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この広い世界のどこかに、おれのことを好きだって思ってくれる人がいるだろう

おれは元妻と子供たちに嫌われている。
彼らはおれのことが嫌いだから、もうすぐこの家を出て行く。

それは彼らのせいではない。
おれのせいだ。

おれの中に、
「家族だからこれくらいしてくれるのが当たり前」
「これだけしてあげてるんだから、これだけ返すのが当たり前」
「人は誰かに迷惑をかけてはいけない」
そんな気持ちがあって、おれはその気持ちに支配されていた。
おれは家族に、特に元妻につらく当たってきた。

でもそのおれの思考が、間違っていた。

どんなときでも、誰かが自分に良くしてくれるのは当たり前じゃない。
家族であっても、家族がおれに良くしてくれるのは当たり前じゃない。
自分が100万円分のなにかをあげたとしても、その人が100万円分のなにかを返してくれるのは当たり前じゃない。

当たり前のことなんかない。
すべてがありがたいことだった。

自分のしてあげたことは、返ってこなくてもよかったんだ。
だって「してあげた」ってだけでもう自分が満たされるから。

「喜んでいるな、よかったな」って思う。それだけで十分だった。
でもおれは、さらに「してあげたぶんだけ返せ」だなんて思っていた。

そりゃあ嫌われるよね。

家族だから、迷惑をかけられても良かった。
そして迷惑をかけてもよかった。

甘え合えば、許し合えばよかった。
でもおれはそれができなかった。

おれはかわいくなかった。
かわいげがなかった。

「おれはダメだね」
「あなたもダメだね」
そんなふうに笑うことができなかった。

ダメな自分を矯正しようとし、
ダメな元妻を矯正しようとした。

おれは自分にも元妻にも厳しかった。
でもそれは自分がそう思っているだけで、
実際元妻は「あの人は自分自身には甘いくせに私にはすごく厳しい」と思っていたのかもしれない。

たぶんきっとそうだ。

おれは自分に甘い。
そして人に厳しい。

みんなそういうところがあると思うけど、
自分ひとりではなかなかきづけないんだよね。

きづきたくもないだろうし。

自分がそんなヤツだったなんて。
一生きづきたくないだろう。

でも、こうして最後の最期できづけた。
よかった。間に合った。

誰なのかはわからないけど、
おれのことを導いてくれてありがとう。


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