「エモい的」人生の考え方                       人生に「命を吹き込む」とは

「note書いてみてくれない?」
メッセージが来た。
時計を見れば23時半
僕の人生は、ほどほどに退屈しないと思う。
なにかやることが降ってくる。
別にお金は一円も稼げないけど。
それを苦とは思わない。
理由なんて考えなくても、やるのである。
本能が勝手に盛り上がるのである
『人生はほとんどが暇つぶしだ』
これを受動的に達成している気がする。
異様に頼られる才能があるのか。
なにかの才能があると思われているのか。
本当に才能があるのだろうか
とにかく自分でさがさなくても暇をつぶせるのである。

自己紹介しておくと。
髙田歩です。
劇団まだないの主宰をしています。
 キャッチコピーは
~吾輩は演者である。表現はまだない。吾輩が教えます~
脚本、演出、役者を一人でやってます。
演劇を教育の基本にするために日々活動しています。

かっこよく言わせてくれ
私の仕事は
「命を吹き込む仕事」
です。

まあそんな話は置いておいて。
「皆さんが人生で重要視することは何ですか?」
ありきたりな質問である。
この質問は、生き方を聞かれているわけではない。
これに対する答えは

「エモさ」

で間違いない。
僕は論理的な考えはあまり好きではない。
もちろん。授業でワークがあるときは論理的であることが円滑に進めると思っている。
論理的が悪いとは言ってない。
「感情に理由をつけるやつが納得いかない。」
理由を先行させるというのは、僕には窮屈だ。
人形じゃないんだから。
命燃やして生きてるんだから。
命は気持ちと一緒に動いている。
エモいが命を動かいている

今日は自分が考える「エモい」の話。


命は気持ち!

これに説明いるのだろうか。
演劇ではよく「命を吹き込む」っていうんですけど。
まあ気持ちを吹き込むってことです!
そんなことは今日の本題じゃない!
次行きましょう!

論理的であること

論理的。演劇でキャラを演じるときにかなり大事な考え方である。
楽しければ笑う。
イラっとすれば怒る。
悲しいから泣く。
といった感じに、原因→結果を考える。
これは演技に必然性を持たせる。
「こういうことがあってこういうことをしてしまいました」
うむ。大事。大事すぎる。
面接のテンプレみたい。
でも、これに魅力感じたことあります?
せいぜいあっても、活舌いいなーとか。姿勢。立ち振る舞いとかでしょ。
その人の人生に魅力を感じたわけじゃなくない?
論理は便利だけど、、、
そんなんでいいの?って思います。
理由が次です。

主観とはエモい

論理とはうって変わる話
主観。まあいうなれば自分勝手な感情。行動をしてしまう。
みたいな感じですかね。演劇やってるとですね。
すべての行動に理由があると思ってしまう。
おそらく誰しも生きてれば考えたことあるでしょう。
原因→結果
みたいな?感じですかね
「いや我々はお人形か何かか?」

生きててこんなことあります?

「私はこういう理由で今から起こります」
「僕はこういう理由で今から泣きます」
いやいや絶対ないじゃん。行動というのは、理由がすべてではない。
結果を受けて、こんなとこに感動したんだと気づく。
これを「エモい」というと考える

エモい的であること

ここまで書いてきてわからない人いるでしょう。
おそらく「主観」というものも突き詰めると論理的であるんだと思います。
個人的にこの状態に入ったら、僕自身は終わりだと思ってしまう。
ある意味感情が死んでいる。操り人形のような。
ココロに理由というふたをすることで、本心に気付けない状態になってしまうのではないか。そこで!
「エモい的」を提唱したい。
一般的には主観的と近い。何を感じて何を思ったか。自分中心で考える。
これに加え、パッションを他人に与えることが大事。
自分の主観と他人の主観が合致する考え、生き方が、自分の提唱したい
「エモい的」生き方ですw

まとめ

まず、noteむっづw
脚本と違って、セリフと気持ちと説明ごっちゃになる。
次から台本書こう。かっこつけすぎた
はいはい。最後に!
私は、感情が大事だと思う。
キャラに命を吹き込むことを仕事としている。
どうしようもない悩みが日常にあって、よくわかんないことをして、なんでだと後悔するのが人生である。
「エモいな~」
なんて思いながら生きている。
そういきなければ、人間である必要がない。命がある必要がない。


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