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令和ロマンの字(神保町よしもと漫才劇場芸人連載企画 vol.6)

神保町よしもと漫才劇場所属の令和ロマンネイチャーバーガー9番街レトロが月替わりで登場する新企画。
第6回目は令和ロマンの二人がお届けします。


月刊芸人 くるま (1)


改札を抜け、少し入り組んだ階段を登って外に出た。
息が上がる。それだけで小さな達成感がある。
神保町。今日はこの街で過ごそう。

お値段5桁のスニーカーを初めて買った。
靴底の触感は独特で、くすぐったいような心地良さ。
足の向くまま歩いてみたくなる。珍しく早起き出来た今日にはうってつけだった。

試験が終わった開放感はあるけれど、皆みたいにエネルギッシュに弾けられない。
まだ癒えぬ受験戦争の傷痕を癒すように過ごしていく10代の終盤戦。
私のモラトリアムは静かに幕開けたのだった。

ついこの前まで群れでしか動かなかった自分がこうして一人で知らない駅で降りるなんて。
成長?そこまで言うことじゃないのか、気恥ずかしさからマスクの中でにやける。
すぐ顔に出るこの性格を守ってくれる、この時代唯一のメリットだ。

辺りを見渡すと、思ったよりたくさんの人がいた。
それも年代が幅広い。老夫婦に学生、熟年カップルからサラリーマンの集団までがぎっしりと信号を待っている。
この国のミニチュアのようだった。本当ならもう少し年齢が高いのかもしれないけど。
自分の知らない場所に溢れる人々を見ると、世界の広さと自分の小ささが胸に刺さるけど大丈夫。
若さで割り切れない未熟さを補いたくて、スクリーンの外へ学びに来ているのだ。

次第に気づいたのは「匂いの多さ」だ。
人が多いだけじゃなく店が多くてしかも食べ物屋ばかり。
香ばしい油の匂いや甘い蜜の香りが風に乗ってやってくる。
どれも今まで嗅いだことあるものだけど、どこか少し高尚に感じて背筋が伸びる。
お腹の具合はそこそこ満たされていて、暖簾をくぐるほどの動機がない。
また違う風が吹き、やってきた苦い香りを追いかけると小さな喫茶店があった。

外に少しの席があり、横のガラス戸から中が伺える。
細長い店内に小さな椅子、奥のレジまで続く壁面にはぎっしりとコーヒー豆が並んでいた。
大人の店だ、と直感的に思った。幸い味覚はお子様すぎない、ミルクがあれば砂糖がなくても平気だ。
思い切って扉を引っ張る。不健康な腕には少し重たかったので体全部で開ける羽目になった。

なるべく平静を装ってレジまでのストロークを抜けると、ラミネート加工のメニューに集中した。
何になさいますか?、物腰は極めて柔らかかったが、小洒落た眼鏡に長髪の組み合わせ、その威圧感に私は勝手に屈していた。
消え入りそうな声で「日替わり珈琲のMサイズ」と告げると、日替わり珈琲のミディアムサイズですね、と繰り返される。
ミディアムサイズと言うのか。恥ずかしい。いやでもMとしか書いてない。エムとしか読めるはずがない。これは罠だ。私に非はない。私に、非はない。

自答が泳ぎ出しそうとする前に商品が手渡された。手早く受け取り、ぴったりの小銭を払う。
豆の産地を言われた気がしたけど聞こえなかった。同じストロークをさっきよりはゆっくり歩き外に出る。
また一つ、小さな達成感を噛み締めて、ドアの鐘を福音と捉えてみた。

まだ肌寒い風を柔らかな日差しが包む路上で、カップに空いた小さな穴から恐る恐る啜ってみる。
当たり前に熱くて苦かったが顔はしかめなかった。品の良い香りが喉を抜ける頃にミルクをもらい忘れたと気づく。
そもそももらえるものではなかったのかもしれない。いずれにせよいい。これも修行だった。

ふと目線を上げると不思議な形の建物があった。
無機質なグレーの外壁は複雑な切り口で刻まれていて、宇宙船のような浮遊感がある。
近づいてみると外壁のガラス部分にポスターが連なっていた。
よく見ると同じ文字が繰り返し載っている。

「神保町よしもと漫才劇場」

よしもと、吉本、聞き覚えはある会社だ。いわゆるお笑い芸人の会社。
その劇場。その芸人の写真は見覚えのない顔ばかりで、でも皆楽しそうな顔に見えた。
目と足をスライドさせていくと見覚えのある3人の女性。
ぼ、る塾、そうだぼる塾だ。昔はよく見たテレビもこの一年は絶交していて、昨日当たり前のように画面に映るこの3人に少し驚いた。その浦島太郎気分がこみ上げてくるとともに興味も湧いた。
入り口に回ると間もなく始まる公演のスケジュールが記されていた。

よし。ここにしよう。
当てもない旅の目的地は思ってもみないような場所に限る。
この入り口を出口としてくぐる頃には、どんな私になっているかな。
これだから東京は面白い。マスクの下で微笑みながら一歩を踏み入れた。

「お嬢さん。お嬢さん。令和ロマンのくるまです。今日はね。当日券ないの。だから席ないのよ。だからごめんなさいね。から好し行きなよ。から好し。すぐそこの唐揚げ。ガストの系列。これ50円引き券。行ったら毎回もらえるやつだから気にしないで。から好しもめっちゃ面白いよ。笑える。皆でお見送りしてあげる。せーのっ、行ってらっしゃーい!!!!!」

それから私は4浪した。


月刊芸人 ケムリ (1) (1)


松井ケムリの喫煙所探訪
~世紀末暗闇コロッケ時代~

2020年は喫煙者たちにとって間違いなく受難の年だったと思う。自分たちのことをキリストだと思っているわけではないが、我々のニコチンへの依存のことを考えれば、「精神的および肉体的な苦痛」という意味での受難はあながち間違っていない気がする。

2020年4月1日から、受動喫煙による健康への悪影響を防ぐための法律「改正健康増進法」が施行された。改正前は努力義務だった“屋内の禁煙・分煙化”が、この改正で明確に義務化され、飲食店をはじめとする様々な施設が対象となり場合によっては罰則も課せられることになったのだ。

あまり法律のことを沢山書くと授業中の「映像の世紀」を思い出して眠たくなってしまうのでこのくらいにしておくが、この結果若手芸人の味方である大手チェーン店から喫煙席は排除された。一部の心優しい店舗では「喫煙ルーム」が用意されており、我々はまさにシェルターのようにそこに逃げ込んでいる。

さらにこの現状に追い討ちをかけたのがコロナ禍だ。緊急事態宣言下では、三密対策として街にある公衆喫煙所すら封鎖されてしまった。公衆喫煙所を奪われた喫煙者達は前述の喫煙室に逃げ込むしかない。しかしここでもコロナ禍は立ちはだかる。

喫煙室には人数制限があるのだ。店舗や喫煙室の広さにもよるがだいたい2~4人が定員となっていることが多い。シェルターに逃げ込もうと思ったらそのシェルターは避難者達で埋め尽くされている。こんなの北斗の拳じゃないか。

喫煙室の中でおばさんが「ご…ごめんなさい。ここは もうひとり。 いえ…どうつめてもふたりまでです‼︎」と言っているわけではないのだが、最近はあの人が小池都知事に見えてくることがある。まあ北斗の拳では死の灰から逃れてシェルターに入るのに対して、我々は死の灰を浴びにシェルターに入っているのだけれど。


話をまとめると、我々喫煙者は現在「改正健康増進法」と「コロナ禍」のダブルパンチをいただいている状態なのである。ハンバーグーではなくハンバーガーで殴られてる状態。108マシンガンのようにタバコを吸いたくてもそうはさせてもらえない。このダブルパンチは想像以上にしんどく、パンチドランカーになってしまったのか禁煙という奇行に走った仲間たちを何人も見てきた。

そんなダブルパンチに耐えていると、ふと気がついた疑問がある。
 
「神保町の二階の喫煙所は、改正健康増進法とコロナ禍のどちらが原因で消えたのだろう」ということである。
 
その喫煙所は、私が所属している神保町よしもと漫才劇場の二階の楽屋を出た階段のあたりに存在した。しかし、2020年に入ってから彼は忽然と姿を消してしまった。

舞台のすぐそばにあったため実に使い勝手がよく、僕の中ではTwitterでバズったレシピに登場するごま油くらい便利に使わせてもらっていたのだが、この撤去によって現在喫煙所は4階と5階にしかなく、舞台からも遠いのでゲストの方にも不便な思いをさせている。その喫煙所の撤去の理由がどちらなのかわからない。


2020年に入ってから姿を消した喫煙所はよしもとの劇場でもそれ以外の場所でもいくつかあるが、改正健康増進法とコロナ禍がほぼ同時期に押し寄せてきたため、どの喫煙所が何を理由に撤去されたのかわからないのである。

さらに言えば、これから喫煙所が撤去される時ですらどちらが原因かはわからない。我々はダブルパンチが、どこから飛んでくるかわからず暗闇の中で怯えているだけなのだ。 

もしもこの喫煙所の撤去が改正健康増進法が理由の場合は諦めがつくが、コロナ禍が理由の場合は、事態が終息すれば復活するのではないかと夢を見てしまう。

コロナが終息した時に我々は神保町の二階の階段でタバコを吸っているのかどうか。それは神と吉本興業のみぞ知るところではあるが、願はくは撤去された全ての喫煙所はコロナ禍が原因であって欲しいと私は思っている。


令和ロマン'18(BU) (1)

■令和ロマン
2015年結成。NSC東京校23期生。髙比良くるま(左)、松井ケムリ(右)のコンビ。



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