見出し画像

日常を慈しむ

いやぁ、テレビがないってだけで大晦日感がまったく違います。
こういう自分の感じかたからして、テレビって知らずしらずのうちに「こうあるべき」を、くり返しくり返し認識させる役割を果たしてたんだなぁと感じます。
というか、私が元いた広告業界なんて、その最たるものでした。
「新しいライフスタイルの提案」ってまさに「こうあるべき」という、共通意識の醸成でしかない。
学校教育で「周りに合わせるのが最善」とくり返しくり返し刷り込んだうえで、たくさんの人たちが集まっている場所ばかり中継すれば、無意識のうちに「みんな行ってるから自分も行かなきゃ」となる。
単純ではあるけど、強力な仕組みだよなぁと感心してしまいます。

でも本当であれば私たち、思い思いに好きなお正月を過ごしていいんですよね。
そういった意味で私も、テレビから開放されたこの年末年始は、ようやく自分らしいお正月を発見できているのかもしれません。
まぁ、まだ今年最後を飾る窓そうじがこれからなので。
今日はギリギリまで掃除して、夜ごはんは、おそばでもゆでようかな。
年末の大そうじもそうですが年越しそばにしても、これまではあまりしようと思わなかったことが「こうあるべき」から外れてみてはじめて、したくなることもある。
たぶん私、これまでずっと「こうあるべき」に対して、反発し続けてきたんでしょうねぇ。
そして、それがなくなってみてはじめて、改めて自分が日本人であるということを大事にしたくなってる。
これは、自然なこころの反応だと思います。
最近、日常的に自分でお味噌汁をつくるようになって。
それを飲むたび「日本人でよかったぁ」と、思ってきたんですよねぇ。
テレビの代わりにそういった私なりの日常が、私なりの年末をつくってくれているんだと思います。

「日常を慈しむ」って私には縁遠い、田舎で自給自足してるおばあちゃんとかに限った感覚なんだと思ってきましたが。
そうじゃなかったんだ。
きっと誰でも、どこで暮らしていようと。
「こうあるべき」から離れられれば、自然と手に入る感覚なんだろうと思います。
もちろん、それに魅力を感じない人もたくさんいるのでしょうが。
私はいま、その感覚が自分の中に芽生えてきたことが、とにかく嬉しくて仕方ありません。

さて、こんな個人的な感覚をただただ書き綴っただけのブログを、いつも読んでいただき本当にありがとうございます。
前にも書きましたが私自身は、今年体験した自分自身の変化はこれまでにない、エポックメイキングな出来事だと感じているのですが。
それがどれだけ伝わったかは、まだまだはっきりとはつかめていません。
ただ、来年以降はもっと「やっていきたいこと」に寄った発信をしていきたいと考えており。
ホームページの改定を含め、より、伝わりやすい方法を模索していくつもりです。
先日、カウンセラーから「まだまだ人間界の仕組みに馴染めてない」との指摘を受け、本当にその通りだなぁと感じたのですが。
逆にそれで、肩の力が抜けたというか。
「だって馴染めてないんだから、これから試行錯誤していくしかないっしょ」と…。
ゼロ地点に戻ったつもりで、再スタートが切れそうな予感がしています。
とにかく古い自分は今日でしっかりと終え、明日からは真新しい自分で、真新しい人生をスタートしようと。
何度もいいますが、もはやワクワクしかない状態になれてます。
ですのでぜひ、来年以降もちょくちょくここに、遊びに来られてくださいね。
ムッチャ、楽しみにしてます。

ホームページを作りました、ぜひ見てみてください。
お気軽にコメントなどいただければ、はげみになります。

では、よいお年をお迎えください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?