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令和喜多みな実 「もう『M-1グランプリ』獲れてないだけで犯罪者みたいな扱いすんの、やめてくれっていろんな方向に思います」

2019年5月1日にそれまで長らく付き合ってきた“プリマ旦那”というコンビ名を現在の“令和喜多みな実”に改名した彼ら。それは漫才というものにしっかり向き合って、地に足をつけて頑張って行く決意の表れでもあった。
そんな彼らに改めて改名後の状況、そして自分たちが対峙する漫才、さらにコロナ禍での笑いについて聞いてみました。

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――プリマ旦那から現在のコンビ名に改名して3年目になりますが、名前が変わって、自分たちが変わったことってありますか?

河野:改名がきっかけというわけではないんですが、(プリマ旦那の頃は)もともと漫才コントもしてたんですけど、野村の考えで、結成10年目くらいから漫才コントみたいなのをやめていこうかと。「思ったことを言いたい」というのが一番あって、素に近い、立ち話みたいなスタイルに、改名してから完全になっていきましたね。

野村:僕らの世代って『MBS漫才アワード』という高校生が審査員を務める大会がありまして、それが若手芸人の登竜門的な賞レースとなっていて、どこまでも女子高校生たちに笑ってもらえるネタを見せないとっていうので、内容よりも「テンポ感やポップさを、よりキャッチーに」っていうのを意識して、それに寄せていってて、それにだいぶ冒されてたとこがプリマ旦那の時は大きくて……。僕ら自身、結成10年目が見えてきたときに、もういいかなと。

だから会話主体になったら、周りからは「なんでスタイルをガラッと変えたん?」とか「ベテラン風のキャラつけて」とか揶揄されることが多かったんですけど、みんなの意見を聞き入れたり、足並み揃えるようなことはしなくてもいいやんと。

コンビ名を変えたのも、これから先のことを考えたときに、養成所の講師につけてもらった「プリマ旦那」という名前に別段深く思い入れがあるわけでもなかったので、年を重ねたときにその名前だとキツイなぁっていうところでして……。

2019年になんばグランド花月で襲名披露公演をやった時に、改めて令和喜多みな実というコンビとして、ふんどしを締めなおしたような気持ちになりました。そこから3年目になったかと考えると、早い気もしますし、まだまだやとも思いますし。

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河野:漫才師らしい名前にしたいって気持ちがあったので、屋号があって、名前がある、昔の漫才師らしいコンビ名になりました。その名前に負けないように、ちゃんと漫才師としてやっていかなあかんという決意と覚悟と自覚を持ちましたね。恥ずかしい漫才をしていってはいけないコンビ名なので。令和という元号を背負っているし……。

野村:そんなこと言うてますけど、緊急事態宣言が出る前のお客さんがいはる舞台最後の日に、僕が河野のポコチンを足に挟む漫才をやってましたけど(笑)。改名してのマイナス面は、テレビの番組ロケの仕事で一応、作家さんが書いた台本があって、まぁなんかよくある「仮でここでボケを」みたいな据え置きで書かれているやつで、この間あったのは、“令和喜多みな実に改名したのに仕事全くありません~、スタジオの皆さん助けてください~”みたいなんが書かれてて……改名どうのこうのの前にコロナ禍でみんなヒーヒー言うとんのに、なんでこんな空気読まれへんこと書くねんって、しばいたろかって思いました。

河野:しばかんでもいいがな……(笑)。
マイナスではないですけど、いまだに先輩とかに“プリマ”って呼ばれるんです。こればかりはもう慣れてはるからしょうがないですけど、とりあえず皆さんには名前も長いので“きたみな”って呼んでくださいって言うてるんです。

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――東京のルミネtheよしもとで開催されたイベント『漫才交流会』も楽しかったと聞きます。

河野:ルミネtheよしもとが企画してるやつで、僕らがメインでやらしていただいたんですけど、楽しかったですね。外部からの三拍子さんやまんじゅう大帝国は初めてだったので、刺激になりましたし、ちょっと賞レースに出てるような感じのいい緊張もあって、そしてみなさん、本気で漫才をやってくれてはったのが嬉しかったです。改めて漫才ってすごいなって思いました。

野村:僕らがほかの漫才師さんたちのキャスティングを一任してもらったんですけど、最初は昭和のいる・こいる師匠、そしてキングコングさんをお願いしたら諸般の事情でダメで、どうしようかなと思いましたが、2丁拳銃さん、三拍子さん、トータルテンボスさん、ゆったり感さん、まんじゅう大帝国というメンツに出ていただきました。久しぶりに東京のお客さんを前にして、気負いがなかったと言えば嘘になりますけど、自分のやり方がどこまで通用するのかっていうのを試してみました。

オープニングトークから、なんか毒っ気だとか、大阪でずっとやってきたことを交えながらやってみて、ちゃんと受け止めてくださった感触はありましたし、何よりお兄さん方や後輩のまんじゅう大帝国の漫才を見て、やっぱりかっこいい色気のある、漫才師さんたちだなぁって思ったとともに……やっぱり僕は漫才がうまいなぁって思いました。なんでこんなうまいんだと……やりながら思ってました……はい。

河野:自分かい!(笑)。

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――他の漫才師さんと比べて令和喜多みな実の漫才の特色ってなんでしょう?

野村:特色というか……舞台に出て行く前にあらかじめ決めてた内容もマイクの前に立った瞬間に変わることもありますし、あえて決めずに出ていくこともありますし。そのせいで、本ネタで何をやるかを忘れたり……っていうの、河野の方が多いですね。

河野:お前や!(笑)。このネタで行こうって決めた一本はあるんですが、野村が冒頭にいろいろ喋ってる間に忘れて、全然違うネタに入ったり、極端な場合「なんやったっけ?」って聞いてくる時もありますからね(笑)。

野村:もう堂々としてますよね。15年近くやってると。最近はあたふたすると言うより、低い声で「なんでした?」って言うだけで、もうなんかいいかなって。いかにも「漫才始まりました」っていう感じより、自然な会話が大事だと思うので、まぁ何をやるか忘れてるのも込みで。何をピーピー言うてんのかなと。

河野:相方としてはめっちゃ難しいんですけどね。「なんでした?」って聞かれてタイトルを言うわけにはいかないんで(笑)。

野村:喋り出しが絶対僕なんですよ。

河野:だから、フワーッと「お前のしたい仕事入ったんやろ!」とかヒントを出してわからせるみたいな。

野村:でもそのヒントがわからん時があって…(笑)。

河野:そう! そのヒントでも、ネタとして何択かあるんでどれを選択するかも怖いんです。出したヒントでそっちのネタとはちゃうみたいな(笑)。

野村:僕ら漫才作りすぎて、どのテーマを振られても最低でも1~2本はバリエーションがあるんですよ。だからヒント出されてもどれや?ってなる時が……。

河野:僕ら台本もないんです。

野村:もうだいぶ前から書くのやめたんです。河野に「書いてこい」って口すっぱくなるほど言われて、書いていったら、ペットボトルのコースターがわりにされたその日からやめました。

河野:してない、してない(笑)。

野村:河野は書いてきてっていうくせに、書いてきた通りに絶対やらないですし。

河野:書いた通りやらないというより、できなくて。僕も変わりますね。野村も野村でボケも変わるし、自分も変わるタイプ、決まったツッコミができないタイプ。

野村:とにかく僕が面白いことを言うから、あなたツッコんでみなさいっていうところから入って、で、やっぱり、頓珍漢なことを言うんですよね。思ってもみない方に行ったりもするんで、ほんまに会話です。

最近は単独ライブ『きたみなの漫才を作る会』で新ネタをだいたい5~6本、お客さんの前で即興で作っていくことをやってるんですけど、僕はコロナ禍で単独ライブの準備をするの、気持ちがすり減るんですよ。
どれだけ作り込んだものを持っていっても、お客さんの数を入場制限していたり、マスクをしていたり。この現状ではしょうがないことなんですけど、そのために僕からもお客さんを“起こしに”行かないといけない。
ちょっとニュアンスが難しいかもしれないですけど、その“起こし方”にお互いが嘘をついているような、嫌な感じがずーっともたげてて。

それなら「コロナ禍でもできる新ネタを」って思ってた時に、普段、会議室でやってるような時間を見せてしまおうと。それが『漫才を作る会』に反映されてます。いっそ出番10分前くらいかな、河野になんかテーマちょうだいって単語を出してもらって、じゃあこれでって感じで。

聞く人によったら「なめんなよ」って話なんですけど、別に練習したから面白いってわけじゃないし、僕らの喋りに全部がかかってるんで、そこの責任は二人とも背負ってるつもりです。舞台に出たからには絶対ウケるし、通常の新ネタライブでもそうです。

河野:だからツッコミもいろんなこと言うて受け答えしてますけど、もうわからんなって、大きい声出してるだけの時もあります(笑)。まぁそれも楽しんでる部分があるんですけど。

――個々の話もお聞きしたいんですけど、河野さんのMC出番も着々と増えてますね。

河野:MCをやらせてもらうのは好きですね。森ノ宮にも劇場ができたので、無観客ですが、イベントも増えて。まだ胸張って「MCできます」ってとこまではいえないですけど、もっと自分のMCスキルを磨きたいとは思ってます。先輩も同期も後輩も含めてMCやってて、毎回すごいなって思う瞬間を見ることができるのは嬉しいですね。

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――野村さんは劇団コケコッコーを主宰し、劇作家として演劇でも活動の場を広げてますね。

野村:もともと漫才が好きでこの世界に入ったわけですけど「漫才だけしないと」っていうより、面白いものを作りたいっていう気持ちが強いんですね。でも思いの外、漫才以外をやると怒られるんだなぁと。
20代の頃、横やりに言葉が飛んでくるというのを経験して、結構、当時はガクッときてたんですけど、20代中頃くらいに匿名で短編の短いコントとお芝居の間みたいなものを書かせてもらったりしているうちに、僕自身が見たい何かを作るっていうことで、人が動いてくれたり、お金があるからだったり、ワガママが通じる時に始めるんじゃなくて、怒られながらでも20代のうちに始めておこうっていうのでやり出しましたね。

手前味噌ですけど、お芝居の大会で賞もいただいて、そこからコロナ禍で流れてしまったんですけど、映画の脚本依頼だとか最近では朝ドラの『おちょやん』にも呼んでいただいて、これまで漫才とは別にやってきたことがちょっとずつ繋がってきて、最初の頃は小馬鹿にしてた人たちもそんなこと言うてたのを忘れていた感じで「やっぱ、ずっとやってきてたもんなぁ」って言うてもらえるようになったんですが、“よう言えんなこいつ。俺は、小馬鹿にしてたん忘れてへんからな”とは思います。

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――改めてコロナ禍の舞台っていかがですか?

河野:一番最初にアクリル板を挟んで漫才をせなあかん状態になった時に、野村は「これは漫才じゃない。絶対に嫌や」って言ってたんですけど、出番も入ってそうも言っていられなくて。舞台に立ったんですけど、ネタで野村が「俺は野村じゃなくて、影武者や!」っていう、野村が影武者として野村の思いを言うって内容でした(笑)。本人が発言してる体ではなく、あくまでも影武者が言わされてるんやと。“こんなとこで漫才したくない”ってことを影武者“が”言ってました。
これは一番最初に戻りますけど、漫才コントをしなくなったのは、野村の本音とか野村の言いたいことを、っていうのが一番やったんで、多分そこにこだわってるんやなって改めて思いました。

野村:大それたことを言うとコロナ禍で漫才の出番だけじゃ、救える人の絶対数って違うじゃないですか。例えば大人数が関わるお芝居をやっていると向いてくれる方っていうのは僕のことを贔屓にしている人だけじゃないんですよね。演者や関係者の分だけ増えてくるので。だからこそ漫才の4分、5分では収まらない何かを特に届けたいなって気持ちがあって。
その出番の時から、河野には結構ワガママ言うてて、しばらくはリモートで漫才とか、劇場も無観客や配信にどんどんなっていくやろうけど、俺はやりたくないから極力やらん方向でお願いしたいって。なんか嘘ついてる気になるし、これが当たり前になった時に、生の舞台が損なわれていく気がして、舞台に立つことを生業としている僕らが、それに拍車をかけるような真似をすんのは、矛盾を感じるみたいな感じがしてできることを模索してました。

だから「何ができるねん」ということで「会話をすること」に重きを置こうと。とりあえず喋ろう、喋りが腐んの嫌やから、って、YouTubeでラジオを休まず毎日続けました。

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――野村さんは芝居や月刊芸人でも短編小説を、河野さんはnoteで日々のことを書いたりしていますが、二人にとって書くことも表現の一つになってきてますよね。

河野:僕は、芸人になってから書くって作業を一回もしたことがなかったので、このコロナ禍になって、家にいることも増えて、僕はネタも書かないし、芝居も作らへんし、なんもしないまま去年一年間、ただ1日が過ぎていくことが多くて。ネタじゃないですけど、とりあえずnoteで書くことを始めてみようと。とにかく一日一個、なんか、自分の中で見つけようっていう、くらいのスタンスなんですけど、でもこれが形として溜まっていけばトークライブでやってみようかなと。そのタネ起こしみたいな感じでメモ書き半分みたいな意識で書いてますけど、寝る前にその日1日、何があったかなって振り返ってみるんですけど無理やり思い出したりしながらで難しいですね。書くのに平気で1時間~2時間かかります。

野村:漫才と芝居や小説は形が違うだけで自分の見たいもの、面白いものを作る上で一緒だと思いながら、書いてます。文字でも笑かしたいし、文字で人の気持ちに訴えかける、琴線に触れる何かを作りたいなと思っています。

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――漫才に戻りますが、今年も賞レースの時期がやってきますね。

河野:色々経験させてもらって、それが全てではないけどハマればいいなって感じです。楽しめたらいい、そこにさらに結果が伴ってくれたらなと思います。

野村:『M-1グランプリ』に関しては僕らが負けてていいわけない。ってずっと思っていて、去年も準々決勝で、本当にウケましたし、僕は不透明だなって思って、何がダメなんだっていう……。よく言われるんです、『M-1グランプリ』とかの時期になると「賞レース向きじゃない」とか「寄席ではウケるんだろうけど」とか。何があかんねんていう。
目の前のお客さんに向かって喋っているので、笑ってもらうのが一番ですし、ただ、そこでやっぱり結果を出さないことで心無い言葉が飛んでくる世界ではあるので、自分たちの漫才が確実に勝ってるんです。だから後は“もういい加減いいですよね、獲っても”っていう感覚で、焦りもないです。ただ、何より河野が獲りたいって言うてる大会なんで、獲って、河野は最近よく一緒にテレビ出たりしてる奥さんと巡業を初めてもらって……。

河野:奧さんと巡業せえへんわ!(笑)。

野村:僕は獲れた後は作りたいものを作る時間に当てられたらなって思いますね。とっとと、“賞いただいたんで、もういいですね!もう何も言うてこないですよね!”ってスタンスになりたいですね。もう、『M-1グランプリ』獲れてないだけで犯罪者みたいな扱いすんの、やめてくれっていろんな方向に思います。やっぱり日々の寄席のお客さんだとか、応援してくださってるファンの人たちをすごく裏切ってるような気持ちになってしまってるんで今年こそは。

河野:そういや正直、去年は準々決勝前の一週間とかは最悪でしたね。

野村:賞レース前にそれ用のネタは舞台では絶対やらないんです。というのが、みんなアホみたいに5分とかの出番時間を守らずに4分で帰ってくるんです。やったったみたいな感じで。いや、ウケてへんでっていう。寄席のお客さんはそんなん見にきてないから。とはいえ河野の不満と焦りが募ってきてるのもわかってましたし、じゃあ一回試していこうって、初めて1日3回、賞レース用のネタをやったんですよ。修正しながら。でも頭おかしくなりそうで、みんなようこんなアホみたいなことするなぁって。ずっとお客さんに失礼やし。

河野:で、ウケないんですよね。これでいこうって決めてやったけど3回やってもスベる、次の日、ネタ変えようってなってやるけど、3回スベるってなってきだした時に、一体何してんねやろうっていうか、本当にお客さんに申し訳ない気持ちになって。お客さん無視して『M-1グランプリ』のためだけに調整してた6ステージ分、なんでこんなんにお金払ってもらってるんやろってめちゃめちゃ思ったんです。で、最終的に寄席でウケるネタになったんですけど、そんなことをしていた自分に対してつくづく嫌になりましたね。

野村:やっぱり嘘がバレるんでしょうね。そこでやっぱり思ったんは自分たちの作るもんに極力、嘘をつかないっていう。どんなに青臭いとか遠回りやって言われても、15年近くそれでやってきましたし、それしかできないし、だから負けないし。でも、変化には柔軟にアップデートはしていきたいと思っています。

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■令和喜多みな実 プロフィール
野村尚平(右)、河野良祐(左)のコンビ。
2008年結成。野村の特技はギター/ベース。河野の特技はボイスパーカッション。
2013年 「第48回上方漫才大賞」新人賞受賞
2016年 「関西しゃべくり話芸大賞」大賞受賞
2017年 「NHK上方漫才コンテスト」準優勝
2018年 (野村)劇団コケコッコー旗揚げ
2019年 (河野)「吉本陸上競技会2019」マラソン優勝、MVP獲得
2019年 (野村)関西演劇祭2019 4部門受賞(最優秀脚本賞・最優秀演出賞・アクター賞・観客賞)
2019年 MBS「オールザッツ漫才2019」優勝

令和喜多みな実INFO


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ライター/仲谷暢之(アラスカ社)
撮影/渡邉一生

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