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マンゲキで人気は最下位? それでも関西若手芸人の登竜門『Kakeru翔GP』で1位を獲る天才ピアニストの底力

『女芸人No.1決定戦 THE W2021』準優勝という爪痕を残した天才ピアニスト。メディアに出る機会もぐっと増え、その勢いのまま、よしもと漫才劇場で2ヶ月に一度開催される芸歴8年目以下36組によるバトルライブ『Kakeru翔GP』にて、初めて4月チャンピオンに輝いた。
好調の波に乗る天才ピアニストに、駆け出しの頃の思い出やネタに対する想いを聞く。

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『THE W』一発で人生が変わった

———昨年12月に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W 2021』で準優勝されてから、本当によくテレビでもお見受けするようになりました。

竹内:おかげさまで昨年とは比べ物にならないくらい、めっちゃ仕事が増えました。

ますみ:これまでネタ番組にほとんど出演できたことがなくて、ましてや全国ネットなんて全然だったのが、最近では呼んでいただける機会が増えました。それが何より一番うれしいです。

竹内:ほんまにありがたいですよね。それに、春からレギュラー番組もいただけて(ABC『newsおかえり』)。『THE W』一発で、こんなに変わるんや、と。

ますみ:あと、「芸人ステッカー」を作ってもらえたことも。あれはきっと、賞レースで準優勝以上か、爆裂に人気が出ないと作ってもらえないと思うので、めっちゃうれしかったことのひとつです。

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———以前、竹内さんから「『THE W』で優勝するために、家賃が以前より高いところに引っ越した」と伺ったことがあるんですが、その後の暮らしはいかがでしょう。

竹内:そうそう、引っ越しましたね(笑)。でも、仕事が増えるとともに時間もまったくなくなりまして、家にいる時間もないという状態で。ほとんど、背中をなじませに帰っているだけです。

ますみ:ありがたいことに『THE W』以降、ひとつも休みがなくて、“うれしい悲鳴”とはこのことです。

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———まさに快進撃ですね……! では改めまして、そんなお二人のお笑いの原点を教えていただけますか?

竹内:学生時代はクラスで目立つタイプではなかったです。小学校や中学校の学芸会でも表舞台に出るのが恥ずかしく、照明や小道具という裏方ばかりやっていました。当時からお笑いは好きでしたけど、自分はあくまでもお笑いを“見る側”で、“やる側”とは全く考えていませんでしたね。

———とくにどなたがお好きだったんですか?

竹内:ブラックマヨネーズさんが好きで、出演されている番組は見ていました。一番繰り返して見たのは陣内(智則)さんのDVD。たくさん出ているDVDの中でも『NETA JIN』が好きすぎて、音声だけでも聴きたくて、『NETA JIN』を録音してMD(ミニディスク)にして何度も聴いていました。車の中でもかけるので、家族は大迷惑していたと思いますけど(笑)。なので、たぶん自分のツッコミや間合いは、陣内さんが基本となっていると思います。

———目で見て、その後に耳でも繰り返し聴いて……とは、かなりディープなたしなみ方をされています。ますみさんはいかがですか?

ますみ:私もお笑い番組はよく見ていました。毎週土曜日は小学校から大急ぎで帰ってきて『よしもと新喜劇』を見ながらチキンラーメン食べる、という、関西の定番みたいな日々を過ごしていました。

竹内:メニューまでは知りませんけれども(笑)。

ますみ:あとは週末にやっている漫才番組ですね。お父さんがオール阪神・巨人師匠とか、大木こだまひびき師匠、あと笑い飯さんが好きで一緒に見ていました。で、中学校の時にお笑いにめちゃくちゃハマりまして。ちょうどbaseよしもとがものすごい人気で、とくにキングコングさん、ロザンさん、ランディーズさんの「WEST SIDE」が人気やったんですけど、私はチュートリアルさんがめちゃくちゃ好きでした。

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———そんなお笑い好きのお二人が、NSCに入学したきっかけは?

ますみ:私は“思いつき”です。学生の時に、お笑い好きが高じて「やってみたい」とは思っていたんですけど、親に言うのが恥ずかしい気持ちもありつつ……。一方で看護師になる夢もあったので、高校卒業後に看護師の専門学校に通い、そのあと奈良の病院に看護師として就職するんですが、6年が経った27歳の時でした。解剖学かなんかの勉強で机に向かっている時に、なんか急に「NSCってナンボかかるんやろう?」って気になって、そのままパッと調べて資料請求しました。

———そんな速さで! お勤め先の病院には伝えていたんですか?

ますみ:いえ、職場にも、親にも何も言わずに面接へ行って、受かってから看護師長さんに事情を説明して辞めることを伝えたんですが、めちゃくちゃ止められまして。「すぐ芸人で食べていけるわけではないやろうから、自分の働ける時だけ、どの時間帯でもいいから辞めないで続けてほしい」と言っていただけたので、アルバイトという形で雇用継続になりました。

———理解のある看護師長さんですね。

ますみ:後輩もめっちゃいい子たちでした。急にオーディションライブに出ることになって私が夜勤に入れないとなると夜勤を代わってくれたり、すごく応援してくれていました。

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———やさしい世界……! 竹内さんはどのような経緯で?

竹内:私も実は“思いつき”です。大学時代は、自分が組織の中で働くのがあまり向いていないような気がして、自分でビジネスがやりたいと思っていました。それで、試しにコンサル会社にインターンで入ったり、農家や八百屋でバイトしたり、いろんな仕事を経験したんですが、どの仕事でも「しゃべるのがうまくないとあかんな」ってめっちゃ思ったんです。結局やりたい事業が見つからず、大学卒業後は何もしたいことがなかったんですが、「しゃべるのがうまくないとあかん」というのは残ってて、MCの養成学校に入学して結婚式の二次会のMCのバイトをしたり。それと並行して、母校の高校で生物学の非常勤講師をしていたんですけど、MCのバイトも非常勤講師もしゃべる仕事やけど時間制限があるし、言うこともだいたい決まっているから自由にしゃべれないんですよ。それで「自由にしゃべれるようになりたい」と思った時に、「あ、NSCやん」と急にひらめいて、私もほんまにその日に資料請求をしました。

ますみ:竹内は私の2週間後くらいやってんな。

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「女性であることを武器にしろ」と言われて悔しかった駆け出しの頃

———NSCではお互い、どんな印象でしたか?

ますみ:(竹内は)めちゃくちゃ解散しているイメージでしたね。4回解散していたので。言うても、私も3回解散しているんですけれども(笑)。竹内は「自分が書いたネタじゃないとやりたくない」っていうのは有名で、頑固やな〜という印象もありました。

竹内:(ますみは)わりとしっかり者のキャラで、同期の中でちょっと年上やから、飲み会の時も仕切ってくれる“皆のお姉さん”みたいな存在でした。

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———では、コンビを組んだのはいつですか?

竹内:NSCを卒業してからすぐくらいですかね。家が近かったのでしょっちゅう一緒にごはんに行ったり飲みに行ったりする仲でした。コンビを組む前は、両方ともネタを書く側でツッコミやったからどっちかと言うと同じ立場で、不満を分かりあえる相手でした。

ますみ:最終的に誘ってくれたのは竹内ですけど、「竹内と組もうかな」と心の中で決めていたのは私のほうが先やったと思います。竹内と組むと自分はネタを書く側ではなくなるけど、自分が書くより絶対おもしろくなると思っていて。そうなると、ネタを書く竹内のほうが主導権を持ったほうがいいと思ったし、私から「組もう」と誘うのは違うかな、と思いました。

竹内:大人の対応ですよね。物事には段取りがある、と(笑)。私は私で、次に組むなら絶対に女性と思っていたんです。男女コンビを組んだこともあるんですが、必ず「男女である意味」みたいなことを聞かれるので、それはいらんな、と思って。それなら女性同士のコンビのほうがもっと自由に、新しいことができるんじゃないかと思いました。ますみはネタ中でも表現力があるというのが印象に残っていて、私が自由にネタを書いてもカタチにしてくれそうやし、それで「一度、ユニットでやってみる?」と声をかけました。それに、これまでコンビと言えばビジネスパートナーって感じやったんですけど、ますみとネタ合わせすると、今までの中で一番楽しかったんですよね。ジュース買ってきてくれたりね(笑)。

ますみ:「デカビタ飲む〜?」とかな(笑)。

竹内:それで心がほぐれていったというか。

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———2016年に正式にコンビを組んで、そこから天才ピアニストのスタイルは変わらず?

竹内:当時のネタは、カタチとかは全然できあがっていませんでしたが、スタンスはそのままです。私自身が女性芸人らしいネタというか、コンパとかデートといった「女性あるある」に長けていないというのがあるんですけど、自分たちがおもしろいと思うところでやりたいな、というのはありました。とはいえ、別にトガッてるわけでもなく、女性がやらなさそうなネタを見せたいわけでもなくて、素直におもしろい、アホらしいと思えるネタがやりたい、という。でも、当初は作家さんから「女性なのに、なんでそんなわけのわからんネタをするのか」とかよく言われました。

———なんと……なかなか厳しい言葉です。

ますみ:本当に、めっちゃ言われましたよ。「もっと女性がやるようなネタをしろ」とか「女性であることを武器にしろ」って。でも腹が立つ反面、その理由もわかるんです。私たちのネタをもし男性がやったら、男性の方がウケるっていうのはあると思うので、納得するところもあるんです。

竹内:その時は思うようにウケてなかったので言い返せなかったです。だから、コントでも漫才でも、「私たちがやるからおもしろい」という設定が確実にあって、そこを押さえておかないと、どっちにしても1位は獲られへんと思いました。腹が立ちましたけど、気づけた部分もあったし、そのおかげでがんばれたというのはありますね。

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何度も悔しい思いを乗り越えて悲願の『Kakeru翔GP』1位

———そういう悔しさも乗り越えて、今のスタイルが確立されてきたんですね。

竹内:あまり人の言うことは気にしないほうがいい、というのはありますね。やっぱり自分らが納得したおもしろいことをしたほうがいい。でも、誰も褒めてくれなかったネタが勝負ネタになったり、「まあまあやけど、自分らがやってて楽しいからいいか」と思って出したネタがものすごい評価されることもあるから、自分の感覚も疑わしかったりするんですけど。
だって、上沼恵美子さんのモノマネのコントだって実際「やってみた」だけのコントですから。本当に、なにがどうなるかわかりません。人の言うことを気にしすぎず、自分のこだわりにもとらわれすぎず、何でもちょっとやってみる、というのは私らにとって大事かもしれないですね。

ますみ:それに、人気がダントツになくても、認めてもらえるのかなと思うようにもなって。以前、YES THEATERで毎月一度、芸歴3年目以下の「U-3 BATTLE THEATER(アンダースリーバトルシアター)というお客さん投票の入れ替え戦があったんですが、めっちゃウケるのに人気がなさすぎて客票が入らず落ちては復活して……を繰り返していて。で、芸歴3年目でもう卒業という時期になって3連覇できたんです。

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———着々と、確実に力を付けてこられたんですね。

竹内:それを、よしもと漫才劇場に出られるようになってからも繰り返したんです。『Kakeru翔チャレンジバトル』で落ちて、受かっての繰り返し。それで、今月(4月)、やっと『Kakeru翔GP』で1位が獲れたんですよ!

ますみ:ほんま、これまで何度も最下位にもなりましたし、1票しか入らなかった時もありました。たぶん漫才劇場で人気が最低なんです。だけど、人気じゃなくて、文句なしで「おもしろかった」と思っていただけたから、優勝できたんだと思います。

竹内:そういう環境だったからこそ、「ネタをがんばるしかない」と思えたのはありがたかったです。変に人気があったら甘えてしまう部分も出てきたと思うし。

ますみ:ほんまにキツかったし、辛かったですよ。それだけに、「Kakeru翔GP」1位はめちゃくちゃうれしかったです。正直、人気が出たわけではないんです。でも、人気は関係なく、認めてもらえるんやなって。

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———お二人がおもしろいと思った道を進み続けてきたからこそ喜びもひとしおですね。結成前からよく飲みに行っていたという二人ですが、竹内さんが「思い出の場所」で挙げた「有川家 居酒屋 華」もよく通ったお店なんですか?

ますみ:もともとは普通に飲みに行ってたんですが、ある時「バイト募集中」の貼り紙を見つけまして、3年近くバイトさせてもらいました。

竹内:生ビールが安くて唐揚げがめちゃくちゃデカくて、お刺身がおいしくて。マスターや奥さんも気さくないい人なんですよね。ますみの誕生日会をしたり、お座敷を貸し切って同期と忘年会したりとかね。それこそバトルライブ終わりに、負けた日も勝った日でも二人でそこで飲んだりしてね。

———では最後に、もし駆け出しの頃の自分たちに声をかけるとしたらなんと声をかけたいですか?

竹内:「あんまり人の言うこと聞かんでいいよ」って言ってあげたいですね(笑)。あとは「なんでもやってみて〜」です。

ますみ:私は「人気とか気にせんと、がんばってみて〜」って言ってあげたいですね。

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■天才ピアニスト プロフィール
ますみ(右)と竹内知咲(左)のコンビ。
ますみの趣味は料理(とくに果実酒作り)、お酒を飲むこと、映画鑑賞。特技はモノマネ、歌、採血(正看護師国家資格所持、10年の病院勤務経験あり)。
竹内の趣味は読書、Mr.Children、バチェラージャパン、お酒を飲むこと。特技は理科の授業(高校理科教員免許所持、非常勤講師経験あり)。

天才ピアニストINFO

天才ピアニスト公式YouTubeチャンネル「メゾン・ド・ラブ」

よしもと漫才劇場

■撮影協力
有川家 居酒屋 華
大阪府大阪市浪速区戎本町1-7-1 シャルム日商 1F

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取材/中野 純子
撮影/木村華子
企画・編集/いとう



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