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存在すること

実は私たち、何を言うかとか、何をするかが重要なんじゃなくって。

存在することそのものに、意味があるんだ。

というか、私たちが存在していること以外、意味のあることなんてひとつもない。

どんな仕事をしているか、どんな生活を送っているか、どんな人と付き合っているかなんて、実は意味ない。

社会に対してどんな功績を上げたか、どれだけのお金を稼いだか、どれだけ他者に貢献したか。

どんな家に住んでるか、どんな車に乗ってるか、どんな時計をしてるか。

どんな容姿をして、どれだけの場所を巡り、どれだけの人に出会ったか。

そんな、私たちが気に掛けている多くのことは、ぜんぜん大したことじゃない。

大事なのは、自分がいまここに存在しているということ。

存在し、自分を信じ、自分を認め、自分で満ちることで。

私たちは生きながら、無限にエネルギーを生み出し続けられる。

いまこの自分に満足することは、自分の中をエネルギーで満たすことで。

自分からあふれ出したエネルギーを、他者や世界に注ぐことでもある。

私たちが生まれてきた究極の理由って、それなんだと思う。

でも私、せっかく満ちた状態で生命を宿すことができたのに、最初のところでつまずいて。

自分という存在に対して、最初の疑いを抱いてしまった。

「私、ホントに生まれてきてよかったのかな?」

でも、いまだから言える。

あらゆる存在は、常に祝福の中にある。

絶対はないけど、これだけは間違いない。

誰もが祝福されて生まれてきて、いまも、祝福の中にある。

だから、自分の中を満たしさえすれば、誰もが世界に対して光を注ぎ得る力を持ってる。

なのに、どうしてこんなにも大事に、最初の疑いを守り続けてきてしまったのだろう?

理解できれば、すべてを見下ろせる視点さえ持てれば。

そんなものはもう、一瞬も必要じゃないと、すぐに分るのに…。

でも、世界はそういう構造なんだ。

その、構造の外側に、出るか出ないか。

それを決められるのは、自分だけ。

これが、人生がゲームに例えられる、ゆえんでもある。

さぁ、人生を楽しもう!

ホームページをつくったので、ぜひ、見てみてください。

naotadano.com

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では、よい一日を。

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