努力は考えない
僕は努力をしようと思うことがありません。
やりたいことや目標のため、日々積み重ねる事はあります。
でも、それを努力と捉えることはないんです。
これは、漫然と努力している人を間近で見てきた事が原因です。
努力と言う言葉は実に曖昧で、意味が無い事でも努力という型にはめてしまうと、やっている気分になる危うさがあるんじゃないかと思います。
考え方は人それぞれだと思うので、努力を信条にしている人を否定するつもりは全くありません。
ただ、気を付けないと膨大な時間を無駄にしてしまうことになります。
一番印象に残っているのは、大学の研究室の先輩です。
その人はハードワーカーで、優れた実験テクニックを持っていました。
努力家だとみんなが言っていました。
ところが、その人は研究室に在籍した3年間、一歩も研究を前進させることが出来ず、何が悪いのかも明確に出来ませんでした。
問題は、研究に前進が無かったことではないんです。ただ実験だけ必死にしていたことが問題なんです。
流石に先輩なので言えませんでしたが、研究の目的と今の立ち位置・問題点を常に意識し、指導教官と定期的に議論していれば違う結果になっていたと思います。
少なくとも、今やっている方法のどこが悪いのかを明確にし、さらに複数の方法を検証出来ていた可能性は高いです。
誰よりも実験をやっていたので、様々な検証をすることが出来たはずです。
研究室の同級生は膨大なデータを見て先輩をいつも称賛していましたが、それがかえって勘違いさせてしまったのではないかと、今になって思います。
僕と先輩の指導教官は最低限の助言だけをする人で「後は自分で考えて行動しなさい」という人でした。でも、質問には必ず丁寧に答えてくれますし、研究の現状を伝えれば「じゃあ、どうすれば良いのか?」という議論をその場でしました。
定期報告会で先生は、与えられたことをこなすだけの人にはならないように、と何度も言っていました。
修士論文前の最後の報告会のときに
「もっと現状を見て考え、人と議論した方が良いよ。」
と、先輩にアドバイスをしていました。
その先輩が卒業した後に入ってきた後輩は、自分からどんどん提案するタイプで、良くないときは直ぐに軌道修正し、次々と色んな研究成果を出していました。対照的でしたね。
僕はどうだったかというと、担当したゲル研究の基礎部分は前進させられませんでした。先生と定期的に議論しながら様々な方法に挑戦しましたが、結局どれも上手く行かず...。
ということで、強引に応用の検討をして、修士論文で発表できるレベルに持っていきました。
ただ、先生はそのテーマがそれ以上先に進めないと判断し、僕の代で終わりにしました。
それが温度応答性ゲルの研究です。
実は僕の中には
「もっとこうすれば良かったのでは」
「あの材料と組み合わせたらどうなるんだろう?」
という思いがあり、社会に出て数年後に温度応答性ゲルの研究を独自の視点で始めることにしました。
さらに数年後、学会発表したときに先生も見に来てくれました。
「俺は難しすぎてやめちゃったからね。だから頑張ってよ」
と笑顔で言われました。
まぁ、結局その後行き詰まって僕もやめたんですけどねw
その後、原料から見直して新しい温度応答性ゲルを作ることにしました。
これもなかなか上手く行かず、新たな温度応答性ゲルが見つかるまで5年かかりました。あのときダラダラと同じ材料で続けていたら、この発見は無かったですし、研究も停滞したままだったと思います。
「努力は裏切らない」という言葉をよく見聞きしますが、僕は逆だと思います。
「努力は裏切ることもある」
学校や親は努力が大切だとよく言いますが、それだと不十分だと思います。
何のためにやっているか考える事、意味が無いと思ったら止める事。
これが無いと漫然と努力することになってしまいます。
加えて、最短距離を考えることも重要だと思います。
日本には回り道をして苦労することを金科玉条のように言う人がいますが、やらなくて良いならその方が良いです。
それで出来た時間や費用をさらに有益なことに使えますし、回り道をした人と大差がつきます。
研究をやっていると、最善だと思った方法が結果的に回り道だったり、そもそも間違っていたということはよくあることなので、なんとなくやっていると一つの課題に振り回されて人生が終わってしまいます。
そういえば、前述した先輩は化学メーカーで研究する道に進みました。
先生のアドバイスを受けて、軌道修正出来ていれば良いなと思います。
技術は確かで働き者だっただけに、あのままだと勿体ないです。