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製作ノート(16)FJ、作品への想い

劇団衛星のファックジャパンです。
「珠光の庵」では一休和尚の役をつとめております。
ありがとうございます。
私は「珠光の庵」という作品への個人的な想いをここで綴りたいと思います。
この作品の初演は2004年7月でありまして、だからもう15年ぐらいこの作品と付き合っております。

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「珠光の庵」初演の年というのは、その1年前ぐらいに上演した「劇団衛星のコックピット」という公演を機に多くの先輩が劇団を去っており、以降公演を重ねる毎に先輩が抜けられていくという大変な時期だったのです。
 
私は、2000年の12月に劇団衛星に入団しました。
当時は先輩方が文字通り劇団衛星を引っ張ってくださっており、私はその背中をただただ追いかけているだけで良かった頃でした。
楽しておりました。そしてご迷惑とご面倒をかけたおしていました。
恐ろしい事に今もご迷惑とご面倒をおかけしている方が沢山いらっしゃいます。まことに感謝しかありません。
 
その先輩方が次々と去っていく。
 
当時の他の劇団員がどのような想いであったかはわかりませんが、個人的にはとんでもないうねりを感じておりました。
 
そんな中、この「珠光の庵」で私がいただいた役が、一休和尚という役だったのです。
この役は物語の役どころとはまた別の、俳優の仕事として、芝居の空気やテンポをつくっていかねばならなかったのです。小坊主役の紙本さんと遊女役の黒木さんとの3人で芝居を回していくのです。
 
もちろんそれまでそういう役割は全て先輩方が担っておられました。私はというと逆で、先輩方がつくった空気を「壊す」という役どころでした。
というか普通にお芝居してるつもりでも空気を破壊してしまうぐらいに、私は下手くそだったのです。
天才ゆえに凡人とは会話が成り立たないなど、技術的な問題でお芝居の中で会話ができない私を、蓮行さんは様々な工夫で私の欠点というか欠陥を「面白どころ」に演出し、劇団衛星の舞台の上に立たせてくれていたのです。
そんな私が、芝居の空気を作る一休和尚の役を演じる。
 
よく言えば、蓮行さんの期待、と言ってよいかもしれませんが、これは違うでしょう。単なる駒不足、という事になるのだと思います。
 
単純に人がいなくて、消去法的に私をそんな役に振ってしまった蓮行さんは、心中穏やかではなかったはずです。
それまでは人と協働して何かの場面を作るというよりは、やりたいように演じてそれを周りの皆さんのフォローによって芝居として成り立たせてもらっているばかりの私だったのです。
実際。今も初演の映像は残っていますが、ひどいものです。うまく演出や戯曲や周りの皆さんのフォローによって作品としては成り立っていますが、俳優個人的にはひどいものです。
 
まだまだこいつでは抜けていった先輩の穴は埋められないと思った事でしょう。私自身が痛切に感じておりました。

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ただラッキーだったのは、作品としての力が大きかった本作は、その後も今も様々な土地で上演される事になったのでした。
おかげで何度も稽古場で挑戦させていただくことができました。
私はこの作品と共に俳優としての自分も歩んできたつもりです。
衰えも停滞も成長も全てこの作品が露わにしてくれていました。
俳優として問われる事の多い作品です。

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一休和尚の衣装を着るたびに、私は2004年のあの時のなんともいえない気持ちを思い出します。今もです。だから何年も何回も上演してもいつも新鮮な気持ちで上演できるのかもしれません。

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韓国語や中国語、英語など、沢山のバージョンでより幅広い層のお客様に楽しんでもらえると思いますが、根っこの部分は変わりません。
熟成されても新鮮な、進化し続ける「珠光の庵」で、今後とも折に触れて皆さまとお会いできれば幸いです。
願わくば2004年の自分に観てもらい、感想を聞きたいと思います。
それまで精進を重ねて上演を重ねてまいります。
皆さん応援のほど何卒よろしくお願いします。


2019年9月9日
劇団衛星 ファックジャパン

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