラス・スミスのようなエンジニアになることでした。

「サイラス・スミスは力学と物理学を知っていて、彼は何もないところから島での生活様式を作り上げます。私はそのようになりたかった。」

*ジュール・ヴェルヌはSFの父と呼ばれるフランスの小説家で、代表作に『海底二万里』があります。『神秘の島』は冒険小説です。

シェヒトマンは子供の頃に抱いた夢の通り、材料工学の道に進みます。
テクニオン - イスラエル工科大学で機械工学と材料工学を学び、1972年に材料工学の博士号を取得しました。
*材料工学は、物理や化学によって物質を理解し、世の中を便利にするための新物質を作ったり、既存の物質を改良する学問です。そのため、扱う物質は金属、無機物質(セラミックスなど)、有機物質(プラスチック、色素など)と多種多様です。シェヒトマンは主に金属を扱いました。

その後、渡米して合金の研究を行ったシェヒトマンは、1982年、ジョンズホプキンス大学にて、アメリカ国立標準技術研究所との共同プログラムで、急速に凝固するアルミニウム遷移金属合金を研究しました。
アルミニウムとマンガンの合金を電子顕微鏡で観察していたとき、不思議な構造を発見します。見たことの無いX線の回折(かいせつ)像に驚き、新しい構造の物質ではないかと考えます。
*X線回折(エックス線かいせつ)は、X線が結晶格子で回折を示す現象。下図のように、X線を結晶に照射すると、結晶構造を反映したパターンが生じる。

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X線を結晶に照射することで、結晶構造を見る事ができる(Wikipedia)

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アルミニウム-パラジウム-マンガン 合金の準結晶の原子配列(Wikipedia)

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準結晶を発見したときのシェヒトマンの実験ノート
「10 Fold ???」のメモから、とても驚いている様子が伝わってきます。
(アメリカ国立標準技術研究所 HPより https://www.nist.gov/nist-and-nobel/dan-shechtman/nobel-moment-dan-shechtman)

固体には結晶と非晶(アモルファス)の二つの状態が存在しますが、シェヒトマンは第三の状態と言える準結晶を提唱しました。

物質の構造パターン

図のように、結晶は規則性のあるパターンの繰り返しになっています(整列した4つの棒が等間隔で並んでいる)。
非晶(アモルファス)には規則性がなく、無秩序です。棒はバラバラに位置しています。
一方、準結晶は規則的に棒が並んでいますが、同じ並びが繰り返されているわけではありません。規則性はあっても、周期性は無い。それが準結晶です(図は例えです)。

発見した準結晶の回折像は、結晶と非晶が混合した物だと考えることも出来ましたが、シェヒトマンは新しい構造だと考えました。

シェヒトマンの発見と考えは結晶学の常識を覆すものでした。
そのため、多くの科学者は準結晶に懐疑的でした。
発見を全否定され、笑われることもあったそうです。
所属していた研究グループのリーダーからは「教科書を読み直しなさい」と言われ、その数日後、「研究グループに不名誉をもたらす」ためグループから去ることを命じられます。

そんな状況になってもシェヒトマンは自分の考えを信じ、研究を続けます。
やがて、他の研究者によって準結晶の構造が確認されるようになると、シェヒトマンを懐疑的な目で見る人は少なくなりました。

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模型を使って準結晶の構造を説明するシェヒトマン(1985年、写真左端がシェヒトマン アメリカ国立標準技術研究所 HPより https://www.nist.gov/nist-and-nobel/dan-shechtman/nobel-moment-dan-shechtman

準結晶に対して最も強く反対したのは、20世紀の大化学者、ライナス・ポーリング(1954年ノーベル化学賞)でした。
「準結晶などない。あるのは準科学者だけだ」と痛烈にシェヒトマンを批判しました。
ポーリングは亡くなる1994年まで10年間に渡って準結晶を否定する態度を取り続けました。しかし、複数の研究者によって準結晶の存在が証明されると、ポーリングの間違いは誰の目にも明らかになります。
さらに、準結晶を否定するポーリングの論文は、投稿したジャーナルから全てリジェクト(却下)されました。

偉大な化学者が晩節を汚す様に直面したことは、シェヒトマンにとって苦い思い出となったそうです......

1999年、シェヒトマンはウルフ賞(物理学部門)を受賞します。
ウルフ賞の物理学部門と化学部門は、ノーベル賞に次ぐ権威ある賞とされており、ウルフ賞受賞者の半数以上が後にノーベル賞を受賞しています。

そして2011年、ノーベル化学賞を受賞します。

準結晶に見られる周期性の無い配列パターン(モザイク)は、スペインのアルハンブラ宮殿や、イランやトルコのモスクなどにみられるアラベスク(イスラム模様)と共通しており、美しく、数学的にも興味深いものです。

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アルハンブラ宮殿(スペイン グラナダ、Wikipedia)

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アルハンブラ宮殿の内部、至る所にアラベスクが見られます(Wikipedia)

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イマーム・モスクの内部(イラン、Wikipedia)

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世界遺産に登録されている、モロッコの古都メクネスにある宮殿のモザイク

アラベスクを見れば、非周期的なモザイクがどのようなものか理解し易くなります。実際に、準結晶の構造理解に役立っています

シェヒトマンの最初の発見以来、数百の準結晶が発見・報告されました。
金属の準結晶物質は、面白い事にセラミックスのような性質を持っています(高い電気抵抗と硬度・耐食性があり、脆い)。
しかし、熱的に不安定であるため実用的ではありません。
数は少ないですが、熱的に安定な準結晶物質も発見されています。
1987年、東北大学金属材料研究所の大学院生だった蔡(さい)教授が、アルミニウムと銅と鉄の合金で安定な準結晶を発見し、準結晶の存在を決定的なものとしました。

そして、2007年に名古屋大学の松下教授らが高分子の準結晶を発見し、準結晶は金属に限らず様々な物質に存在することを示しました。

2018年には、グラフェンを重ねることで炭素のみからなる準結晶が作られました。
*グラフェンは炭素原子が結合して出来たハニカム構造のシート状物質です。

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30°積層2層グラフェン(上)とその準結晶構造(下)
(大阪大学HPより https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2018/20180709_1)

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グラフェンの分子構造モデル(Wikipedia)

準結晶の研究が進めば、結晶にも非晶(アモルファス)にも無い、新たな性質の物質を作れるようになると考えられます。また、既に存在する物質の中に準結晶構造を持つものがあるかもしれません。
準結晶はあらゆる分野に通じる素晴らしい発見です。

シェヒトマンは2014年に来日し、東北大学で講演を行っています。
その中で、どんな時でも自分の力を信じ、困難に立ち向かうことの大切さを説いていたそうです。

常識となっている定理や法則が、いつも正しいとは限らないことを示したシェヒトマン。その研究に取り組む姿勢や、基礎研究の大切さなど、学ぶことの多いノーベル化学賞でした。




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