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自己認識の反転

ずっと忌避してきた、いちばん起きてほしくなかったことが、起きて。

最初は、嫌悪感しかなかったのだけれど。

しばらくするとなぜか、自分に対する認識が突如、反転した。

これって説明するのが、とても難しいのだけれど…。

それまでの私の自己認識は、何枚もの鏡やレンズを通し、「こうあるべき」ってカタチに歪められたもので。

自分ではそれが、本当の自分だと思い込んでいたのだけれど。

起きてほしくないことが起きたことによって回り舞台がくるりと回転し、思いがけず、ありのままの自分を目にすることとなった。

ありのままの自分は、思っていた以上に小さく、弱々しく。

幼いころ母親に強いられた「こうあるべき」という自分とは、大きくかけ離れて見えた。

けれど彼女はじっと前方を見据えたまま、凛として立っていた。

その姿を見て、思った。

「弱くてもいいんだ。このままの自分で、生きて行けばいいんだ」

そう思った途端、ついさっきまで責めることしかできなかった自分の、すべてが許容できた。

やったことも、やらなかったことも、すべては正しく、必然だったことが分った。

理屈ではなく、悔やんだり嘆いたりする必要のあることなど、何ひとつないことも理解できた。

それどころか自分で選択し、決断してきたというのはまったくの幻想に過ぎず、すべては起こるべくして起きたことだった。

いま、この自分として、ここに存在するために__。

この困難な時代に、自分を取り戻し生きることが目的で、私は生まれてきた。

そこには、髪の毛一本の疑いすら、入り込む余地はなかった。

そんな理解が降ってきてから、まだ数日しか経過していないけれど。

いろんな場面で、触れたことのない自分と出会う。

掛けたことのない言葉を人に掛けている私、ひるまず回避もせず、自分と向き合うことができている私…。

もちろん古くからのクセが抜けていない部分もあるけれど、気付くことができれば冷静に振り返り、修正に取り組めるようになった。

逆にかつての私は、こんなにもたくさんの抵抗を抱えていたのかと、驚くこともある。

でもその抵抗のすべて、人に対する警戒心のすべて、生き難さのすべてが、ひとつの例外もなく必要なことだったと、いまは思える。

こんなふうに思えるようになるとは、まったく予想していなかった。

これから先も、どうなってゆくのか予想するのは難しいけれど。

いまのように自分に期待が持てるのは、生まれて始めての経験かもしれない。

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