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10年ぶりに見たまどか叛逆、平成の悪魔的傑作はいつまでもカラフルなまま

素晴らしい作品を神と表現することがあるが、この映画は神作品と呼ぶのは相応しくないと思う。神ではなく、「悪魔的傑作」でどうだろう。そのほうがきっと、「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」には似つかわしいだろうから。幸運にもまどかマギカという傑作をTVアニメ版の頃からリアルタイムで追いかけることのできた人間として、当時の雰囲気も思い出しながらいつまでも心に残っているこの映画を10年ぶりに見て考えたことを綴ってみる。

オリジナルアニメ最盛期の中でも際立った作品

私が深夜アニメを見出したのは2010年の秋クールからだった。本当に最高のタイミングで深夜アニメを見出したと思っている。なぜなら平成の歴史のなかでも、2011年は深夜アニメにとって屈指の黄金期だったからだ。「シュタインズ・ゲート」「Fate/Zero」「ペルソナ4」など原作ありの作品が強力なのは言うまでもなく、特に「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「花咲くいろは」「TIGER & BUNNY」「輪るピングドラム」などオリジナルアニメが隆盛した時期だったと思う。思い出補正もあるだろうが、今思い出してもあれだけ粒揃いのアニメが揃っていた時代は2011年以降では思い出せない(強いて言うなら2011年より前の2006年ぐらいか)。

さて、そんな猛者だらけの2011年のなかでも際立っていたのが「魔法少女まどか☆マギカ」だ。「魔法少女まどか☆マギカ」は日本、ひいては世界のアニメファンにとっても2000年代以降を代表する深夜アニメだろう。ハルヒやコードギアスなどと同じく、平成のなかでは真っ先に名前が上がる作品の1つだと思う。私がまどかを高く評価している大きな一つの理由は、まどかがオリジナルアニメだからだ。

オリジナルアニメを創ることの価値

私はアニメ業界がより発展するためには、原作付きのアニメではなく質の高いオリジナルアニメがコンスタントに作られる、すなわち「オリジナルアニメが強く」ないとダメだと思っている。もちろん原作を元にしたアニメ作品のなかにも素晴らしいものはたくさんある。たとえば2014年の「四月は君の嘘」は大変出来が良かったし、先ほど挙げた2011年の「シュタインズ・ゲート」もそうだ(ただし2018年の「シュタインズ・ゲート ゼロ」は除く)。しかし、既に世にある素晴らしい作品を元にしてアニメという別メディアで表現するだけでは、アニメ業界が真の意味で作品をゼロから作っているとは言えないのではないか。

原作付きのアニメは原作の魅力をアニメという表現媒体でどのように最大化できるかが重要であると思う。有体に言えば1を100にするということだ。たとえば漫画が原作だとしたら、原作の何巻までをアニメ化するのかまず決めないといけない。例を挙げると、「映画 聲の形」では129分間の尺で原作漫画7巻分に相当する話が詰め込まれているが、成人式の話などカットされているシーンも多々ある。どの場面をカットするのか、あるいは物語をわかりやすくするために原作にないアニメオリジナルシーンを追加するのか。質の高い素材を上手く調理するためにはどうすれば良いかを試行錯誤することが重要になる。

一方でオリジナルアニメは、料理のための材料から全て自前で用意しなければならない。原作者がそもそもいないのだから、原作付きアニメでは原作者に丸投げしていた責務、たとえば脚本はもちろんのこと、キャラクター設定や舞台設定、何から何まで全てを制作チームで自前で作らなければならない。既にある原作を傷つけないよう注意深く配慮する必要はないものの、0から1を創出する作業は精神的にも肉体的にも相当苦労することだろう。

しかし初めからアニメという媒体(メディア)で表現することを想定して作られるのだから、音楽も物語も「アニメにとって最適化された」作品になることはオリジナルアニメの強みだろう。漫画や小説では、原作者は必ずしもアニメで表現することを想定して作るわけではないからだ(はじめからアニメ化を期待・想定している場合はさておき)。なので、0から1を創出するオリジナルアニメのことを特に高く評価している。商業的な価値としても文化的な価値としても、まどか☆マギカは日本のアニメ業界に多大な貢献をしたと考える。

テレビ版を超越した”叛逆”

「叛逆の物語」は今から10年前の2013年10月26日に公開された。私は最初にこの映画を見たときから、「叛逆の物語」がTVアニメ版よりも優れていると考えている。しかし、世間一般では「叛逆の物語」よりもTVアニメ版のほうが評価されているように感じる。「文化庁メディア芸術祭アニメーション部門」の大賞を受賞したのはTVアニメ版だし(第15回、2011年)、叛逆も日本アカデミー賞の優秀作品には選ばれたものの、本家のアカデミー長編アニメ映画賞でもノミネートされなかった(個人的に、日本アカデミー賞の価値はとても低いと思っているが)。

TVアニメ版は確かにとても綺麗に物語が終わったと思う。それは2011年当時に見終えたときにも感じていた。もちろんハッピーエンドかというとそうではないと思うけれど。一方で叛逆はTVアニメ版と比べるとスッキリとした終わり方ではなかったと思う。私も最初に見たときは、とりわけほむらが”円環の理”であるまどかを「捕らえた」瞬間から「????」と驚いたものだ。Kalafinaの名曲「君の銀の庭」と共にエンドロールが流れ終わった後も、ただただ己の理解のキャパシティを超えた映画を目の当たりにして、なんと感想を言えば良いのかわからなかったのを覚えている。

とはいえ、少なくとも私にとっては初見で見終えた後でも悪印象は全くなかった。むしろなんだか心地よかったというか、どちらかというと肯定的に捉えていた。別の作品でいうと、エヴァの旧劇場版(新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に)を見終わったときに近いような感情を抱いた。あの映画も一見バッドエンドに見えるものの、最後に碇シンジが「自分とは異なる他者の存在」を認めることのできたポジティヴな物語だったと解釈している(エヴァ旧劇場版も大好きな作品の1つだが、2021年の「シン」は大嫌いである)。

「叛逆の物語」もエヴァ旧劇場版と同様、一見バッドエンドに見えるがとても前向きな結末だったと思う。確かにTVアニメ版のラストは綺麗に終わったが、暁美ほむらの視点からみれば”大好きなまどか”の犠牲の上に成り立った世界改変だった。叛逆を見た後では、私はもうTVアニメ版のラストでは納得できなくなっていた。私はTVアニメ版の1話の頃から暁美ほむらが大好きであり、彼女にとても感情移入している。これ以上暁美ほむらについて語り出すと文字数が超過してしまうのでほむらについて語るのは別の機会にするが、ほむらの心情を想うとTVアニメ版のラストではまどかが救われていないのだ。だから私は叛逆のラストこそがTVアニメ版の結末よりもふさわしいと考えている。

本当に誰かの心に残る作品とは

ほむらに共感し、感情移入している私などの人間にとっては叛逆の物語はとても好意的に写っていることだろう。だが人によっては「TV版のほうが面白かった」とか、叛逆の物語を「気持ち悪い」と思っている人だって当然いる。私はこの映画に対しての否定的な考えには賛同できないけれど、同時にこの映画の本質的な価値はまさにそこにあるのだと思う。本当に誰かの心に残る作品とは、得てして賛否両論の批評になる要素を持ち合わせている作品だと考えているからだ。

大勢の人にウケるであろう「共通項」的な作品を創ることと、大勢から面白くないと批難される作品を創ることはさほど難しくないのではないかと思う(もちろんヒット作など狙って出せないのは言うまでもないが)。前者の場合、角の取れた・尖っていない、ポリティカルコレクトネスに配慮された、難解ではなく平易で誰にでも理解しやすく、絵ではなく何でもかんでも文字(言葉)で説明するような作品である。後者の場合は、脚本の整合性が支離滅裂だったり、物語の展開の仕方や終わり方が雑であったり、マジョリティから嫌悪される要素を盛り込むなどすれば良いだろう。もっと言えば、金のために「仕事をやってます感」を出して適当に仕事していれば駄作が生まれる可能性は高い。

一方で賛否両論になる作品を狙って作るのは、とても難しく高度な作業なのではないだろうか。人間の醜い部分を一切排除し、難しい要素も捨て去り思考停止状態で見れる作品を見終わった後の満足感など、マスターベーションで得られる快感と同じでくだらないものだと思う。少なくとも私にとっては、そんな作品は見終わったあとに徐々に忘れていってしまうので心に残らない。消費しやすい、不快感がないなどをウリにした作品は咀嚼する必要もない流動食のようであり、歯応えが全くないのである。

それよりもむしろ、もやもやとスッキリしない・秩序立っていない混沌とした、色んな感情が湧き上がって止まらない・収拾がつかない作品のほうが印象に残るのではないか。「映画を見て湧き上がってくるこの感情は一体何なのだろうか」と、知的好奇心をくすぐり、得体の知れない感情が脳裏に焼き付いて離れないような、そんな映画である。人間は生物が生き残るための本能的にネガティヴな感情のほうが記憶に残りやすいらしい(これをネガティビティバイアスという)。だから汚れの一切ない綺麗なだけの作品よりも、多少は負の感情を抱かせる作品のほうが心に引っかかって記憶に残るのではないだろうかと思う。

10年ぶりに見直してなおカラフルに輝く作品

アニメ業界には、「宮崎駿の映画は100人が1回は見る。押井守の映画は1人が100回は見る」という言葉がある。私はどちらかというと後者寄りの人間で、気に入った作品は繰り返し何度も見る性格だ。しかしまどか叛逆に限っては、なぜか最初に見てから10年間も放置していたのだ。他の作品の例に漏れず、何度も見直せるようにBlu-ray(完全生産限定版)だって発売されてすぐに買ったというのに。だが前述の通り、好意的な印象だけはずっと残っていた。

「ワルプルギスの廻天」の公開前イベントとして新宿バルト9で叛逆のリバイバル上映があったのだが、残念ながらチケットが取れなかった。2021年ごろにリバイバル上映もあったらしいがこれにも行かなかったことをとても後悔している。しょうがないので手元のBlu-rayで2回目の叛逆の物語を10年ぶりに見ようと思ったのが、今回の文章を書くきっかけになったわけだ。

叛逆に対する肯定的な評価は、10年間放置してきたこれまでの間自分が強固にしてきただけの思い出補正による過大評価ではないのかもしれないと、2回目を見るときに思った。でもそれは杞憂だった。1回目は感傷的な気持ちにならなかったのに、物語の中盤でほむらが泣いているシーンでは思わず私もほろりときてしまった。ほむらの悲しみに対してとても共感していたのだ。10年経っても色褪せてないどころか、むしろより前のめりに映画鑑賞できたと思う。涙もろくなったのは当時より歳をとって人間としての強度が下がったからだろうけど。

さて、ラスト20分からがこの映画の真骨頂だ。「この瞬間(とき)を待ってた…!」とほむらが言った瞬間から、叛逆の物語は我々に牙を向くのである。2回目にこのシーンをみたときは、サッカーの試合でアディショナルタイムに大逆転したときのように「よっしゃあ!」とガッツポーズで歓喜してしまった。「ほむらちゃんよくやった!」といった感じで。こんな大声を出せば周りの人の迷惑なので、新宿バルト9でみていなくて本当に良かったと思う。

中盤でほむらが泣くたびにこちらもつられて涙してしまうかと思えば、最終盤でいざ「叛逆」がはじまればワクワクしたカオスのなかを駆け巡るような気持ちになる。そして世界を再改変したあと、最終盤でまどかと二人きりになったシーンでほむらが畳み掛けるように問い詰めるシーンでは、ほむらの必死さに思わず爆笑してしまった。生き方という人生哲学について初対面の転校生(しかも中学生)に迫真の表情で問い詰められたまどかの身にもなってほしい。中盤でほろ泣きしたのは何だったのかと思ってしまうぐらいに、である。

初対面の相手に迫真の顔で「あなたはこの世界が尊いと思う?欲望より秩序を大切にしてる?」って問い詰めないだろう普通

序盤の魔法少女たちの明るい日常を楽しく見ていたと思ったら、中盤になって嫌な感じが漂い始め、世界の真実を探求することにした。しかしほむらが魔女になったことを知ってから絶望と憤りが押し寄せてきて、最後にはほむらを救うためにみんなで協力する感動のフィナーレへ、というのがこの映画の主な流れだろう。起承転結がわかりやすいと思うが、叛逆のすごいところはさらにその先を見せることで観客を驚かせたことだ。悪魔ほむらが世界の理を再度改竄してしまうなど、誰が想像できただろうか。

全体的には終始シリアスなテイストで纏まってはいるものの、ここまで感情の振れ幅のある映画も珍しい気がする。叛逆の物語には、起承転結+その先だけでなく、喜怒哀楽の感情も全て含まれている。視点を変えれば変えただけ新しい発見がある映画なのだと思う。ClariSの主題歌「カラフル」の曲名通り、叛逆の物語は10年経って見てもなお私の心のなかでカラフルに彩られていることがわかった。

叛逆のその先へ

叛逆の物語から10年、この国の元号は平成から令和になった。元号が変わったものの、この国が特段何か変わったかというとそう感じるわけもなく、相変わらず平成時代の閉塞的な空気感がそのまま漂っている気がする。平成は停滞の時代だと言われる。”国の内外にも天地にも平和が達成される”という願いが込められた平成だったが、世界から戦争がなくなることはなかったし、この国の不景気が好転することもなかった。バブルを知っている昭和世代からすれば、平成は暗く酷い時代だったかもしれない。でも私にとっては、どれだけ酷かろうが生まれ育った時代なので思い入れがあった。この映画を見てその気持ちを思い出した。

叛逆の物語のラストは本当に最高だった。なので最高だった叛逆を廻天が超えられるのか正直不安がないわけではない。でもよく考えればテレビ版12話も綺麗に終わったなとリアルタイムで感じていたし、叛逆それを軽く超えてきたのだから、廻天が叛逆を優に超える可能性だってあるかもしれない。

決戦の時は2024年冬、不安もありつつも期待感強めで楽しみに待つことにする。

本記事で使用されている画像はすべて©︎©Magica Quartet/Aniplex・Madoka Movie Project Rebellion





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