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三角社会のメカニズム

昨日、トランプさんのラリーの壇上で、ロバート・F・ケネディ・ジュニアが登場してガッチリ握手の感動シーン。
印象的でしたよねぇ。
やっぱりアメリカ人は、ショーの演出がベタだなぁって、改めて感心します。
でも、ベタだからこそ、感動しちゃうんですよねぇ。
いよいよ、クライマックス感は最高潮まで来てる感じします。
YouTubeでのライブ配信チャンネルも、ここに来て主要テレビ局なども参加し、激増したらしいです。
正に「誰にも止められない快進撃」ぜひとも、なる早で終わらせていただきたいです。

でもそれにしても、一方でショーが華々しく大団円を迎えているなか、ホントいま混沌が極まってるなって感じます。
特に日本っていう、ある意味閉ざされた社会の中にいると、全体像を俯瞰して見ることがムッチャ難しい。
で、前の私もそうだったのでよく分かるんですけど、どういうメカニズムでどういう力学がはたらいて、いまこの現実ができているのかが理解できないので。
すべての判断基準が「印象」になっちゃうんですよねぇ。
あと、「印象」基準で最初につくり上げた受け止めを、かたくなに守り通そうとしちゃう人たちがホントに多い。
これって、どうしてなんだろう?ってずっと考えてたんですけど。
やっぱり、全体像を見ようとせずに印象で判断してしまうことの脆弱性に、無意識に気付いてるからだと思うんですよね。
たとえば「あのアナウンサーは感じがいいから、あの人の言うことは信じられる」って判断をしたとして。
その判断の根拠のなさに、本人がどっかで気付いてる。
だからといって、そのアナウンサーの言うことを一つひとつチェックするのはめんどくさいから、自分の気付き自体を見ないようにしちゃう。
だから、改めて自分の中を見直して「ホントにこれでいいのかな?」って疑問を持つ、いわゆるチェック機能がはたらかなくなっちゃってるんですよね。

っていうかねぇ、これって情報収集のしかただけに限った話じゃなくって、三角社会にいると一事が万事そうなんですよ。
ルールや慣習より、立場や関係性が優先しちゃうから、仕事の処理行程が理不尽や圧力ばっかりになっちゃってる。
だからみんな、見ないようにしてる項目がムッチャ多いし、多岐にわたってるの。
これこそが「自分をないがしろにする」ってことですよ。
自分の感じたことを、自分でなかったことにして、そのことによって自分の内側をブラックボックス化しちゃってる。
でも、自分の内側と向き合わないと良くなっていかれないし、どんどん苦しくなってっちゃうんですよねぇ。
まぁそれもね、この地球ゲームの大人気アトラクションなわけで、楽しみたい人は楽しんでればいいんだけど。
いままさに混沌が極限に達してるなか、それやってたらきっと苦しいんじゃないかなぁって、どうしても思っちゃう。
大きなお世話でした、スミマセン。
…ってか、もっと別のこと書きたいと思ってた気がするんだけど。
何だっけ?

ってなわけで、脱線しちゃったのが誰かの役に立つこともあるかもしれないので、今日はこれでいいことにします。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。

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