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小沢健二のこと(光る海と宇宙)

ブログやSNSの投稿、大学のレポート、
ちょっと気取りたくなる会話の場面。
そんな、ちょっとした考察みたいなものが求められる場で
「手を出さない方がいいテーマ」がなんとなく僕のなかにはある。

例えば、エヴァ。
いろんな頭のいい人がいろんな方面から語り尽くしていて、
今さら僕が言えることはないなあ、なんて思う。
ちょっと気分よく「LCLはさぁ…」なんて口をついたときには、
恥ずかしくなって話題をひっこめる。

あとは村上春樹。
何か言いたくになると、お前に何がわかる!
とセルフツッコミが入る。
「なんかずっと好きなんだよね」って、
表に出す時はそれぐらいのテンションでお茶を濁す。

最近だと『ジョーカー』。
中途半端な映画愛で語ったら、返り討ちにされるぞ。
なんて思ったりする。

そして、小沢健二。
彼の生き様、音楽性、歌詞、メッセージ。
何かを言おうと言葉が頭に浮かんだ直後、
その言葉は、途端に陳腐になって消えていく。
書き書けたTwitterの投稿を消す。

まあでも、ここまで前振りをしたということは、
ここでちょっと小沢健二について、
考えたことや感じたことを
わりとしっかり「書き留めよう」としているということだ。
新作を聴いた勢いもあるけど、
浮かんでは消える僕の陳腐な言葉を
そろそろ形にしておくのも悪くないんじゃないかと思った。
自分の頭の中を整理するための文章、って感じかもしれない。
(読みたいことを書けばいい)
そんなわけで、僕の個人的かつ、
見当違いかもしれない小沢健二に関するあれこれを、
恥じらいを捨ててズカズカ書こうと思う。

それは今朝のことじゃった。
会社の同僚から
「小沢健二のオススメの曲を教えて」
とLINEが届いた。人からオススメを聞かれるのはうれしい。
僕はなかなか一生懸命考えて
『さよならなんて云えないよ』、
そして本日発売の新譜から
『彗星』の2曲を選んだ。
「歌詞をみながら聴いてね」と添えて。

僕は『さよならなんて云えないよ』に
とても、とても好きなフレーズがある

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも

車に乗って移動していて、カーブを曲がる途中、
光る海が目に飛び込んでくるその瞬間。
その瞬間だけは、
気に入らない自分の性格とか、
うまくいかない人間関係とか、
将来の不安とか、
そういった日々のあれこれが全部吹っ飛んで、
光る海に魅せられて
「うわあ」って言葉を失う。
生きることとか全てを肯定できるような幸福感に包まれる。
光る海をみた瞬間、
仕事後のビールが喉を通る瞬間、
好きな人とキスする瞬間、
中トロを口にいれる瞬間。
それは一瞬かもしれないけれど、たしかに僕らは、
100パーセント幸福だけに包まれることがある。

オザケンはここからがすごい。
「僕は思う この瞬間は続くと いつまでも」
“100パーセント幸福の瞬間”が永遠に続くと思うと、
そう言い切る。
「またたきをする間」と書いて、瞬間。
瞬間はすぐに終わる、永遠じゃない。
でも、その瞬間だけは、
「この瞬間が永遠に続く」と信じることができる。
次の瞬間には現実の話題が影を差すとしても、
もう僕らは、その一瞬の永遠を信じることができると知っている。
(神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように)
信じられる僕らの人生は、
もう、100パーセントの幸福だと言っていいんじゃないだろうか。

『さよならなんて云えないよ』には、
そんな人生の全肯定があるんだと思っている。

そして、今日リリースされた
『sokakkoii宇宙』。
この作品は、
「人生の全肯定」を
もっとわかりやすくストレートに、
もっと力強く描いた、超傑作だと思う。

本作の歌詞には、「宇宙」というフレーズがたくさん登場する。

今ここにある この暮らしこそが宇宙だよと 今も僕は思うよ なんて素敵なんだろうと
神の手の中にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらい
導くよ! 宇宙の力 何も嘘はつかずに ありのままを与えてほしい
それで僕は 君に言わずにいられないのだ 小さな箸で 全宇宙をとりわける その壮絶な美しさを

「宇宙」ってなんだろうな
って、この作品を聴いたほとんどの人が考えるであろうことを、
僕も考える。

それで、僕としてはやっぱり、
宇宙は、永遠なのだと思う。
小沢健二の世界では、
永遠は生活のなかの瞬間に宿って、
瞬間のなかに宿った永遠は、生きることを全肯定するものなのだと思う。

だからこそ、
「今ここにある この暮らしこそが宇宙だよ」と、
暮らしの中に永遠を見つけ、
その暮らしこそを「なんて素敵なんだろう」と祝福する。
なんてことをしてくれるんだ。

きわめつけは、
アルバム最後の曲、『薫る(労働と学業)』。
宇宙を、日常を、永遠を、一瞬を、
これでもかってほど僕の目線に降りてきて、
やわらかい言葉で伝えてくれている。

君が君の仕事をする時 偉大な宇宙が 薫る あきらめることなくくり出される 毎日の技を見せつけてよ
君が作業のコツ 教えてくれる 僕の心は溶けてしまう それは 永遠の中の一瞬の あるいは 一瞬の中の永遠の喜びか? 

労働の毎日、
繰り返しの日々、
あきらめそうになる出来事。
そんな生活を生きている僕らの一瞬一瞬の、そのなかに
宇宙が、永遠が宿る。

これでもかと、生活を全肯定してくれて、
最後にダメ押し。

ありがとう 友よ いてくれて So kakkoii 宇宙の中に 暗い路地の壁に 森の木に 僕らがいたことを 標してこう

生きててくれてありがとう、って。

仕事をして、これからも生きていこうぜ、って。

パッとしない人生とか、当たり障りのない生活とか、
それですら素晴らしいから、生きていこうって、
そう言ってるんだと思う。
ああ、そうか、そうだったのか!
書いていてはじめて気づいたよ笑
全然本人の意図と違うかもしれないけど、
もう間違ってても、この解釈を信じるよ。

小沢健二の言葉や表現は難しい。
しかも、基本的にキザな人だ。
何十年もかけて、徐々に徐々に音楽を重ねていって、
やっと、今回、片鱗にたどり着けたような気がするなあ。

ところで僕、
「うまくいかない人間関係」「将来の不安」
「あきらめそうになる出来事」とか
ネガティブワードをたくさん書いたけど
いま人生楽しくてしかたないんです。

出会うほとんどのことを、自分のことを肯定できるような
そんな無敵モードに突入しつつある。
それはもしかしたら、
ずっと昔から小沢健二を聴き続けたおかげかもしれないし、
逆にいまの僕のモードが、
『sokakkoii宇宙』をこういう風に聴かせたのかもしれない。

なんにせよ、
人生は楽しい。
生活は美しい。

明日からも、毎日の技を見せつけてやりたい。
そんなことを思っているよ。



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