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全てのコミュを読んでいないと、そのキャラの解釈を語ってはいけないのか?[シャニマス]

シャニマスのキャラを語る上で、そのキャラの全てのコミュを読んでいないのであれば、ブログなどで意見を公表すべきではない。

一見正しいこのような意見が散見されたので考えてみたのですが、果たして本当にそうなのか?と思ったので考察してみます。シャニマスについて考察していますが、他のゲームについても言える比較的汎用性の高い内容だと思います。

シャニマスにおけるコミュを読むために必要なガシャ

まず先に、シャニマスというゲームがどんなゲームかわからない人のために、考察で必要になる基本的な部分だけコンパクトに解説します。

コミュというものがあり、キャラクターのストーリーが描かれます。シャニマスをやっているのはコミュが面白いからという人が大勢いるぐらい、作品の中核をなしています。

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画像のような感じですね。スクショなのでこれは静止画ですが、シャニマスでは2Dモデルがアニメーションとして動いてフルボイスが楽しめます。

この記事では、コミュの種類を2種類に大別します。ひとつは、W.I.N.G.やG.R.A.D.、イベントコミュなど、お金を払わなくてもゲームをプレイした人なら誰でも読むことのできる常設コミュ。もう1つは、ガシャで特定のカードを引いた人しか読むことのできない常設されていないコミュです。

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たとえばこのカードは最高レアリティであるPSSR(排出率わずか2%)ですが、発生イベントにある5つのコミュはこのカードをガシャで引かないと読めないです。常設されていないコミュの中でも、低レアリティのカードであれば比較的簡単にゲットできますが、期間限定のカードだと手に入れることはとても困難です。

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たとえば、このカードは期間限定のカードであり、2019年10月に実装されてから復刻(特定のカードの排出率が高くなる、いわゆるピックアップ)が行われていないので、手に入れることはとても困難なのです。

※シャニマスでは他のゲームに比べて限定カードの復刻開催がとても少ないです。その理由については別の記事で考察しているので、この記事の末尾に追記しておきますので興味があればご覧ください。

キャラの成長や魅力をたっぷり描いているシャニマスのコミュなのですが、限定カードや新カードが次々に追加されていくので、全てのカードを手に入れることはまず不可能です。ですが、コミュがキャラクターを理解するためにとても重要な役割を果たしており、ときにはそのキャラクターの本質に迫るようなものがあるのもまた事実なので、プレイヤーは必死に好きなキャラのカードを手に入れようとガシャを引きます。そういった経緯があり、冒頭の意見に話を戻します。

シャニマスのキャラを語る上で、そのキャラの全てのコミュを読んでいないのであれば、ブログなどで意見を公表すべきではない。

そのキャラのカードを全部持ってないくせに、コミュを読んでないくせに、そのキャラを語るなという意見です。全てを知っていないのに、全てを知ったような口を聞くなということでしょうか。確かにこの意見もわかります。物事に謙虚な人なら、全てを知らないのに知ったように口にするのはおこがましいと思うのかもしれないですね。

一見正しいと思えるこの意見、私も最初見聞きした時はそうだと思ったのですが、よく考えてみると本当にそうなのか?と疑問に思うようになりました。結論から言うと、私はこの意見に反対の立場をとります。なぜ「そうではない」と思うのかを今から説明します。

努力でどうにもならないガシャから生まれるマイナス

ガシャというのはくじであり、運要素が絡みます。誰しもが欲しいカードを手に入れることができるわけではありません。また、シャニマスを始めた時期というのも影響してきます。シャニマスは過去の限定カードを滅多に復刻しないので、シャニマスを始めたときより前に実装された限定カードを手に入れる術はほぼありません。これはもう、本人の努力だけではどうにもならないと思います。

そういった人や、シャニマスをはじめてまもない新規ユーザの人に「そのキャラのコミュを全て読んでないくせに、解釈を垂れ流すな!」と圧をかけたり、そういう雰囲気が蔓延している状態というのは、シャニマスの閉じコン化を加速させていくのではないでしょうか。そのキャラの既存のコミュ全てを履修せずにキャラについて語るのはおこがましいと考える謙虚さは尊敬に値しますが、それを他の人に強制すると次のようなマイナスが生まれると思いました。

まず、そのような窮屈な価値観自体が、界隈に閉鎖的な雰囲気を蔓延させると思います。コンテンツを一人で楽しめる人であれば界隈の雰囲気など全く気にせず楽しめると思います。しかし、昨今のオタクのなかにはコンテンツだけでなく、自分と同じようにコンテンツを楽しむ他者との交流に面白さを見出している人たちもいます。後者の人たちにとっては、界隈の雰囲気が閉鎖てきてあれば別のコンテンツに行ってしまうでしょう。

そして次の点がこの記事での核心の一つなのですが、全コミュの履修の必須というのが一般化すると、新規ユーザが新キャラに流れていく要因になります。なぜなら、新キャラは読むべきコミュも、手に入れるべきカードも少ないからです。特にノクチルは、全員が幼なじみで構成されるというこれまでのユニットの中でも異質な存在です。彼女たちの魅力があるのはもちろんですが、実装頻度が高いことや、読むべきコミュの少なさ・手に入れるべきカードが少ないことからも、新規ユーザには手に取りやすいです。ストレイとライトもそうですが、追加ユニットはこの手軽さという点で既存ユニットに比べて恩恵があります。

なので、元々あった4つのユニット、16人の担当をされている人たちは、尚更「全コミュの履修は必須である」という価値観をばらまかないようにした方がいいと思います。新規ユニットだけにしか関心がない人たちにとっては、過去の4ユニットのコミュには興味がないだろうし、イベントは復刻されないしで読む機会もないし、鍵を無理に使ってまで読もうとはしないでしょう。「全コミュの履修は必須である」というのではなく、「元からあるユニットは実装されているコミュのボリュームが豊富なんだ」という点をポジティブにプロデュースすべきだと思います。手軽さという点では新規ユニットに軍配が上がる一方で、これまでの既存コミュの豊富さという点では既存ユニットに軍配が上がりますし、その積み重ねてきた年月こそが既存ユニットの強みの1つです。

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キャラクターの根本的な魅力は常設コミュで理解できる

そうはいっても、限定カードには特に魅力的なコミュがいっぱいあるじゃないかと思うかもしれないですね。それは確かにそうでしょう。「ないしょのスイーツ」も「お散歩サンライト」もとても良いので、甘奈の魅力がたっぷりわかるし、甘奈にメロメロになることは間違い無いです。

ですが、私の信じていること(信念)の1つとして、W.I.N.G.やG.R.A.D.やイベントコミュなどの常設コミュ、(そして可能であれば)一番最初の恒常pSRやpSSRのコミュを読めば、そのキャラクターの根本的な魅力は理解できるようにシャイニーカラーズはデザインされていると思っています。このような考えを持っている方は私以外にもいらっしゃるようです。

たとえばこの方の三峰結華についての記事は、初心者の方のために限定カードの内容はあえて紹介しないスタンスをとっています。そして記事内でも次のように言及されています。

ともかく、三峰の魅力を知るには、恒常のカードコミュ・各種シナリオ等で十二分にわかるんですよ、ということをお伝えするべく、こうして筆を取っている次第です。

私もこの方と同意見です。甘奈などを始め、自分の大好きなキャラクター達の根本的な魅力は、W.I.N.G.やG.R.A.D.で充分に伝わると思っていますし、そう信じています。なので、未所持のカードあっても「あのキャラのこういうところが好き」って自由に解釈していいと思います。

既存カードだけで本当に「全部」なのか?

もっというと、既存カードを全て理解していればそのキャラクターを語る資格たりうるのか?というのがそもそも疑問に思えてきました。なぜかというと、既存カード全部持っていたとしても、今後新しいカードが出てくればキャラクターのまだ見ぬ側面があらわになるはずです。そうすると、これまでは常識と思われていた価値観が破壊されるかもしれないですし、足りない情報を無意識のうちに想像で補っていたことがわかるかもしれないですよね。つまり、全てのカードを持っていたとしてもキャラクターは進化し続けるので、現時点で我々は完璧にそのキャラクターを理解できてるわけじゃないと言えるからです。今我々が見ているキャラクターというのはほんの一部分であるとも言えるかもしれません。

「全コミュの履修は必須である」という価値観が謙虚であると敬意を示す一方で、既存カードを全部を持っているからといって、「俺はこのキャラを完全に理解している」というのは少々傲慢なのではないかと思ったりもします。あなたの好きなそのキャラは、きっとまだまだ出していない魅力を持っているはずであり、ここからもっと伸びるはずです。

そして、もし未所持のカードがあってキャラの解釈を発表して批判されたとして、それが根拠の部分(つまり、限定カードに含まれる細かなキャラの情報の部分。たとえば家族関係など)以外の批判であったとすると、その解釈はW.I.N.G.やG.R.A.D.などの基本的なコミュの理解が不足している可能性が高いと思います。逆に言うと、W.I.N.G.やG.R.A.D.を読んでいれば、そうそうキャラの根本的な解釈を外すはずはないので、常設コミュを読んでさえいれば、そのキャラを好きだと思って解釈を語るために充分だと思います。

間違いを指摘される覚悟も必要

そうは言っても、現時点での正しいであろう理解や解釈というのも存在するはずです。既存カードにはキャラを解釈するための根拠が含まれているので、現時点ではこういう解釈ができる、そのソースはこのコミュであるという議論は当然成立します。なので、持ってないカードがあっても好きにそのキャラの解釈をしても良いのですが、一方で自身の持っていないカードに含まれる根拠を指摘された場合は、自分が知らなかったことを認めないといけないですし、指摘を受け止める覚悟も必要だと思います。

このときに重要だと思うのは、そのカードを持っていない相手に対してマウントをとったりしないことだと思います。繰り返し述べている通り、シャニマスは限定の復刻がとても少ないので、シャニマスを始めた時期によっては手に入れたくても手に入らないカードだってあるはずです。マウントをとられた側は悲しい気持ちになって、手に入れるカードの少ない新規のキャラに鞍替えしてしまうかもしれません。シャニマスをプレイしている時間の長さだけで偉そうにせずに、どのカードに根拠があるという事実だけを伝えると同時に、常設コミュだけでも魅力は充分に楽しめるということを伝えればいいのではないでしょうか。そのような閉鎖的な雰囲気を破壊する姿勢というのが重要だと思っています。

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限定カードがなかなか復刻されない理由について推察した記事です。たくさんの人に読んでいただけているようで大変恐縮です。

今回の記事と同じく、巷に出回っていた意見を疑問に思って生まれた記事です。調査した内容はなかなか有益だったので、興味があればぜひご覧ください。ノクチルがゴリ押しされていると感じている人におすすめです。

本記事で使用されている画像はすべて©︎BANDAI NAMCO Entertainment Inc.


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