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音曲漫才師になるまでの音楽珍道中

【ラニーノイズ結成〜カナダ音楽留学】


どうも、ラニー山田です。

僕の音楽のルーツを勝手に紐解いていくコラム第2弾

全部で3回あるので段階を3つに分けています

第1回目「幼少期〜バンド結成まで」
第2回目「ラニーノイズ結成〜カナダ音楽留学」
第3回目「NSC入学〜音曲漫才師へ」


今回は
【ラニーノイズ結成〜カナダ音楽留学】

前回は高校生の時に組んだバンドの初ライブについて語る前に終わったので
そこから始めたいと思います。

それではいきましょう

チンチンチンチン珍道中〜♪(メロディは各々で)


~初ライブ、箕面第二中学校文化祭~

体育館で校長先生の挨拶の後
二中OBの女子たちがソーラン節を踊っている
これが終われば俺たちバナナスプリット(当時のバンド名)の出番

山田は燃えていた
初めてのライブ
母校
全校生徒の前
保護者たくさん
ソーラン節を踊っている女子の中には同級生もいる
みんなにパンクロックの衝撃を与えられる

メンバー全員、希望に満ちていた
ライブの後にはソーラン女子から話しかけられると思っていた

この時の俺たちは
まだ知らなかったんだ

お笑いを始めてもうすぐ9年になるが
未だに更新されることのないほどに
この大舞台で滑り散らかすことを

時が来た


バナナスプリット登場
全校生徒の拍手で迎えられる

メインヴォーカルである俺が軽く喋る

内容は全く覚えていないが
用意していたおもしろ発言に全く反応がなく
途中からリードギターのユースケだけを見ながらしゃべっていた

そして一曲目

SUM41 / Fat Lip(是非ともこの曲を聴きながら読んでね)

尖に尖っていた山田は中学生に合わせることなどせず
洋楽パンクロックカヴァーをぶちかます

それがカッコイイと思っていた

格好良い演奏ができていたなら良かったと思う

残念ながら

この時のバナナスプリットはバンド組み始め
演奏が本当に下手くそだった

致命的だったのは
ギターの音を歪ませる“エフェクター”

これを誰一人として持っていなかったのだ!!

ロックをするならばありえない!!

全員ペラッペラな音
一体感もグルーヴもない
一人一人のひどい音が交わることなく嫌に浮いている
最低な演奏

さらに下手くそなカタコト英語

原曲では途中“potion!”と叫び、
その叫びがエフェクトで繰り返される箇所があるのだが

音源に忠実なユースケは大きな声で何度も

“ポースィン! ポースィン!! ポースィン......!!”

と叫んでいた

なんと滑稽だろうか


二曲目

BEAT CRUSADERS / JAPANESE GIRL(もちろんこの曲も聴いてね)

これは日本のロックバンド(すでに散解している)
日本のバンドだが英詩で歌っているので
またもや山田の下手くそな英語が炸裂
さらにひどいことに
このバンドは普段仮面をつけているのだが
バナナスプリットもこの曲を演奏するときに仮面をつけた

普通こういう類のバンドはライブで登場した時に仮面をつけていて
歌うときに外す
素顔が見れたことでオーディエンスのボルテージも上がる

俺たちは素顔で現れて
一曲目は普通に歌い
ニ曲目で何故か仮面をつけた

生徒たちポカン状態


このパフォーマンスに反対したのは
ドラムの児玉のみ
他のメンバーは賛成だったのでこの愚策が決行された

そして三曲目

The Beatles / Lady Madonna(聴いてくださいね〜)

ここで幼少期から父親に聞かされていたビートルズ登場
とってもノリやすい曲なのだが、それをノリ辛くするのがバナナスプリット

ライブ終わりに昔担任だった女性の先生が

「レディマドンナだけ知ってる曲やった」

と表情をまったく変えずに言っていた


そしてラスト四曲目

WEEZER / Dope Nose(はい、聴いてください)


アメリカの泣き虫ロックバンドことウィーザー(冴えない男子がロックする系バンドの大御所)

とっても最高な名曲なのだがそれを最低な珍曲にするのがバナナスプリット

ここでお客さんがゾロゾロと帰り出す


後日、母親が撮影していたビデオを見せてもらうと

俺たちのライブ中
お客さんが帰っていく最中

「恥ずかしいっ。恥ずかしいっ。」
と母親の声が小さく入っていた。

母親の横でライブを見ていた山田の兄は
バナナスプリットをこう評した

「なんかセミの鳴き声みたいやった」


俺のことを「山ちゃん」と慕ってくれていた同級生の弟がいた
この時まだ中学生でこのライブを見ていた

これ以来、
彼は俺に対して敬語を使うようになった

敬語からタメ口に変わるのは心の距離が近づいたようで嬉しい
タメ口から敬語に変わるのは辛いものがある

どう考えても、良くない心境の変化があったはずだ


こうして山田の初ライブは苦い思い出となった


~ラニーノイズ結成~

バナナスプリットはしばらくして方向性の違いで解散

俺は大学(短大)で出会った洲崎貴郁とバンドを組むことになる

初めて会った時にお互いパンクスプリング(前回の記事参照)のTシャツを着ていて
思わず握手をした

当時彼は「一方通行」という歴史に残るくらいダサい名前でバンドをしていた
改名を勧めたら「ハーフタイム」という、これまたえぐい名前にした

ハーフタイムはドラムが抜けたことで活動できなくなった
洲崎はバンドを続けるかわからないと、今にも辞めてしまいそうだった

俺は洲崎を誘った

「一緒にバンドをやろう」

大学の帰り道
バス停で洲崎の肩に手を置いてそう言った

ハーフタイムのベーシスト“T“はやる気があったので一緒にやることに
ドラムは探さないといけないと思っていたら
洲崎の知り合いのドラマー“Y”が
ハーフタイムのドラムをやりたいと名乗り上げてくれた

結果として俺がハーフタイムに加入する形となった

名前がえぐ過ぎるので改名することに

『ラニーノーズ』が候補に上がる

前に洲崎が大学(短大)の授業中に
俺が所属していたバンド名をラニーノーズに変えろと提案したことがあった
ラニーノーズは日本語で鼻水という意味
俺がひどい鼻炎だったので彼は冗談半分でそう言った
それ以来
授業で班を作る機会があれば班名にラニーノーズを使っていた


それを思い出して
バンド名に『ラニーノーズ』

ただ、そのままじゃ面白くないので
ノーズをノイズ(音)に

『ラニーノイズ』という造語をつくった

造語の方がネットでもヒットしやすい

こうしてラニーノイズは生まれた

しばらくの間
寝屋川や樟葉、アメリカ村でライブをして
同世代のバンド仲間ができてきた頃

突然カナダを目指すことになる


~カナダ音楽留学へ向けて~

音楽留学といえば聞こえはいいが
実際はワーキングホリデイのビザを取って楽器を持ってカナダに行っただけだ


事の発端は
ラニーノイズでのドライブ中

洋楽を聴きながら
外国でライブしたい
外国に住んでみたい
とだらだら喋っていた

すると俺が突然

「俺は本気やけどな
みんな口だけやろうけど俺は本気で海外行けるで」

と何故かマウントを取ろうとした

すると洲崎とTも
「俺も本気やで」
と強く出る

「じゃあ本気で目指しますかぁ!」

とノリで海外進出を決めた

当時の俺は
高橋歩の「毎日が冒険」を読んだばかりで
ノリと勢いで外国くらい行けるし、なんだってできると思っていた(今でも思っている)


このまま車は洲崎の家に向かい

洲崎ママに報告

洲崎「お母さん、俺外国行くわ」
ママ「オッケーイ」

即答

ライブ活動を控えてお金を貯めることに

ドラマーのYは就職を考えているので外国は無理だと脱退が決定
外国についてきてくれるメンバーを探す

国はアメリカのカリフォルニアを目指していたが
ビザを取るのが難しいとわかり
カナダに変更
理由はSUM41やSIMPLE PLANなどイケてるパンクバンドが多かったためだ

最初洲崎にカナダを提案した時
『カナダって何語なん?』
と言われた時は怯えたが


なんとか新メンバーも見つかり(ドラマー“Z”)
4人でカナダへ行けることに


ただ、カナダ留学を止める声もあった

お世話になっているライブハウスのスタッフや同世代のバンドから
ラニーノイズ調子いいし、このまま地道にやってレーベル決めてCD出した方がいいと言われた


それでもやめる気はなかった

憧れの外国生活
今のタイミングを逃したらいつ行けるかわからない
俺たちは燃えていた

お金を貯めるために
バイトを2つ掛け持ち
1日中、朝から晩まで働いた
それでも辛くなかった
常に楽しみが勝っていた

そして

2009年12月
カナダ・トロント到着

~カナダ生活~

カナダでの生活はいろんなことがあった

2週間でバンドメンバー帰国、激安語学学校、洲崎パスタ食中毒事件、バイト先の乳首摘み男ロビン、3人組の拳銃強盗、チャイナタウンの座り小便お婆さん、チャイナタウンの肉投げおじさん、、、、etc

これだけで本が一冊書けそうなのでほとんど割愛します

カナダでの音楽ライフに絞ります


トロントに着いて2週間でメンバーのTとZが帰国したので
洲崎と2人で過ごしていた

音楽活動はできず
知り合いもいないので
とりあえず語学学校へ
1ヶ月通った後はバイトをして過ごしていた
楽しかったが肝心のバンドができていない
焦っていた

日本では同世代のバンドが次々とレーベルに所属してCDをリリースしていた

俺たちは周りの反対を押し切ってカナダ留学したにも関わらず
メンバーは2人脱退
明らかに失敗していた

「だから言わんこっちゃない」

そう言われている絵が浮かんだ


洲崎のバイト先(ジャパニーズレストラン)のスタッフが
ドラマーを紹介してくれた
香港人の男の子
俺たちは自主制作CDを配っていたのでそれを聞いてもらい
叩けるか尋ねる

「オーケー!」

彼は笑顔でそう答えた

俺と洲崎は喜んだ

これでやっとバンドができる

俺たちの曲を練習してきてもらい
後日スタジオでバンド練習をした


すると驚くことに
彼は全くドラムが叩けなかった
パンクをやるなら必要な2ビートすら叩けなかった

俺たちは演奏を途中で止めた

その男の子は

なぜか泣きそうな顔をしていた

え、

あの時の
「オーケー!」
なんやったん?

あの笑顔
何やったん??


最悪だ

外国人はビッグマウスが多いことを忘れていた
ビッグマウスは大好きだ
むしろ日本人の謙虚すぎる姿勢はあまり好きではない
大胆なのは大事だと思う
でも、今はいらない

こっちが泣きたいくらいだ

気まずかった
そりゃそうだ

叩けると言うから
スタジオに入ったのに
全く叩けなかった

この状況、英語で何て言えばいいかわからなかった
いや日本語でもわからない

味わったことのない空気

それ以来、彼と会うことはなかった


~Koty~

語学学校の友人からヨシという日本人の送別会に誘われる
この時はヨシのことを知らなかったが(今では交流の深い香川県のシンガー)
友達も少ないので参加することに

そこで出会ったのがコーティーだった

名前がややこしいが日本人で
彼もバンドをするために日本からカナダに来ていた
すでにカナダ人と
『スネイクピット』と言うバンドを組んでいた
ジャンルはハードコアで俺たちより激しかった

コーティーにはすごくお世話になった

いろんなライブに誘ってくれた

ライブハウスだったり家で行うライブもあった

この“家ライブ“は驚いた

夜遅くに集まり
キッチンに機材を置いて爆音でライブするのだ
客は部屋や廊下にぎゅうぎゅう詰め
周りは住宅街

カルチャーショックだった

日本では考えられない

何曲かプレイした後
周りの連中がざわつき始めた

外を見るとパトカーが止まっていた

アカンのかいっ!!

なんかカナダやし許されてるんかと思ったらちゃんと通報されとんかいっ!!

それ込みで衝撃だった

スネイクピットのツアーも同行した
ヴォーカルのカナダ人はストレート・エッジという“酒、タバコ、ドラッグ、カジュアルなセックスを一切やらない” 思想の持ち主
みんな個性的で楽しかった
日本ではなかなか出会えない

ライブでいえばワープドツアーに行けたのも嬉しかった
《ワープドツアーとは》
アメリカとカナダで毎年開催されている都市巡回型フェス
北米40都市以上を移動するフェスで有名なパンクバンド多数出演!

ここでSUM41も見れた
トロントはSUM41の地元ということでメンバーの家族や彼女がステージの横からライブを見ていた
そのホーム感も良かった


ただ悲しかったのは
いろんな場所で同時にライブをしているので
客の多さで人気のあるバンドと無いバンドが顕著にわかってしまい
メロコアバンドの人気がかなり衰退していることを知った

ポストハードコアやスクリーモの勢いがすごく
まるでラニーノイズの音楽はカナダのパンクロックシーンでは必要ないと言われているみたいだった


まぁシーンの心配よりまず音楽活動すらできていない

バイトしてはライブを見に行ったり
遊びでホラー映画を撮ったりする日々が続いた


そんなある日
コーティーから刺激的なイベントを誘われる

(あ、しばらくBGMがなかったと思うので
ここでオススメアーティストを紹介
カナダ滞在中にネットで見つけて以来
山田好きなバンド一位に君臨し続けているスカパンクバンド

“The Arrogant Sons of Bitches”

たたみかけるような早口英語にキャッチーなメロディ!爽快、痛快、愉快!!

心地よいカナダの街並みを自転車でかっ飛ばしながら
聴くこのスカパンクは最高だった

是非ともこのバンドを聴きながら読み進めてください♪)

コーティーが誘ってくれたイベントそれは

~JAPAN ROCK EXTREME~

日本人が参加しているバンドや親日家のカナダ人のバンドを集めて
“JAPAN ROCK EXTREME“というイベントを一緒にやることになった

この時にはラニーノイズもメンバーが見つかっていたので出演することができた
日本人ベーシストとドラマーがサポートで入ってくれたのだ

2010年の10月
カナダに来てから約10ヶ月経ってようやくライブができた

この日に向けて
コーティーはラジオ出演して告知をしたり
みんなでポスターを街に貼ったり
集客を頑張った結果
200人動員した

当日俺は気合いを入れて金髪に
ライブ前から酒を呑んで
酔っ払った状態でのライブ

めちゃくちゃ楽しかった

最高の夜だった

ライブ終了後に
ステージ上の黒幕にプロジェクターを映して
遊びで撮影していたホラー映画も上映した(後の劇団ラニー)

それから2ヶ月を過ごして
夜道で強盗に遭ったりもしながら
なんとか生き延びて

帰国

またもやラニーノイズは俺と洲崎の2人きりになり

一年後

お笑いの道に進むのだった


次回
「NSC入学〜音曲漫才師へ」

めちゃくちゃ長くなった
コラムでこんな長文書く人いるのかしら

次もお楽しみに♪

(カナダ生活の映像を編集して作った
ラニーノイズのMVがあります。
これを見てカナダ生活をなんとなく味わってくださいな)

https://youtu.be/A93b2-qLzvo

To be continued

■ラニーノーズ プロフィール
山田健人洲崎貴郁のコンビ。2012年結成。
山田健人の特技はギター、フリースタイルラップ。
洲崎貴郁の特技はギター、弾き語り、英語、イラスト。
2019年 歌ネタ王決定戦2019 優勝
2020年 第5回 上方漫才協会大賞 話題賞

ラニーノーズINFO

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執筆/ラニーノーズ・山田健人

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