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おかしな世の中

私はいま何の組織にも属していないので、いわば“社会”と呼ばれるものから距離を置き、ハタから眺めることができているせいか。

いまの世の中、かなりおかしなことになっていると思う。

この暑い時期に、ほとんどの人が鼻までしっかりマスクで覆い、中には何重にも重ね付けしている人までいる。

大きな交差点で信号待ちをしているときなど、見渡す限りマスクで表情が読み取れない人たちばかりで、ノーマスクなのはほぼ私だけという状況。

幼いころから「私は人から受け入れられない」という思い込みを抱え続けてきた身としては、もう一年以上もそんなことが続いているのに、いまだに恐怖心を抱いてしまうことがある。

こんな光景、二年前だったら誰が想像できたろう?

ミクロサイズのウィルスに対し、マスクの網目の大きさを比較したら、防御効果などほとんどないことは明らかなのに…。

また、このところ何かと話題のワクチンだけれど。

厚生労働省もホームページで「強制ではない」と、明記しているにも関わらず。

“しない”という選択をした人に対し周囲から様々に掛かる圧力は、私の目には、まさに戦時中の「戦争に行かないのは非国民」という圧力と同じように映る。

職場からの圧力、大学からの圧力、「打たなければ社会生活が営めませんよ」という空気。

海外では、ワクチンパスポート的なものが導入されている国もあるみたいだけど、いまのところ日本では何ごとも強制はできない。

なのに「打たないと〇〇ができないから」という理由で、多くの人が自ら接種会場に足を運んでいる。

もちろんそれだって、その人の選択には違いないので、私は何も言えないけれど…。

マスコミ主体で効率よくつくられた“空気”は社会に浸透し、新たなルールが設けられ、さらには集団ヒステリーを生み出してゆく。

「打ってない人が感染を拡大している」

いやいやワクチン打った人だって感染してるし、仮に重症化しにくいとしたって、感染拡大にどれだけ関与してるのかなんて調べようがないでしょ。

なのに何人倒れようと、異物が混じっていようと、政府は摂取を推奨し続ける。

それってやっぱり、どう考えてもおかしいと思う。

なので私は、強制にでもならない限り、打つつもりはまったくない。

その代わり、日々やりたいことを楽しくやって、定期的に身体も動かして。

自己免疫を、どんどん上げていこうと思う。

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