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赤心

もうずいぶん前のことになるけれど、人気のない駐車場でヤクザさんたちに囲まれてしまったことがある。

私の車の運転がお気に召さなかったようで、いかにもな服装のチンピラさんに「なんて運転しやがる!」と、大声で凄まれた。

最初はビビって、頭が真っ白になったけれど。

なぜか次の瞬間、頭が一気に“キーン!“と冴え渡って私、チンピラさんをまじまじと観察してたの。

唇の端に小さなできものがあることや、つま先のとがったピカピカの靴にホコリが付いてることにまで気付くくらい、冷静になってた。

で、相手がそれを感じ取ったのか否かは定かではないけれど、その後すぐに解放されて。

以来ずっと、あのとき私に何が起きたのか、疑問に思ってきたのですよ。

ところが昨日、物理学者でUFO研究家の保江邦夫先生の勉強会で、貴重なヒントを手に入れることができた。

「五輪書」の中で、かの有名な宮本武蔵が負けない極意として、次のようなことを言っているらしい。

『自らが赤心(赤ん坊のように無邪気なこころ)に戻れば、相手にもそれが移って、攻撃することができなくなる』

保江先生の説明によると、赤心に帰ると人は、本来の姿である神(ワンネスでも可)へと戻るので、何でもできてしまうのだそう。

トンデモ話に聞こえるだろうけど、そのひとつの例として、アメリカの地下鉄で暴漢に遭遇した知り合いの方の話をしてくれた。

右手に銃、左手にナイフを持った暴漢が刻一刻と近付いてくるなか「もうどうとでもなれ」と開き直ったら、暴漢はその人に気付きもせず、すぐ脇を通り過ぎて行ってしまったという。

つまり、赤心に戻った彼の姿は、暴漢の目には映らなくなったというわけ。

その話を聞き、私はすぐに駐車場での一件を思い出していた。

ヤクザさんたちに囲まれて絶体絶命のピンチに追い込まれたとき、もしかしたら私も赤心へと戻り、相手の攻撃性を失わせたのかもしれない。

でね、さらに思ったのですよ「赤心って、頭の中に思考のない状態なんじゃない?」って。

だって、赤ちゃんは言葉を知らないから考えられないし、できることといえば自分も他者も世界も区別なく、ただ視界の中にあるものを観察することだけでしょ?

さらに言えば、知覚したものを解釈したり意味を加えたりもせず、ただただありのままに見てるだけ。

それができれば人は、神(大元のエネルギーでも可)へと戻ることができて、物理法則からも時空の制限からも解放されるわけですよ。

多分、ほとんどの人は「この人ナニ言っちゃってんの?」って思うんだろうけど。

私は、そこまで考えて、全身にトリハダ立ちました。

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