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私仕様の地球ゲーム

ここ数日、メンタルがなかなか安定せず「どうしてだろう?」と、いろいろ試行錯誤を試みてたんですけど。
終わってみれば、やっぱり気付きをうながされてて。
しかも今回は、かなりな核心部分だったんですけど…。
解りやすく言うと自己認識してた「ゼロポイント」が、実際の場所とは、だいぶズレてた。
だから、ゼロポイントに戻って「リラックスしよう」と思っても、焦るばかりでぜんぜん緩めてなかったわけです。

つまり私、実体験がなくって、リラックスするってことがどういうことなのか理解できてなかったんですよねぇ。
会社員のときにも、勤怠管理で「休みを取れ」って言われて、困っちゃった覚えがあるんだけど。
「休みかた」が分らなかったので、憂鬱にしか感じなかった。
私みたいな人って、珍しいんだろうなぁとは思いますけど。
それほど子どものころ、気を緩めることができない環境にいたんだと思います。
…というか、気を緩めてしまったことで、よっぽど痛い思いをした経験があるんですよねぇ。
だから常に、知らずしらず自分に「気を緩めちゃダメだ」ってハッパかけてる状態だった。
それが泳ぎ続けてないと死んでしまうマグロみたいに、逃げ道のない状況に自分自身を追い込むことにつながってたんだと思います。
いまになってみると、そのメカニズムはとてもよく理解できる。

そのことが理解できたのは、珍しく、映画を観ているときでした。
たまにはいいかなぁと、動画配信アプリで映画を観てる最中に、頭の中で声がしたんです。
「いつも、これっくらいリラックスできるといいよねぇ」
それ聞いて「あぁ私、リラックスできてないんだ」って気付いた。
そしてその瞬間に、日常の中で「リラックスしなきゃ!」って、必死になってる自分のことを認識できたんです。
つまり無意識の部分でリラックスできてない自分に気付いてたのに、一方でそれに気付きたくない自分がいたことで、認知的不協和が起きてストレスを生んでた。
この「認知的不協和」っていうヤツ、自分の中にアンビバレント(二律背反)があることで、起きるものなんですけど。
一人ではなかなか、気付けないんですよ。
というのも、ストレスがもたらす気分の悪さのほうにばかり、目が行っちゃうから。
「気分が悪い、何とかしなきゃ!」って、うるさく響くアラートにばっかりフォーカスしちゃうから、原因は何かを突き止めるほうに意識が向かない。
これまでもさんざんやってきたことなのに、また今回も、同じことしちゃったわけです。
そうじゃなくって、アラートが鳴ったら自分の中にアンビバレントがないか、チェックしなきゃいけない。
それが、いまの私には、なかなかできないんですよねぇ。
…って、反省してる場合じゃなくって。

おもしろいことに、そのメカニズムが理解できたら、フッと肩の力が抜けたんですよ。
いまの私にはもう、身近に子どものときのような脅威があるわけじゃないんだって、腹落ちしたっていうか。
それからこっち、何が変わったってわけでもないんですけど。
前より気持ぉちボーッとして、たまに指先とかつま先とかがジンジンしたりとか、それくらいで。
ところが前だったら同じところをグルグルするばかりで、決してたどり着けなかった疑問に、スルスルって答えが出るようになった。
たとえばこの世のしくみとか、時間と空間との関係性とか、そういったことなんですけど。
考えることで、へその緒みたいなラインを通し、答えがロードされてくるようになったわけです。
まだ昨日・今日、体得できた感覚なんで、いまにも消えちゃうんじゃないかって恐いですけど。
でも私、この感覚を使うためにいま、この地球に生きてるんだなぁってワクワクしたことは確かです。

結局、止めてたのは外でもない、自分なんだってことですよ。
私の場合でいえば、周囲に脅威を配置することで警戒心からラインを詰まらせ、無限のデータベースへのアクセスを制限してた。
その状態から、本来の自分へと戻るのが私仕様の、地球ゲーム・1stステージだったわけです。
そしていま、2ndステージへのアップデートが起きてて、どんどん背景が新しいものへと入れ替わって行ってる。
だから1stステージをプレイ中の人とは住む世界が違ってきてて、共有できるものがないため、深く関われなくなってるわけです。
伝わりますかね?

ってなことで、今日のところはこれくらいにして。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。


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