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自分の特性を知る

何度も書いてきましたが、私はこれから、まったく新しい世界が始まると信じていて。
そのために必要な「崩壊」がいつ起きるのかと、身を乗り出して待っているようなところがありまして。
もちろんいまも、崩壊が起きることは間違いないと思ってはいるものの。
なかなか目に見える形で、スタートしないのもまた事実。
水面下では着実に進んでいるのが、あちこちで確認できるのだけれど。
とにかく、表に出てこない。
それが、もどかしいのもありますが…。
このところ私「何か決定的なニュースはないか?」と、絶えず情報を追い求めちゃってたんですよねぇ。
あちこちのタイムラインに上がってくる情報を、端から端までぜんぶ頭に入れようと必死になってしまってた。
そのことに気付いて、なるほど、最近なんとなく疲労感がつきまとう感じがしてたのはこのせいかと納得しました。

私どうも昔から、真面目すぎるところがあるのかバカ正直なのか、要領よく振る舞うことが苦手で。
話半分で人の話を聞くこともできなければ、文章を飛ばし読みすることもできないし。
何かをしながらYouTubeを流し、話だけ聞くなんてこともできない。
自分でも持て余してしまうほど、ついつい何にでも、100%のエネルギーを振り向けないと気がすまないところがあるんですよねぇ。
それってやっぱり子どものころの、常に神経をそばだてていることを強いられるような家庭環境から来ているんですが。
会社にいたころのワーカホリック具合で言うと、若かったこともあって、一週間くらいであればまともに寝られなくてもフツーに仕事ができたくらい。
そうやって常に自分を追い詰め、一方的に神経に負荷かけるような生きかたをしてきちゃったので。
いまでも気を許すと、それが出ちゃうんです。

しかも、それにプラスする形で、よくある「常に建設的であらねばならない」っていう刷り込みが機能してしまっているので。
なおさら自分に対して、ダメ出ししやすい状態になってる。
自分を追い詰め、ダメ出しして、さらに行き場のない状態に追い込む。
…そんなことしたって意味ないことは、もちろんいまでは分ってますが。
それでも懲りずに、また今回もしちゃってました。

さらに困ったことに私、宙ぶらりん状態もムッチャ苦手なんですよねぇ。
せっかちで、何かを気長に待ったり、継続したりすることが下手なんです。
あいだが空いてしまうと、これまたついつい焦って、自分を疑っちゃう。
「私、間違ってるんじゃない?」とか、「これっておもしろくないかも」とか、「誰からも見向きもされなかったらどうしよう」とか。
どんどん、悪いほうへ悪いほうへ考えちゃう。

そういった私の特性がみぃんな、今回は悪いほうにはたらいてしまったようで。
知らずしらず私、脅迫的に情報を求め「まだ来ない、どうしちゃったんだろう?」と焦り、「私の考えてることって本当に正しいの?」って自分を疑ってしまってました。
そりゃあ、疲れるはずです…。

ちょっと待って、いったん落ち着こうよ、私。
情報なんてどうせ追い掛け切れないことは火を見るより明らかなんだし、こんなときこそ宇宙を信じればいいんじゃない?
だって私が知らなきゃいけない情報があれば、宇宙は何度でもしつこく、気付くまで見せ続けてくるはずなんです。
そんなことはこれまで、何度も体験してきました。
だから、ことが進んでることは間違いないんだから…。
慌てず騒がず、どぉんと構えてりゃいいんだと思います。
そう、情報ってのはたぶん、恋愛といっしょで。
こっちから追い掛けて行っちゃダメなんですよね、きっと。
そうじゃなくて、入る場所を空けて待ってさえいれば、勝手に向こうから入ってくるもののような気がします。
「入る場所を空ける」というのは、余裕を持って穏やかにいるってことで。
ここでもやっぱり、メンタルのありかたが大事なんですよね。
どういうわけか、いつも同じ結論になってしまいますが。
いま何よりいちばん大事にしなくちゃならないのは、毎日を気分よく過ごすことだと、今回もまた改めて納得することができました。
ありがとうございました。

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