見出し画像

私のこたえ

私これまで「人からどう見られるか?」にばかり気を取られ、エネルギーを消費し続けてきましたが…。
このたび、そんなアホらしいことは金輪際、やめることに決めました。
カウンセリングを通し、だいぶ自分を尊重できるようになってきたものの。
最後のとこが、なかなか手放せなかった。
というのも、子供のころに抱いてしまった罪悪感を、捨てるに忍びない思いがあったからです。
でもねぇ、新しい時代が来るのにそんなこと、言ってられないですよねぇ。
だから罪悪感なんて、いまいる「この場」へ置いて、先へと進むことに決めました。

やっぱねぇ、いろいろ考えてみたんですけど。
人の現実の中に登場する私にまで、責任持つことはできないですよ。
なぜなら人の現実の中にいる私って、あくまで「私像」であって、私そのものではないから。
その人が知らず知らず掛けている「ものごとのとらえ方を左右するメガネ」に映る私は、私とは似て非なるものなので、責任の取りようがないんです。
もちろん、私の中に分ってもらいたい思いがあれば、気持ちを伝える努力はしますが。
それすら含めて、その人のフィルターを通せば「私像」であって。
どのように受け取られるかを、コントロールすることは不可能なんです。
そのことが理解できたので、もう金輪際そこにフォーカスを当てないことにしました。

というのも私、ずっと「どう見られるか気になるからやらない」っていう選択を、し続けてきてしまったからです。
あるいは「人からよく見られることをしなければならない」って、自分にプレッシャーを掛けることで気が重くなって、するのをやめてしまってきた。
これがねぇ、たぶん私がやりたいことができずにきた、いちばんの理由だと思います。
でもいいかげん、そんなのもう、うんざりなんですよ。
私以外の万人から嫌われたとしても、やりたいことができるようになりたいんです。
以降、誰とも関わらずに生きていくことになったとしても、やりたいことができるようになりたいんです。
そうすることで長くは生きて行かれないとしても、やりたいことができれば私、満足なんです。
いま心底、そう思ってます。

ただねぇ、人と関わることは確かに、楽しいことだとは思います。
共通点を見付けられれば、やっぱり嬉しくなるし、ね。
でも、カウンセリングの途上で、分ったんです。
私は今生、ふたつの目的を持って生まれてきました。
ひとつは、引っくり返りを体験するため。
ずっと書いてきましたが、私はいままさに、世界が引っくり返ろうとしていると思っています。
そして私自身、これまでの自分とは正反対の自分に、生まれ変わろうとしていると感じているのです。
そのための最後のトリガーが、今日書いたこの覚悟ではないかと、願いを掛けていたりします。
そして、もうひとつは、クリエイトするため。
物語をつくるため、デザインしたものを形にするため。
これが、私のやりたいことなんです。

まとめると…。
「引っくり返りを経験することで、やりたいことが自由にできる自分になる」
これが、私の「自己実現ゲーム」の答えです。
これまでずっと、喉から手が出るほど望んできたことです。
実現するためには、手段を選んでなんていられません。
だから、大人になる過程でいちばん傷を追ってきた人との関わりを、あきらめてもいいって覚悟することにしたんです。
もちろん、それでもそばにいてくれる人がいたら嬉しいですが…。
いなかったとしても、それならそれでいいとあきらめることにしたんです。
あきらめただけで即、それに沿った行動ができるとは思ってませんが。
練習して、徐々にそこに近付いて行けたらいいなぁ…。

では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?