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自分が何者なのかを知るゲーム

さて、引っくり返りのタイミングがいよいよやってきています。
いろいろ説明するのは、やめておきますが。
私はいま、世界がひっくり返る世界線を順調に歩んでいます。
飽くことなく刷り込まれてきた「被支配マインド」をリセットするため、ここ数年、かなりキツい思いをしてきたけれど。
おかげさまで、その分だけ変わることができました。
変われたからこそ、いまここに立てているんだとマジで思います。
もちろんまだまだ、過去の習慣に囚われてしまう傾向が、残ってはいますが。
人生は、常に途上です。
いつだって未完成のまま、私たちは生きてゆくんです。

さて、ここに来て、改めて強く思うのは。
私たちは本当に、自分自身のありかたというか、「意識」に即した現実を体験しているんだなぁってことです。
「波動による棲み分け」ってよく聞きますけど、平たく言えば、まさにアレ。
私たちの本質はエネルギーであり、その周波数によって受け取る情報はもちろん、経験する現実も違ってくるわけです。
「いや、起きてる現実は、誰にとっても一緒でしょ」って、思いますよねぇ?
私もずっと、そう思ってました。
でも、違うんです。
なぜなら数行前にも書いたとおり、私たちの本質はエネルギーであり、現実というのは「現象界」なるゲームの設定の中に、自分の意識を投影したものに過ぎないから。
う〜む、伝わる気がしないぃ…。

まぁいっか、伝わらなくても。
この部分って先人たちがみんな、いろんな表現をされてるとこなんですけど、私なりのイメージを素直に言葉にすると__。
「地球という惑星における現象界」っていう、大ざっぱなくくりのゲームに私たち、ログインしてて。
最低限の構成要素が埋め込まれた背景に、エネルギーっていう目には見えない存在である自分自身を投影したのが、私たちの「人生」という名の“現実”とされるもので。
そこに登場してくるあらゆるもの、人間だけでなく他の動物や植物やモノですら、すべてが自分自身の写し鏡なんです。
伝わりますかねぇ?
つまり私たちは、自分が何者なのかを知るために、一人芝居をしているってことです。
自分自身を知るために必要なことを起こし、自分自身を知るために必要な欲求を抱かせ、自分自身を知るために手掛かりとなる他者をつくりだしている…。

さて、ここで疑問が出てきます。
「だとしたら他者って、本当は存在していないの?」という疑問です。
ここがねぇ、説明するのがいちばん、難しいとこなんですが。
本来の、エネルギーとしての私は、同じようにエネルギーとしての他者と触れ合ってるわけで。
その触れ合いを元に、ゲームの中に他者との関わりを映し出してると考えるのが、いまのところは一番しっくりくるかなぁと思います。
自分を知る目的のため、他者という存在を私がつくり出しているのですが、その「個性」のモデルとなる存在は実在してるってことです。
う〜む、複雑ですよねぇ。
さらに言うと、みぃんな同じように、自分自身を知るために自分なりの現実をつくってるんです。
で、お互いが、お互いの現実の中に登場してる。
複雑すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになりますか?

いずれにせよ私たちは、唯一無二の個性を持ち、唯一無二の現実を生きているんです。
だから、誰しもに共通した「たったひとつの真実」なんて、そんなものは刷り込みに過ぎないし。
人に対してマウントを取ろうとするのも、分ってもらいたいと渇望するのだって、まったく意味のないエネルギーのムダ遣いに過ぎないんです。
そうじゃなくて「私はこの出来事で、自分のどんな部分を知ろうとしているんだろう?」と、自分に問うてみてください。
それをくり返した先に「どんな自分で生きていきたいか?」が待っているのだと思います。
そう、大事なのは「どうすべきか?」ではなく、自分が「どうしたいか?」なんですよね。

今日は、ここまで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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