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閲微草堂筆記(181)棋道士
巻二十四 棋道士
景城の北岡には元帝廟があるが、これは明朝の末年に建てられたものである。長い年月が経ち、壁にぼんやりとした染みができて、それが連綿と峰々が起伏しているような形になっていた。離れて眺めるとまるで遠くの山に霧が立ち込めているようで、私が幼い時分にはまだこれを見ることができた。
しかし廟を管理している棋道士が、そのぼんやりとして暗い雰囲気を嫌って、画工を雇って墨で輪郭を描かせてしまった。それは方竹(四角竹)の角を削って丸くしてしまうようなものだと言えよう。今、その廟はすでに倒壊してしまっている。
棋道士は、その姓は知らないが、ひどく将棋を好んだため、この名で呼ばれていた。あるいは齊という姓の誤り(※)ではないかと思う。彼は将棋がひどく下手だったが、人一倍負けず嫌いで、終日休まず丁丁と将棋の音を響かせていた。対局していた者が疲れて帰ろうとすると、土下座してこれを引き留めた。
かつて、ある者が対局中に相手の指し手に口を出したことがあったが、恨み骨髄に入り、ついには緑章(青詞。道教の道士が神に上奏するのに用いる)を用いて、その者が早く死ぬようにと呪詛するまでにいたった。
また、対局中の少年が指し手を一手誤り、運よく棋道士が勝つことができたことがあった。少年は指し直しを求めたが、道士は大声で喚き散らして決して許さなかった。少年は荒っぽい気性の持ち主だったため、立ち上がって道士を殴りつけようとしたが、道士は笑いながらこれを躱して言った。
「されるがままにお前に殴られて肘を折ったとしても、今日私が勝てなかったと言うことはないのだよ!」
この棋道士もまた痴れ者だと言える。
※ 棋も齊も「qí」と発音するため。
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