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思考を止める

いろいろあって、やっと「思考を止める」ことを思い出しました。

つまり、頭で考えずに、感じるがままにいること。

マインドに乗っ取られず、本来の自分の自然な欲求に従うこと。

これは、私という存在の主体である「魂」に従うってことでもあります。

子供のころ、母親に「ボーッとしてないで、早くしなさい!」と、毎日のように怒鳴られたので。

早いタイミングで「常に思考を働かせていなきゃいけないんだ」と思い込んでしまい、ずっとそれをし続けてきてしまったけれど。

思考なんてしなくても実はちゃんと行動できるし、何にもしてないときにだってそこはかとなく幸せで、満足していられちゃうもんなんですよ。

これはねぇ、私たちは「思考によって行動している」と思い込んでしまっていると、うまくできないんだけど。

瞑想を生活に取り入れ、まずは思考しないでいられるようになって。

そのうえで自然と、日常の中でも思考が止まってくると、体験できます。

事実を積み重ねていく感じでしょうか、ほんの一瞬でも日常の中で思考が止まると「あ、いま私、何も考えてない」って、感じられて。

そういう断片を拾い集めていくと「なぁんだ、考えなくても何だってできちゃうんだ」って、信じざるを得なくなってくる。

しかも、ここでいうところの「信じる」って潜在意識の中での話、なんですよねぇ。

よく「引き寄せの法則」で、潜在意識を変えるために何度も自分に言い聞かせましょう、とかいうけど。

確かに言葉は大切だけど、残念ながら体験がないと、潜在意識って変わっていかないんですよ。

だからそのために、「その気になる」ことが大事って付け加えるわけです。

この「その気になる」っていうのが、「本気になって信じる」こと。

言いかたを変えると、信じざるを得ない状況を、自分自身に対してつくること。

そうすると潜在意識が書き替わっていって、自分の望んだ現実をつくっていけるようになるんです。

ただ間違えやすいのはこの「望んだ現実」の、望んでいる主体は頭の中の思考ではなく、本来の自分すなわち「魂」ってこと。

だからせっかく現実になっても、「自分の望んだ現実じゃない」って思っちゃいがちなんですよね。

話が脱線しちゃったけど、どうやら私、こんなふうにして潜在意識が書き変わってきたようで。

頭の中に思考がない状態でいることに対する警戒心が、内側から弱まってきたっぽく。

しばらく忘れていた、「思考を止める」ということをこのたび、めでたく思い出すことができたわけです。

思考が止まった状態になると、宇宙の流れに身を任せた状態になれるので、勝手にどんどん魂の望みどおりにことが運んでいく。

周囲で起きる偶然はみなメッセージになり、気付きをもたらしてくれる。

こうなってくれば、「ムダなことはひとつも起きない」っていうのも、信じざるを得なくなってきます。

別の言いかたをすれば、これまで起きたムダに思えたことは、私に受け取る力がなかっただけなんだと理解できる。

なるほどぉ、そういうことだったんだぁ、って納得できました。

まぁ、誰にも伝わらなかったとしても、私が理解できただけで満足です。

本当のことは、結構どこでも語られているし、決して隠されてるわけじゃないんですよね。

見付けようと思えば、簡単に見付かる。

でも、言葉そのものが言葉足らずだから、誰にでも伝わるってわけじゃない。

自分で知りたいと思い、自分で調べ、自分で知識を積み重ね、自分で理解するしかない。

代わりに誰かに理解してもらおうったって、そんなの無理な話なんです。

ホームページをつくったので、ぜひ、見てみてください。

naotadano.com

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ではみなさん、いい休日をお過ごしください。

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