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am5:30

「これまでに死にたいと思った若者は全体の半分弱、これってまずいことだよね、なあ、聞いてるかよ、おい、なあって」という記事を見て、むしろ少なくないスか?と完全に論破したけれど、本当にみなさんは死にたいという思いを抱いたことはないのでしょうか?と聞いたところで、やはりほとんどの方の回答はNOで、「NOて」と思ったし、なんなら言ったし、やはり、思った。

「死にたい」と思うのは、それほど生に執着していることだからどーてらこーてらとおっしゃる書籍に出会ったけれど、だからなんだと思いながら歯医者の待合室にいると、小綺麗な格好をした婆さんが散々日程について文句を述べられた後、では12日の5時半からでよろしいでしょうか?と聞かれ、それは午後だよね?はい。ん〜~~、大丈夫よ、となっていた。

午後に決まっているし、そんなことよりも、ん~~~に憤りを覚えたのは、小綺麗な婆さんなどに歯を治す以上に重要な予定なんてないはずであって、そもそも婆さんの場合歯を治すというより、歯とともに生き、歯とともに死ぬという、もはや治療というより悪あがきであって、でもそんな婆さんにも家族がいて、家族がいて…家族…と思った。

公に配布する文章を書くことを生業のひとつとしてやっているのですが、今年は花や花言葉をメインとして書いており、先日マーガレットを載せたところ、同僚のばあさんから「これはマーガレットじゃないようっ!!!」と罵られた上に、「そうですか」と返したのが気に障ったらしく、わざわざ調べあげられた上で「除虫菊だよあれは!まったく~、違うよ全然〜あ~!!!!!」の奇声を発されてしまった。

誰が除虫菊を扱った文章を手に取るか、というか嘘も方便というか、まず除虫菊に花言葉なんかないだろと思って調べたら普通にあって、あ〜!!!!!とおばさんと全く同じ周波の奇声を上げながら、「花の前に人は等しく(はらげ 1997~)」と、思わずにはいられなかった。

鬱病になって、再発したのかどうか分からないし、そもそもの自分の性格かも分からないけれど、最近調子が悪いのは確かで、ついにおばさんには「おなたのことをかわいそうだとは思わないっ!あ〜!!!!!」と言われてしまったけれど、いじわるだなって思ったし、いや、でも、かわいそうとも思ってほしくもない、もう、放っといて、どっかに行って(もしくは私がどっかに行く)と思って、出どころの分からない涙に頬を濡らしまくった。

貴方など、この世界の切れつ端にすぎないのだから、貴方など、懐かしい切れぎれの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから。

だから、いつでも、用意さるゝ、貴方の居場所。

「この世界の片隅に」の一節であるが、この話を知っている人であれば、この一節があまりにも悲観的なようで実は暖かな優しさや希望を帯びたように聞こえると思う。

職場にて居場所がないと感じることが多くなってきて、色々な方に相談したりしているけれど「居場所はもともとある」「そもそも無くしているのはあなた」と言われることがあって、後者については、まあはいウィッス、なのであるが、前者については、まあはいウィッスとなれない自分がいる。

生きる居場所はあるけれど、といったところでありそれ以上ではないから、張り詰めた弦が限界を迎えた時にその居場所はついに、生きる場所でもなくなるのが怖くて、毎日をもがいているのに、と思う。

ここでみなさんが気になっている除虫菊の花言葉でありますが、「悪しき日々」とか「私に近寄らないで」とか逆に、「もっと私を見て」的なものを予想していたのに、「忍ぶ恋」でした。

なんだそれ忍者け、と思って少し笑えた。

久しぶりに笑ったと思った。

何処にでも宿る愛。


夕日が綺麗だった、と思う。

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