太宰治と一国共産主義(上)   金原 甫

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太宰治の(1930年代初期)共産主義運動への参加が本気・本格的だったことはすでに研究史において、一般的な・支配的な見解になっていることと思われる(代表的なものとして、渡部芳紀「太宰治とコミュニズム」=中央大学文学部紀要1983年3月、川崎和啓「太宰治と左翼運動」=『太宰治研究2』和泉書院・1996年など)。
かつては太宰の政治参加が「心ならずも」だとか「もともと資質にない」とか「本気ではない」などと懐疑的・否定的に語られることが多かったのだが、それは、その時代ごとの状況に関わる。大文字の政治が生きていた時代において、非政治領域を守るためにあえて太宰治の文学側面を強調する必要があったのだろうが、それをする意義がもはや喪われたのだろう。20世紀末からようやく等身大の彼を描出することが可能になってきた(いや。今の太宰治論もまた現在の状況に規定されたものだとは思う)。
彼の友人や身近な立場にいた人の証言も決して状況から自由ではないところも一部あると思われる。特に共産党や左翼の人。後述するが、太宰治論の状況によって、その証言も変化しているところはあるのだ。
川崎和啓の太宰治論(前述)は啓蒙的なところが多いので、ここでエッセンスを私の言葉で抽出してみる。

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