『個性』を疑ってみる


誰かにあなたのことを伝えたい時、『個性的』と言うだけでは伝えることをサボっているような感じがする。

一般的には、なんとなく違うから、変わっているから、
『あなたは個性的だ』という風に使う、または言われることが多いだろう。

このミスiDの期間で個性を考えさせられてしまった。


この考えるということは、よくマイナスに思われがちだが私にとってはプラスである。


興味本位から、頻繁に使われる『個性』というものをしっかり疑ってみたいのだ。

満足できない私は『個性』を考える旅に出た。


1. 私が使っていた個性を考える


私も皆さんと同じように、独創的と同義で『個性的だね!』と使ってしまうことがある。


その場合、周りとは少し異なっているから『個性的』という単語を用いたのだと振り返ることができるだろう。


その際、個性的を引き出すために私が比較していた『周り』とはなんだろうか。周りはそもそも存在するのか。

どんどん疑っていこう。

・もし、話し方がゆっくりの人がいる時。
この人ゆっくり話すなあ…になると思う。この場合、周りと比べてゆっくり話すことが個性的だねだと考える。しかし、ここでの個性的は周りが全員ゆっくり話す場面ならば現れることはない。

ここから個性的がその場の環境の違いや、置かれた環境から比較して使うことがわかる。

・もし、ふわふわロリータを着た友達と会った時。
自身がロリータを着ない場合、個性的な服装だね!と言う人が多いと思う。逆に、自分もロリータをたまに着る人間の場合は、個性的だね!とはならない。
『今日のロリータ可愛い!』になるだろう。

ここから個性的というのは自分と比較して使う場合があるとわかる。


結局周りと違うからの『周り』は一体何だろうか。
私が思うに、周りとはその場その場の環境やその人との関係、比較対象である自分だと考えられる。


誰でもいいが相手がいなければ『周り』が生まれることはないのだ。


私は、今まで周りがいることを認知した上で『個性』という単語を使っていたのだと気づいた。

2. 個性は周りがいないとダメなのか

一旦、『個性』を使う際、周りを意識せずに『個性』を使って褒めてみることを想像してみる。
意外と難しくはないだろうか??


誰かに個性的と言っている場面を想像した時、誰かと比較して言ってはないだろうか。他の人と違うことをやってるからでもなく、自分とも違うからでもなく、誰とも比べずに個性的と言える状況って結構難しいと感じる。

周りがあってこその個性なのだろうか。

私は腑に落ちないのは、比較して明らかに輝いているものも個性だが、貴方だけが持つ揺るぎがないものも個性だと思うからだ。


今度は個性という言葉本体を辿っていって、周りとの関わりを含んだ意味があるのか探ってみる。

こ‐せい【個性】

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。
goo国語辞書から引用
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%80%8B%E6%80%A7/


あれ…??別に周り関係してない…???

個性とはそのもの特有の性質…そしたら周りと比較をして使っている今の使い方は間違いなのでは…??

せっかくだし、他も見てみよう。

こ‐せい【個性】
①(individuality)個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。「―を伸ばす」
②個物または個体に特有な特徴あるいは性格。
広辞苑無料検索から引用
https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/content/7187_186



……他の人とは違うか…そしたら周りもあんのかな。

いや待てよ、上にはpersonalityで下にはindividualityって書いてあるな…???はて。

結構、言葉の意味だけでもネット辞典ではグラつきがあることがよくわかります。


3. 個性という言葉を辿ってみる


じゃあ本当の『個性』って言葉はどこからきたの?


まず、いつからあるのか起源を辿ってみよう。

 そもそも実は、「個性」という言葉は、もともと日本語に存在しない言葉でした。江戸時代が終わって明治も半ば、明治20年(西暦1887年)頃にindividualityという英語が翻訳されたことで、初めて日本に「個性」という言葉が登場しました。

個性がいつからあるのか載せている方がいたので引用させていただきます。

『個性とは何か?歴史的・哲学的に考える』 眼鏡文化史研究室から引用
http://meganeculture.boo.jp/2018/09/07/%e5%80%8b%e6%80%a7%e3%81%a8%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%8b%ef%bc%9f%e3%80%80%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e3%83%bb%e5%93%b2%e5%ad%a6%e7%9a%84%e3%81%ab%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b/

↑元の記事

え〜!!!!個性って日本語じゃないんだって。
しかも、結構新しい単語じゃん。
そして、individualityの翻訳した言葉であるそう。


そもそも日本語ではないっていうことは、元の英語の由来まで遡ってみたくなってしまったな。


そういや、さっきのpersonalityはどこへ…???


2単語、比べてみましょう。

①personality

personalityとは
個性,性格,強烈な個性,魅力,強烈な個性の持ち主,(エンターテインメント・スポーツなどで世間に知られている)有名人,名士,タレント,(非難の)個人批評,人身攻撃

成り立ち→ラテン語でpersona(ペルソナ)から。
ペルソナの意味は仮面。劇での役割を意味していた。
その人本人の内面も表すが、周りからの役割期待に応えた(演じた)ものも含む。

personalityは、個性という意味では不可算名詞。個人、タレント、有名人、個人批判という意味では可算名詞です。

personalityについて↓

https://ejje.weblio.jp/content/personality


②individuality

individualityとは
個性,個人的人格,個体,個人,単一体,(個人的)特性,性質


成り立ち→ラテン語でdividere(分ける)に接頭辞のin(否定) もう分けることができない、比較できない唯一の個性。

individualは、個性という意味では不可算名詞。個人という意味では可算名詞です。

↓individualityについて

https://ejje.weblio.jp/content/individuality
http://hidic.u-aizu.ac.jp/result.php?tableName=tango&word=individual


ほーーーん。
どっちも個性を指しているけど、違うのわかりますか。

わかりやすいところをみるなら、可算名詞のところですかね。タレントや個人批判は相手がいないと成り立たないもの。個人だけのindividualityは相手がいなくても成り立つ。

・personalityの方は周りがある上で成り立つ。
・individualityの方は個人そのもの。

なんとなくわかってきました。私。


4. 本当の個性の定義とは

以上を見てきたように、日常生活でよく使われるような個性は周りがいてこその個性。所謂『personality』だということがわかったと思います。

ですが、語源は『individuality』

もう見ていてわかったと思うのですが、英語を無理矢理日本語訳化したために意味がズレていってしまっているのだと考えられます。(英単語の意味も二つできてしまってますね)

気づいた方もいるかと思いますが、2個目の辞書の意味でindividualityが他の人とは違うと書いてあります。
意味がブレブレな証拠にも見えます。

・personalityの意味で考えてみると、役割演技に応じた姿も含めた全てが個性と言えます。後天的。

・individualityで考えると、その人が存在することがもう個性であると言えます。先天的。

私が個性という単語が腑に落ちないのは、個性が個人そのままを指す場合も役割期待に応じた演技も個性だと言えてしまうからだと気がつきました。

とりわけ、personalityの意味でいくと場所や環境によって個性を変えているように見えてしまう。
=偽物の個性ではないかと疑われることがある。

また、周りがいてこそのpersonalityであるため、比較が度々起きてしまう。そこが『個性なんて測ることができないのに…』のモヤモヤだと思われます。

そのモヤモヤの矛先は『個性ってその人本体のこともいうでしょ?』に当たると思いますが、もちろん言います。individualityの意味で。


・あなたそのままが唯一無二なんだから個性がある。
・周りと比べて面白いことをしているから個性がある。
・何か置かれた状況で粗相なくこなす個性がある。



元々、周りの状況問わず、様々な意味も通ってしまうユラユラな単語だからこそ、『個性とはなんだ』という議論になるんだなと。というか、なるべくしてなっている

個性という単語をうまく使えていないのではなく、そもそも個性という単語自体がブレブレだということがわかったと思います。安心してください。

貴方は生まれながらにしてindividualityの個性を持つのです。そこにpersonalityの個性を加えていく。

余談ですが、最近言われている没個性教育なんぞは、どちらかというとpersonality潰しなのではないかと考えます。同じような人を作ることで、周りと比較できないようにしていると仮定できるからです。
周りがない=personalityもない=没個性なのかな。


まあ、没個性教育だってバレているのは、individualityの個性が既にあるからですね。バレバレのバレ。

完璧に同じ人間がいないというのが、言葉の成り立ちを考えてみて証明できたような気がする。Q.E.D.
科学的にはわからんけどね。


これからどっちを使うかは皆さん次第ですが。


私結構ラテン語好きですよね。TwitterとかCHEERZ見てても思います。言葉の成り立ちって面白い。

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