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〜The origin of Laugh〜 feat. カベポスター

笑いを追求する芸人さんの起源て何だろう。
ふとそんなことを思い立って聞いてみました。
今回は第6回「上方漫才協会大賞」の新人賞に輝いたばかりのNSC36期生のカベポスターによる笑いの起源。

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お笑いの元

永見:僕、小学校3年生まで奈良県の生駒市に住んでまして、それ以降は三重県の名張市に引っ越したんですけど、小さい頃からお笑いのテレビは見てました。特に吉本新喜劇はいちばん記憶に残ってますね、とにかくいろんなキャラクターというか、濃い人たちが出てて、その頃の写真は新喜劇の人たちがするような顔真似ばっかりして写ってましたね。

浜田:大阪の阿倍野区出身なんで、どの大阪の人とも一緒なんでしょうけどお笑いがほんまに身近にありました。じいちゃん、ばあちゃんが西川きよし師匠と横山やすし師匠の漫才が好きで、一緒に見てた記憶があります。子供心に面白いなぁって思ってましたね。

後は、吉本新喜劇はもちろんですけど、GAORAってケーブルテレビで『baseよしもと』とかの番組をやってたのでそれを見ていたり、『?マジっすか!』、『M-1グランプリ』とかあらゆるお笑い番組を小学校や中学校、高校と真剣に見ていましたね。けど、高校の時にお笑い好きがいきすぎて、躊躇なく旬の芸人さんのモノマネをする、学校の人気者というか、陽キャたちを見下す側というか斜に構えて見てしまう人間になってしまって、ちょっと『ちびまる子ちゃん』の野口さんが入った感じで(笑)。

当時Twitterとか盛んやったら、『M-1グランプリ』とか見て辛口のコメントを書いてたやろうなぁっと。書く人の気持ちわかるんですよ(笑)。

だから高校の時はお笑い好きってのはおおっぴらには封印して、唯一、お笑いの感性が合う2人くらいとつるんでました。ちなみにそのうちのひとりは今、桂華紋という名前で落語家やってまして、2019年にNHK新人落語大賞を受賞しました。

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浜田:その2人には実は芸人になりたいっていうのは言ってたりしてたんですけど、高校1年生の夏休みに勉強合宿というのがあって、友人宅でたまたまバッファロー吾郎さんが主催していた『ダイナマイト関西』の、当時の大阪府立体育館で行われたイベントDVDを休憩中にみんなで見たんですよ。そしたらこれ面白すぎるやん、ヤバいやんってなったんです。

多少は笑いに自信があって、周りのお笑いレベルを下に見てたような人間でしたから(笑)。一緒に見ながら自分なりに答えを考えてみたんですけど全然できなくて。あぁこの人たちに勝つのは不可能、完全にノックアウト状態で。それで芸人を諦めてました。あ、今思い出しました。この前、部屋の掃除してたら3年ぐらい前に永見に借りた『ダイナマイト関西』のDVDが出てきたんだった! 借りぱちずっとしてた! 今度返すわ(笑)。

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永見:今、それ言う? 貸してたこと忘れてたわ(笑)。今度持ってきて! ってそんなことより、僕の話に(笑)。

僕が住んでいた名張市は、関西と東海地方のテレビ番組が放送されてたんです。だから引き続き吉本新喜劇、漫才の特番とかは普通に見ることができたんですね。それに加えて全国放送のお笑い番組も見てたんでがっつりテレビっ子になってました。

中学の時、たまたまNHKの『着信御礼! ケータイ大喜利』の第1回放送を見たんですよ。それと『内村プロデュース』とかも好きで、これが大喜利というものなんだというのを知って、その面白さにハマって楽しんでました。でも中学の時はまだ携帯を持っていなかったので、高校になった時に携帯を持つようになって、これで『ケータイ大喜利』に参加できる! って嬉しくなって、その頃はレギュラー番組になっていたので高校生以降は、出されたお題に食いついては、せっせと応募してました。

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永見:けど今思うと、番組に構成作家がいるとか全然その存在すら知らなくて、純粋に笑いを楽しみながら、ぼんやりとお笑い芸人になりたいなぁって思ってました。でも結局、高校3年生の時に、今の僕じゃ無理やなと大学に進学したんですけど、じゃあ大学で落研に入ってとかして笑いに突き進むかっていうとそうでもなく、個人的に勉強もして、笑いもやるっていう二足の草鞋的な中途半端な感じが嫌で研究室入ったりして勉強してました。もちろん笑いは好きでしたけど……。

とはいえ、プログラミング作業とかで、毎日地味にパソコンに向かってる自分が辛くなって、4回生の時に、やっぱりお笑いをやりたい! 表舞台に立ちたい! という気持ちが強くなり、それで卒業したらお笑い一本でやる生活にしようとNSCへの入学を決めました。

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浜田:僕は芸人の夢を諦めて、大阪市立大法学部に進学しました。高校よりは人付き合いするようになって、アルバイト始めたり、旅行とかを楽しむユースホステル部ってクラブにも入り、就職受けのために原付バイクで1回生の夏休みに東日本、2回生の夏休みに西日本を、2回に分けて日本一周旅したり、休学してフィジーに4ヶ月留学したりして一応大学生活を謳歌してました。だから、あくまでもお笑いは見るというスタンスで、このまま普通に就職して平凡に生きていくんやろうなぁって思ってました。

いろんなとこ就活して、日本一周や留学経験が功をそうしたのか、某大手車メーカーから内定をもらい、そのまま就職したんですが、仕事もできない、体力的にもメンタル的にもしんどい、仕事へのモチベーションが湧かない、正直いっぱいいっぱいになって病んでました。それでとにかくまず会社を辞めようと言うことで1年半で退社しました。それで転職するか、起業するか、学校の先生になるために勉強し直すかって考えてた時に、封印していたお笑い芸人への夢が再度、ふつふつと湧いてきたんです。で、NSCのことを調べて入学することになりました。

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NSCに入って

浜田:永見とは、NSCの時はお互いに喋ったこともなくて、大喜利の成績がすごいという噂は聞いてましたけど、その噂に上がる存在だけで意識はしてなかったです。

僕は『ダイナマイト関西』でノックアウトされて以来、大喜利はできないけれど、ネタを書いたり、MCができたらいいなと。で、コンビを組めるなら、演技がすごい上手くて、大喜利が得意な相手だったら、自分の足りない部分を埋めてくれるかなという甘い思いを抱いて通ってました(笑)。

それで何人かコンビは組んだんですけどうまくいかなくて、で、結局卒業したんですが、その後に永見から連絡があって、会おうかと。僕にとっては大喜利が得意な相手から声かけてくれて、これはいい機会やなと(笑)。

永見:クラスが違うかったので、在学中は話したことはなかったんですけど、ネタ発表会の時に、ツッコミが、なんかイヤな言い方ですけど、ものすごくフツーのことを言うてるなと(笑)。でも、それは言えば、流れに沿いながら的確にツッコんでると言うことで、それが凄くいいなと思って記憶に残ってたんです。それで卒業してから連絡をしてみたんです。

ただ、その時、声はかけたのはいいんですけど、僕の中でたくろうのきむらバンドと組むか、浜田と組むかって天秤にかけてたんですよ。それで、1回、同じ台本を元に先にきむらバンドと、浜田と合わせてみたんです。きむらバンドはすごく器用で、すんなりうまくやれたんです。でもなんかちゃうなと。

それで次に浜田と合わしてみたら全然うまいこといかなくて、でも彼なりにすっごい考えているのがわかったんです。それが決め手でしたね。これってコンビとして面白くなる、伸び代が絶対にあるって。


浜田:確かにそれ前に言われたことあったんですけど、僕自身も最初、正直合わへんなと感じてました。ネタを読んでみてみたことないネタやなと思ったし、僕が思う面白いとこじゃない笑い、僕が知らない面白さなんやなとも思ったんですけど、合わした時に自分が思っているやり方でツッコンでいったものの、結果合わない。

だからこれは無理なんかなぁって感じたんです。だけど、もうちょっと試してみて互いにいいところをきちんと譲り合って、狙い撃ちしていったら、それが積み重なって面白くなっていく可能性はあるんじゃないかなと、僕は僕で感じました。何より、永見の書くネタに対して色々やりたい、試したいと思ったんです。

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5年目

浜田:コンビとして今6年ですけど、正直5年目なんやという意識はなかったです。でも振り返ると意識は随分変わったかなと思います。それこそ最初はめちゃめちゃ永見にネタに関して意見を言ってて、引かへん時もあったんですけど、4年目くらいですかね、とりあえずお客さんの前でやってから話し合ったらいいかって感じになって、初見のネタに関しては何も言わなくなりました。

自分の中で、任せてみようと。今はまたちょっと違うようになりましたが、まずは自分が最初に型をはめてしまって伸びなくなるよりは、任せることでネタも伸びるなら任せてしまおうというスタンスになりました。

永見:5年目というより、10年以内って考えになってますね。若手に見られてたらちょっとなんか許されるっていうか、漫才で新しいことをしててもその目新しさに興味を向けてもらって、脆いとこに目を瞑ってくれるじゃないのかなと。それが『ABCお笑いグランプリ』に初めて出させていただいた時に受け入れてもらったのがそういう感じやったんだろうなぁって今思います。

翌年はいろんな賞レースに出させてもらったんですけど1度そういう若いところを見せてしまったので受けなくなったというか、慣れさせちゃったというか、それが5年を超えた感じやなとも思いましたね。
周りから見たら若手かもしれないですけど僕らの中で若手の殻を破らないと優勝とかできなくなっちゃうんだろうなという気持ちになりました。そんな中、この間『上方漫才協会大賞』の新人賞をいただいたのはいい機会でした。

それこそ賞レースに出てはその度に結果残せなくて、ほとほと負けるのが嫌になってきてたんで、ちゃんと1位ということで勝ち切った嬉しさは、久しぶりでした

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浜田:相方と同じ感じなんですけど、とりあえずずっと負け続けていて、早く勝ちたいと思ってたんで、あぁ勝ったらこんな気分なんやと。受賞した喜びもさることながら、バトルして勝ったっというのはこんなに気持ちいいんやという感じですね。まだバイトを辞めれることができていないので、これを機に仕事を入れてもらって、ちゃんとお笑いで食えるようになれたらいいという風に、次の5年に向けて思いました

永見:10年以内という考えでいくと、とにかく賞レースで優勝しまくりたいです。自分が面白いと思ってきた芸人さんはみんなそんな感じで確実に優勝してはったんで。

浜田:賞レースは取りたいですし、新人の中では光ってたかもしれないですけど、大賞や優勝を狙う面々の中では、僕らはまだまだやなと思うので、とにかく芸人としてちゃんと“自信”をもっとつけて、賞レースに挑んでいきたいですね。優勝しまくりたい。

永見:『M-1グランプリ』はもちろんですけど在阪のあらゆる賞レースをがむしゃらに挑んでいこう! なっ!

浜田:“なっ!”ってエラい鼻息荒いな(笑)。

永見:それぐらいの意気込みないとって改めて思うんです!

浜田:うん、そやな!

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思い出の場所

一軒め酒場難波店

永見:NSCを卒業して話したこともない浜田を誘ったのがこの店です。そういや最初の1〜2分は敬語だったかな。

浜田:タメ口やったんちゃうか。

永見:いや、取り皿を渡した時、「ありがとうございます」みたいなんは言うた(笑)。僕、お酒が好きなんで、飲んで話す感じがリラックスしていいなと思ったんですけど、浜田が全く飲めないのが判明して、テンション下がったの思い出します(笑)。

浜田:飲めそうに見えるんですけど、1杯飲むともうリバース状態になるんです。


初めて喧嘩した場所

なんばハッチ近くの道頓堀川沿い

浜田:ネタ合わせにずっと使ってるとこです。近所のなんばOCAT周辺とかも。喧嘩と言うよりは、年に1回か2回、とりあえずたまったものを吐き出すって感じです。

永見:僕、おしゃべりがそんなに得意じゃないので、浜田の方に言い負かされてますね。

浜田:理詰めでガチガチに、徐々に熱くなって話すのでつい永見もタジタジに。でもそれがコンビとしては大事な作業やなと思ってます。

永見:総ざらい的な感じで終わるとお互いにスカッとするからね。

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ネタ合わせの恒例場所

なんばパークス ウィンズ難波の前

永見:道頓堀川沿いと同じくらい使ってました。今はよしもと漫才劇場の楽屋を使ってますけど、今日は道頓堀川、パークスどっちでネタ合わす? ってLINEでやりとりしてたんですけど、浜田が競馬をやり始めてからからはパークスの方が多くなりました(笑)。

浜田:でもそれは理由があるんです。永見ってコンビを組んで1年目、2年目の時、平気で1時間〜2時間くらい遅刻するんですよ。それで時間があるんで馬券買ってみたら当たって、それからはハマってしまいまして。趣味と実益というか(笑)。

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■カベポスター プロフィール
NSC大阪36期生の永見大吾(ながみだいご・左)と浜田順平(はまだじゅんぺい・右)のコンビ。2014年結成。
2021年「第六回上方漫才協会大賞」新人賞受賞。

カベポスターINFO


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取材・構成/仲谷暢之(アラスカ社)
撮影/矢橋恵一

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