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閲微草堂筆記(250)愚か者の福運

巻十七 愚か者の福運
 胡牧亭が言うことには、彼の郷里に一人の金持ちがいた。自らに甘く贅沢三昧で、門を閉ざして世事に関わろうとはしなかった。彼の顔を知っているという人はほんのわずかであった。
 家計のやりくりはあまり得意ではなかったが、財が尽きるということはなく、養生もあまりしていなかったが、病に罹るということもなかった。また、時に災難があっても、思いがけず解決できていた。

 かつて、その家の下女の一人が自ら首をくくって死んだ。里長は大喜びでその事件をやたらと誇張してお上に報告した。役人もまた欣然としてその日のうちにやってきた。
 屍を横にして検死しようとしたその時、たちまち、屍の手足がもぞもぞと動き始めた。人々が共に驚き怪しんでいると、屍はにわかに伸びをした。寝返りをうち、起き上がり、すでにすっかり甦っていた。

 それでもなお、役人は縊死の件で無理やりこの金持ちを貶めようとして、奸計を巡らせ、それとなく下女を言葉巧みに誘導しようとした。ところが下女は叩頭して言った。

「ご主人さまのお妾さまたちは皆さま神仙のようにお美しいのです。どうして私めにお情けをかけるようなことがありましょうか。仮にもしそのようなことになったとしても、その喜びにはいとまがなく、どうしてあえて自殺するようなことがございましょう。実を申しますと、私の父が、どのような理由でかは分かりませんが、官吏の手で杖刑に処され殺されたと聞いたのです。その悲痛は消えがたく、恨みのあまり死を求めただけなのでございます。他には何も理由はございません。」

 その役人はがっくりと肩を落として帰って行った。その他諸々の出来事も、往々にしてこの件と同じ類のものであった。

 郷里の人々は口々に、なぜこんなにも愚鈍な人物がこれほどの福運を有しているのか、その道理が分からないと言った。

 たまたま、扶乩が神仙を召喚し、このことについて占ってみた。占い曰く、

「諸侯は勘違いをなされています。件の旦那さまの福運はまさにその愚鈍さによってもたらされているのです。旦那様は、前世では村の叟(おきな)でありました。その人柄は純朴で人と比べるようなことはなく、のんびりとしていて損得勘定をすることもなく、淡々としていて愛憎に乱されることもなく、公平で私利私欲に偏ることもなく、また、人が侮ってきても争おうとはせず、欺いてきても疑おうとはせず、罵ってきても怒ろうとはせず、陥れてきても報復しようとはしませんでした。生涯慎ましやかに暮らしてひっそりと死に、これといった大きな功徳があったというわけではありませんでしたが、その心の持ちようによって神から福運を授かり、今生において報われているのです。愚かで知識を持たなかったからこそ、生まれ変わって身体が異なってもその性根が残っていて、前世の善根が消えなかったのです。皆さま方がお疑いになるのは誤りではございませんか?」

とのことだった。その場にいた人々は半信半疑であったという。

 この話を聞いて、私はひそかにその御告げの言葉を興味深いと思った。そこで私は言った。

「これは胡牧亭先生自らこの話をお作りになり、ご自身のことをその御告げの言葉に託しただけでありましょう。しかしながら、その道理は確かにもっともでございます。」

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