見出し画像

個人的な課題

いやぁ、昨日は珍しく、宵っ張りをして裁判の結果が出るのを待ってみたのですが。
結果、誰の目にも明白な、分りやすい展開にはならなかったようです。
私としては、とても残念ではありますが。
支配者サイドの人たちが昨日、取らざるを得なかった回避策こそが、最終的に彼ら自身の首を絞めることにつながるわけで…。
そのこと自体がまさにいま、展開している「因果の連鎖」そのもの、なんですよねぇ。
つまり、桶屋が儲かるためには、強風が吹くことが必要なんです。
その一見「は?」って聞きたくなってしまうような展開こそが、最後の最後の、奇跡のような流れを生むわけです。
だから、やっぱり昨夜みたいにフォーカスしすぎるのではなくて。
たまに思い出したときに見て「ああ、進んでるのね」って、納得するくらいでちょうどいいんだと思います。
お陰で、たいへん勉強になりました。

さて、外側で起きていることの話はそれくらいにして。
同時進行で、私個人に課されていた課題もありまして…。
前にも書きましたが、世界は常に「入れ子状態」で動いていますから当然、外側が動けば内側も連動して動くわけで。
そんなわけで、突如として今朝、自分自身が置かれている状況が見えてきました。
今年に入ってから私「これからどうやって生きてゆきたいか?」という判断を、再三にわたり求められていたのです。
ところがそれについて考えようとすると、どうしてもうまく思考がはたらかず、そうこうするうちに高熱が出て…。
ひーん、書いてて気が付きましたけど、あれって判断を回避したい願望の為せる技だったんだぁ。
確かに、熱が出たときにはもう「私、どうしたいだろう?」って、考え始めてたよなぁ。
なのに、うまく考えがまとまらず、ちょっとめんどくさくなっちゃったんですよねぇ。
「どんな仕事のやり方をして」「どんなふうに自分を見せていって」みたいに、考えること自体が重荷になってた。
ただ、「私だけの生きかた」を見付けなきゃ、って思いだけはありました。
人に流されるのではなく、自分の価値観だけを信じ、私なりの生きかたを模索しよう、みたいな…。
だけどねぇ、その思いこそが、めんどくささの元になってたんですよねぇ。
で、あるとき「もう、いいや」って、ヤケになって…。
ちょうど足元に転がっていた「ブランソン裁判」ってラベリングされたファイルを、拾い上げてみたんです。
「これでいいんちゃう?」くらいの、お気楽ぅな気持ちで。
そしたらねぇ、思わぬコメントをいただいて。
「うわっ、嬉しい」なんて思っちゃったりなんかして。
そうかぁ、こんなふうに人の解釈に相乗りしちゃってもいいんだなって、はじめて理解しました。

しょせん人生なんて、影の濃淡が揺れ動いているだけの、薄らぼんやりとしたグラデーションでしかないんですよね。
それを、何に見立てるのかは、個人の判断にゆだねられてて。
「じゃ私、軍事オペレーションとして見立てることにしまーす」って、いったん宇宙に対して宣言しちゃえば、以後はそうのようにしか見られなくなるわけです。
で、この「軍事オペレーション」っていう解釈、もうすでに何人かが集まってワイワイと楽しんでいた解釈で。
私にとっても都合がよかったので、だったらそれに乗らせてもらっちゃえ、みたいな。
そんな感じで、軽ぅく世界を共有しちゃえば、そこにいる人たちは「仲間」になるんですよねぇ。
「あ、そうか、これまでは私独自の解釈を求めてきちゃったから一人だったんだ」と、すぐにピンと来ました。
楽しめる共通項を持つことこそ、仲間に入れてもらう鍵だったわけです。
今回の課題は私にとって、かなりハードルが高かったけど。
これまでにないくらい、大事なことを教えてもらった気がしてます、ありがとうございました。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
お気軽に、コメントもお願いします。

では、今回もまた、わかりにくくてスミマセンでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?